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安心しろ。下には下がいるぜ。

私は、韓国人男性との結婚を機に韓国に移住し、現在ソウルや釜山と言った都会ではない場所に住んでいる。YouTubeでよく拝見する、韓国移住日本人の方々が住んでいるオシャレでキラキラしている地域「じゃない方」の住人だ。より韓国文化が濃く、よりリアルで、韓国人の方が見るとあまりにもフツーな日常を送っている。

そんな中で過ごしていると、どうしても結構な頻度でへこむ出来事にぶち当たる。
メンタル絹ごし豆腐の私のハートはたやすく崩れる。
豆腐が崩れては、若干修復する日々を送るうち、急に悟りが来た。

「もう、なんか、一周まわっておもろなってきた」

「絹ごしハイ」が来たのだ。
おもろい出来事は、誰に頼まれなくても共有したくなる。
だから私は文章でコソコソと、誰にも頼まれてもいないのに自分の経験を共有することにした。

私は日本にいたときから、へこみやすい人間だった。

特に就職活動でのへこみは鮮明に思い出せる。
私は誰もが知る高級ホテルで働きたいと思い、そういう業界中心で就職活動を行っていた。
何社か面接を受けていた中で、最終面接まで上り詰めた企業がある。
そこは世界各国に多くのリゾート施設を所有し、経営しているマンモス企業だ。
たこ焼きが有名な地域で、一番高価なスイートルームを所有している事で当時は有名だった。

私はどんな企業よりもここに、身をうずめたかった。
最終面接が終わった数日後、家にお手紙が届いた。
中を開けると「この度は残念ながら弊社の……」などと書いてある。
企業の方から更なる発展とご活躍をお祈りされる「お祈りメール」ならぬ「お祈りレター」が届いたのだ。
私は恥をさらして母の前で泣いた。悲しかった。悔しかった。何が悔しいって、お祈りのお手紙のセンスが良すぎて、またこのホテルのことを好きになってしまったのだ。
手紙からええ匂いさせよって。高そうな分厚い紙使いよって。
わたしもセンスのええ集団の一員になりたかった……ちくしょう。

これは盛大にへこんだ。

それから時は流れに流れ、私は結局新卒で商社の営業ウーマンとなった。
ここでもしっかりとへこんだ。
会話ではなくメールで注意点を送ってくる直属の先輩と性格が合わなさすぎる。
家に帰っては何度も泣いた。
そして独り立ちしてからは、営業先のお客様を盛大に怒らせてしまった。
詳しくは書けないのだが、私の連絡ミスで多大なるご迷惑をかけた。
私の社用ケータイのメールに届いた「もう、結構です」という文字を見た瞬間、心臓がキンキンに凍っていくのを感じた。
その日私は、当直だったお客様の元に深夜出向き、120度の謝罪お辞儀をした。
この時も泣いていた。

これもへこんだ。

それから社会に揉まれに揉まれ、心臓にふさふさと毛が生えてきた頃、結婚して韓国に移住することになった。

私は、「今や多感な男子のすね毛並みに剛毛となった私の心臓なら、どこに居ても生きていけるはずだゼ」と意気込んで韓国の土地を踏みしめた。

そして韓国の土地を踏みしめてから数か月後、私は大号泣していた。
無性に日本に帰りたくなったのだ。
私のことを知ってくれている人々がいる、あのこたつのような温かい安心感のある日本に帰りたくなったのだ。

ホームシックにかかった理由は様々あるが、日々のちょっとした出来事が積み重なり、感情が爆発し大号泣した。

ちょっとした出来事とはどんなことか。

この土地でよく使う大根の水分が少なすぎてバキバキなせいで、料理に失敗したこと。
「かまいたちのYouTubeみた? パチンコあるあるめっちゃおもろない!?」という些細な話題が通じる相手が居ないこと。
ユニクロに行って、会計の際店員さんと韓国語で話していたのに、クレジットカードの名前を見て私が外国人と分かった瞬間に、急に会話の言語を英語に変えられたこと。
現地人の会話が100%完璧に聞き取れないこと。
「ノリ」「ツッコミ」が日本に居た時みたいに言えないこと。

大したことない、些細なことだ。

しかし、日々の「成功体験」がその人の自信を作り上げるように
日々のちょっとした「へこみ体験」が私の自信を削っていった。
私の心臓の剛毛も、するすると抜け落ちていった。

へこんで泣いて、散歩をして気を紛らわしても、寝て起きたら何も変わらずここは韓国だ。

「でもへこんでばかりではダメだ! と思って色々試して、その結果今の強い私がいるんです」と格好良く言いたいものだが、自己啓発の本に載っているハウツー的なものを試して一夜にして人生劇的に変わったりはしない。
あくまで私の意見だが。

では、へこんだ後はどうしたか。
淡々と生活を送り続けた。

朝起きて、水を飲んで、トイレで用を足して、朝ご飯を食べる。
仕事に行って、やることやって、家に帰ってくる。
ジムに行って筋トレをする。晩御飯を食べる。テレビを見る。寝る。

そうしているうちに、だんだんとへこんだことは過去の出来事となり、少しずつ色あせていく。

そうやって、へこむことに慣れていった。

すると、まだらな産毛に覆われていた私の心臓が、再び太めの毛を生やし始めた。
淡々と生きる事で、へこんだ出来事に対する耐性ができはじめたのだ。
「ま、こんなもんやろ。しゃーない」という前向きな諦めだ。

この生活を日々積み重ねてきた。

すると、料理もだんだんとコツを掴み始めて、新たに友達もでき始めた。
言語の壁も徐々に崩れ、義両親が私をイジることが多くなってきたのと同時に、ツッコミを入れることが多くなった。

ここまで来るのに2年もの月日が流れた。

もしかしたら、あなたは私のようにしっかりへこむ人だろうか?
じゃあ、仲間だ。
私のへこんだ出来事を見て、ちょっとほっとしてもらえたら嬉しい。

しかも私はへこむ上に、何かしら「やらかす」人でもある。
なので、私の痛々しい姿を見て、笑って欲しい。

どうしようもなく、へこんでいる諸君。
安心しろ。下には下がいるぜ。


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