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5月の横須賀にて

今日現在のこの辺りでのマスクは、半数の人がしていて、半数の人がしていない感じだが、満員電車になるとマスクは増える。

ただし、重要なのは「マスクしている人」と「マスクしていない人」はお互いに違和感なく談笑している場面が多い、ってことだ。別の言い方をすると「同調圧力」という感じではなく「マスクをすることが必要な場合はするし、そうでないときはしない」で、した人を見てもなんとも思わないし、しない人がいてもいい。「日本人は同調圧力が」という時代ではないのが、具体的にわかる。

「同調圧力」という言葉が表に出たとき、それは相対化され、客観化され、悪いイメージとしてある「同調圧力」は忌避の対象となり、ポジティブな意味としての「組織内人員の一体化」なども、明らかになくなった、という感じが強くする。「同調圧力」はネガティブなキーワードだ。これがあるから、カレーパンの値段が高くなったのだ。そうだったのか。

今の日本という地域とそこに住む日本人。それは明らかにかつてのような一体感はない。おそらくこれからもないだろう。そういうものは、好むと好まざるとにはまるで関係なく、解体されていく運命にあるのだろう。

遠い国での古い形での戦争は、日本に住む日本人にとってはエンタメの一つなのだろう。だからニュースではひたすら「どちらが勝つか」ばかりやっている。まるで野球とか格闘技のライブを見るように。

「マスクは任意です」。とは、つまりそういうことだ。

この日本の空気の中で、この前まで240円で、今は350円と少し高くなったカレーパンを頬張りながら晴れた横須賀のベルニー公園のベンチに座る。そこから見える潜水艦や軍艦を見ると、一緒に買ったアイスコーヒーの氷がプラスチックのカップの中で擦れ合ってカチカチ言う。スマホを見れば、ニュースで元コメディアンの大統領が日本に来た写真があちこちで報道されているのがわかる。何があったんだか後で読もう。読まないと思うけど。

だって、来たその人が本物かどうか?分からないじゃないか。あの状況の地域から来たのだ。移動途中の困難や危険を考えれば、来たのが本物であるかどうかなんてわかりゃしない。マスコミはそういう検証はしないしね。

今は、みんながそういう目で又聞きの情報を受け取るのだ。誰が発信する情報であっても、だ。ニュースの全てはフィクションなのかもしれない。だってマスコミは信用できないんだろ?そういう世の中なんだろ?アポロは月に行ってないんだろ?

きっと目の前の潜水艦もハリボテなのかもしれない。だから、こういう人目に触れるところに、毎日のように平然と置かれているんだろ?

おそらく、この日本という地域で始まっている「気分」とは、こんな感じじゃないだろうか?

かくして、リアルな世界とバーチャルな世界は、自分の半径数メートルでの出来事か、そうでないかの違いそのものだったのだ、と、みんな気がついてしまった。

そして、数十年前のあの充実は戻らない。カレーパンの揚げかすがジーンズの上に一つ落ちている。それが陽を浴びている。きっと、この景色だけが嘘のない真実なのだろう。

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