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「マルハラ」で見える人の現在の地平線とは

【「マルハラ」が話題だけれども】
最近言われる「マルハラ」。LINEなどのメッセンジャーアプリでのやりとりで、目上の人からのメッセージの最後に「。」があると、それを威圧的に感じる、ということを指している。

【ハラスメントとは】
今もあるのは「セクハラ(セクシャル・ハラスメント)」、「パワハラ(パワー・ハラスメント)」、取引先からの威圧「カスハラ(カスタマー・ハラスメント)」などがあるが、どれも「威圧を受けたという当事者からの訴えがなければ、社会的にハラスメントと、これまで認められなかったものだ。つまり「~ハラスメント」は、その被害を受けたと思った側には存在し、それをした側はわからないことが多い。昔から言う「殴られた人間の気持ちは殴られた人間にしかわからない」ということ、そのままだが、これが最近は「公」になり、社会的指弾の対象になるばかりではなく、法律も、その解釈も、それがあることを幅広く認め、それをなくす方向に向いている。

【マルハラを感じるとき】
この調査によれば「マルハラ」は、約1割程度の人が感じているとのことだ。また、相手の言動に対して過度の期待や思惑を感じてしまう人たちに起きるようだ、とも読める。「マルハラ」を感じる人は、自分の社会的立場が弱いものであることを、他の人達以上に感じているので、相手のメッセージの文章の最後がどのくらい相手の要求として強いものであるかどうかを「。」で判断している、ということなんじゃないか、と私は思う。

【これまでもあった「マルハラ」】
そしてこういうことはこれまでも多くあったし、何よりも人間の子供はかなり多くの人が、こういう精神状態の時期を経ているんじゃないかと思う。そして、「マルハラ」を感じる人たちは、その時期から、なかなか強く自立した自分自身の確立ができていないのではないかと思うのだが、それはだれにでもあることではないか?とも思う。現代はネット/SNSという新たなツールで、そういう人でも、自分の意見を公の場で言える、ってことなんじゃないかと、私は思う。昔から一定数以上、おそらく、そういう人はいたのだ。また、誰しも、その強度こそ違え、時と場合によって、他人の言動の細部が非常に気になったり、あるいはそうでなかったりするんじゃないかと思うんだね。

例えば、気になっている同僚の異性との会話は、他の人より相手の細かい言動が気になり、自分の細かい言動も気をつけるだろうしね。「嫌われないように」と思うと同時に「あの人は自分を嫌っているから、ああいう言い方をするんだ」みたいに勝手に思ったりするわけだな。

反対に、毎朝顔を合わせる家族の言動には、慣れてきているから、そこまで気は使わなくなっているだろう。

これが、自分の人生の運命を決めるかもしれない職場の上司とのLINEのやり取りなどで「マルハラ」は感じられたりするんだと思うんだね。

【軽い発達障害の可能性も?】
いつもいつも「マルハラ」が気になるのは、場合によってだが、軽い発達障害によって精神的自立ができない、という場合もあるから、他人の言動が家族も含めて「マルハラ」のように見えるようだったら、カウンセラーや専門医に相談するのもいいかもしれない。しかも、最近のように情報があまりにも多くストレスが多い社会では、通常は健常人としていられるのに、状況によって「マルハラが気になる人」になっていたりすることもあるだろう。おそらく「ネットがある社会」とは、そういうものなのだろう。

まずは「自覚」。そして、対処の方法を考えよう。


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