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オリジナルはコピーできない…だろう

世の中はオリジナルで溢れている。
世の中はコピーで溢れている。

オリジナルを少しでも多くの人へ届けることができるコピー。
しかし、コピーはオリジナルの一部まで。

難しい話ではない。
人が創ったものを寸分違わず創ることができるか?これは『人』がたとえ自分であっても、過去の自分と全く同じモノは創れない。その当時の気温、時間、手法、空気の流れ、心情、置かれている状況、身体の状況、総ての条件が揃うことはありえない。

この話は、オリジナルが素晴らしいという類の話ではない。コピーにも技術がいる。オリジナルをオリジナルたらしめる要素は何かを見極める必要がある。工場では同じ物を造るが、同じ物は簡単にできるものではない。やはり、気温、誰がやっても同じにできる仕組み、その前に、コピーするためのキーファクターの把握等が必要だ。

科学はキーファクターを探し条件を整えるために重要なヒントだ。職人技も、もしかするとほとんどを再現できるかもしれない。しかし、職人の感覚を科学的な指標で検出するには、まだまだ時間がかかるだろう。なぜなら、職人達は同じ物を造る方向に行こうとすること自体にオリジナルを持っているからである。さらに精度を上げようとする向上心はオリジナルの境地へ足を踏み入れているだろう。

1つ例をあげてみる。
コピーライターはコピー職人だ。
コピーライター自体は広告の文章を創る人だが、何かを紹介するときは、紹介するもののキーファクターを抑えていることが重要である。これは、オリジナルをコピーする時とやっていることは変わらない。奇しくもコピーライターのコピーは英語にしてもcopyである。コピーライターと名付けた人は天才か。キャッチコピーはオリジナルの一部を表したものでしかない。しかし、そのコピーもまた、オリジナルである。

要するに、オリジナルとコピーは表裏一体である。どれだけコピーの質が上がろうが完璧にオリジナルをコピーすることはできない。しかし、コピーを極めれば、新たなオリジナルが誕生していく。

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