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短編小説:公園での話

ひらひらと舞い落ちる桜の向こうには、みずみずしい葉が顔をのぞかせている。4月は一番好きだ。花粉症もないし、じめじめしているわけでもない。それに秋よりは春のほうが、なんだかさわやかな感じがしないか。

そんなことを考えていると、表示板の前に男がいた。ダウンにスラックス、おまけに靴まで黒いときた。ナイロン生地のダウンは朝日に反射して、テカテカと小刻みに光っている。腕を組み、人差し指を上下に動かしては、小声であーでもない、とつぶやいている。異物さを例えれば、公園のゴキブリである。

「おい、ここで何してんの。」
「いや、誘ったのお前だろ。5分遅刻。俺からするとマジであり得ない。」

この男は他田。フルネームは他田今独(ただこんどく)。大学からの顔見知りで、たまたま就職先が同じだったから声を交わすようになった。そして、定期的に会っては情報交換をしている。コロナ明けは飲みにも行ったが、最近はコスパが悪いとめっきりなくなった。

「調子どうよ」
「待たされてイラついてる。まずは謝れよ。」
「ごめんごめん、他田さ、いつも遅れてくるから、今日はゆっくりめに出てきたんだよね」
「は、そん時はそん時だろ。俺は今の状況を言ってんだよ」

イラついてる他田は通常運転だ。これで背が高かったら威圧感があるんだろうが、斜め下から発せられる大声は、どうしても耳に届くまでにずいぶん小さくなる。他田を落ち着かせて、とりあえず公園を点字ブロックに沿ってゆっくりと歩きはじめた。

「最近、仕事はどうよ。」
「ま、特に変わりなしだな。案件が楽勝だからよ。」
「その調子じゃ、次期の昇格は確定っぽいな」
「当たり前だろ。あれってほぼ全員上がるんだぜ。」

ぐっと飲みこんだ言葉はふーっと吐き出す。他田が歩くギアを落とす。そういう直感は鋭い奴だった。

「今大変なんだ。上司が急に退職して、その役目を引き取ることになって。気持ちが付いていけてなくてさ。このままだと外されそうなんだ。」
「なるほどな。いつも以上に覇気がないのはそのせいか。詳しい事情は知らないけどさ。儲けものって考えるしかないんじゃねえか。」
「は、儲けもの?」
「だってさ、上司がいないってことはさ。うまくいけばすげぇって思われるし、うまくいかなくても仕方ないで片付くだろ。どっちに転んでも、お前を悪く言わないぜ。少なくも行動すればな。あ、ちょっとすまん...」

さわやかに語っていた顔と一変して、少し距離を取って電話を取る様子は、緊張をしているよう。あ、はい。よかったです。まとめて次の時で大丈夫ですか?そんな声が聞こえてくる。

「今の電話大丈夫だったか?」
「大丈夫、大丈夫。そういえば何の話だったけ。」
「いや、何でもない。」
「おけ、じゃあお礼に公園案内しろよ。近所に住んでんだろ」

何気ない会話なのに、いまだに忘れない話ってあるよな。ちんけな文章力だとこんなにも表現できないのかって悲しくなるけど


握った手押しハンドルに力が入る。丸まった背中が小刻みに上下する。まばらな白髪を手入れしなくなったのはいつ頃だろうか。そうやって、思い出そうとしてもきまって浮かぶのは、よれたスーツで玄関に向かう後ろ姿だった。そんな大きかった背中が、今ではこんなになっちまって。

「そういえば、来期昇格するんだ。」
いつもよりも大きく宣言するように、そして伝わるように。だけど声は帰ってこない。

木の葉が風に揺られ、さざ波を立てる。緩やかな坂を越え高台へ向かうと、突き抜けた空に、輪郭がぼやけたオレンジの鉄骨が見えてきた。

「東京で辛かったときに行っていた場所があるんだ。怒鳴られて落ち込んだ時も、それはいつも確かにそこにあって見守ってくれている気がするんだ。明日も頑張ろって。そう思えるんだ。」ビールを片手に陽気に語っていたっけな。

「ここは会社の同僚に教えてもらったんだ。ベストスポットだろ。知ってるかもだけど。」

ブレーキをかけ、しわがれた手を取る。指の付け根には白い跡があって、ひんやりと冷たい。すると見上げた横顔から聞こえるか聞こえないかの、か細い声だった。
「こんなに大きかっただな。こんなに。」

少し寄り道をした。親父が好きだった草餅を食べに。和菓子なら榮太郎って決まってるんだ、そんな話してたよな。...なんだよ、俺、何気ない会話たくさん覚えてんじゃないか。ゆっくりとむしゃむしゃと食べる顔を眺めながら、少しでも恩返しできたのかなと心の中で問いかける土曜のお昼だった。

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