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過去と現在と未来がつながらない。

【過去から現在へ】
世の中の多くの人は、仕事にしろ娯楽にしろ、その文化は「過去のもの」の集積の上にできたものを対象にしている。人間社会における文化は必ずベースにある。

【自分はつながらない未来を作ってきた】
なんの因果か、自分の場合は、いまここにないものや事象を扱う仕事がほとんどだった。もちろん、それを扱うのは従来までの過去の技術や文化を総動員する。だから、世間で言う「博学」である必要がある。「なんでそんなこと知ってるんだ」と言われることが多かったな、と思い出すが、それはそういうことだったんだ、と、納得がいく。

【なぜネットに興味を持ったか】
扱ったものは、まだ成長も始まっていなかったインターネットだったんだが、それはその時はまだ誰も知らなかった。それはデジタル技術がベースだったのだが、デジタル技術を知り、その文化的意義までわかって初めてインターネットというものに納得がいく。

【自分が言われたこと】
ここまで生きてきて、3回くらいだが「天才」と言われたことがある。本当にそうかどうかは自分では全くわからないし、どうでもいいことだが、確かに自分だけではなく、仲間と一緒に実現して来たものは、かなり複雑で、ほとんどの人には、それを理解するバックグラウンドの蓄積を得ることは難しいだろう、とは予想がつく。要するに多くの人が見えないものを、持ち前の知識と知見をベースにした想像力で思い描き、そこに向かって突進する、という「自分だけが持っている宗教」みたいなものが自分にはあるのを感じてしまう。

【自分だけの宗教】
結果として、リアルな現世にある宗教には興味がない。ぼくは「自分教」の信者なんだろうな。しかもこの宗教の信者である自分は、他の教団に対して、結構攻撃的で、いつでも他の宗教との論争があれば、論破できる、という自信がある。教祖であり信者なんだから。でも、既存の宗教の中身を結構良く勉強していると思う。

【最近の「昭和オーディオ」への違和感から】
子供の頃から親はオーディオが好きで、レコードプレーヤーやオープンリールテープデッキなども多く家にあった。いまその懐かしい「昭和のオーディオ機器」を若い人で好む人が増えていると言う。しかし、あの時代との文化的かつ技術的な不連続の発展であるデジタル技術の上に現代のオーディオはあり、かつ、インターネット動画などで映像の記録や移動も安価かつ大量・容易になった結果、今日のAudio/Videoの文化がある。つまり表向きにはテープレコーダーやレコードプレーヤーなどからの連続的発展で今日のデジタルAVの時代が来ているように見えるが、実はそれを良く知る技術者などにとっては、根本的に違う技術と文化の上に成り立っているのがわかっているので、このような機器の昭和ブームは違和感しかない。

この違和感を自分なりに追及したら、要するにそういうことだったんだな。

【「わかってもらう」のは不可能か】
おそらく、死ぬまで、ぼくは多くの人がわからないことをしていくんだろうな、と、思っている。でも、説明はしておかないと、みんな困るよね。

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