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「テクノ・リバタリアン」しか答えがない。

【大金持ちじゃないけどさ】
橘玲著「テクノ・リバタリアン」という本が話題になっている、というので読んでみた。しっかり最後まで読んだのだが、要するにもともと「理系」の人間であれば当たり前のことが、けっこう仰々しく書いてある、という感じもした。それって「オレ・ってテクノリバタリアン?」なんだろうな、という漠然とした思いが湧き出てきたが、自分は大金持ちってわけじゃないけどなぁ、でも、わかるなぁ、という感じだ。

【「テクノ・リバタリアン」を言う人たち】
要するに世の中ってのはテクノ・リバタリアンになりきれない人の方が数が多く、そういう人に「こういう人たちがいるんだよ」という話をわかりやすくするために「テクノ・リバタリアン」という単語を作り出した、という感じの本なんだよな、と、私は理解したのだが、おそらく、この理解は大きく間違っていないだろう。

【頭は良いけど冷たいやつ、だけど】
テクノ・リバタリアンになる人たちは、本書によれば「頭はいいけど冷たいやつ」というのが、多くの人に一番わかり易い要約かもしれない。で、そういう人たちがなにを考え、この世の中の牽引役となっていることが多いけれども、なにしてるんだ?という話が書かれている。でも、この本の最後には「でも、そういうのに人類は頼らざるを得ないんだよね」と書いてもある。そして、あとがきのところには「多くの日本人はリバタリアンになれない」とも書いてある。いま、リバタリアンになれない、ということは、そのまま「世界から置いていかれる」ということだから、まぁ、日本の衰退の根本はこれだよなぁ、やっぱり、みたいに思うところは多い、というのが、私の正直な感想だ。自分も日本のサラリーマン的なところからは離れたところに偶然いたから、よくわかる。

【しかし自分は】
自分自身のことを橘玲的視点で見ると、やっぱり自分は「テクノ・リバタリアン」だよなぁ、とは思う。でも本書に出てくる人たちほどのお金はないので、大きな影響力がある、ってわけでもない。

などということを、考えてしまった。

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