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嫌な方の【忘れられない先生】の記憶も十分な時間が経てば

書くンジャーズ、9月4週目のお題は【忘れられない先生】。
多分「恩師」的な先生のことを書く人が多いんだろうな。
でも僕はよくない意味での「忘れられない先生」の記憶を書く。

小学5年生から僕の担任になったY先生。
Y先生は全体主義的にいろんなことを上から押し付ける先生で、僕ははっきりって大嫌いだった。
一番覚えているのは図画工作の時間での出来事。

5年生の1学期にみんな同じ筆を買わされた。そして絵の具は赤青黄の3限色しか使ってはいけないことになった。
理由は先生指定の筆は使い方で細い線も描けるし、広い面も塗れるから。
絵の具は3色あればどんな色でも作れるから。ということだった。

そこまではまあ手法としてアリかなと今でも思う。
しかしその次の記憶が気持ち悪い。
ザリガニの写生をしたときだ。

先生から指定があった。
ザリガニは上から見て描くこと。描く順番は、頭、胸、胴体、足、最後に髭。
今書いてても理由がわからないけれど、とにかくそういう指定があったのだ。

先生の指定は耳に入っていたけれど、僕は頭の次に頭から伸びている髭を描いた。
大きくて格好良かったし、頭にくっついていたからだ。
小学生にとって先生の言うことは絶対だ。令和じゃなく昭和時代であったならなおさら。

先生から注意をされた。叱られたような気がする。どんな言葉だったのかは覚えていない。
とにかく注意された理由、髭を先に描いてはいけない理由が全くわからない、とても嫌な気分だけは覚えている。
それでもザリガニの絵は完成して、教室の後ろに張り出された。

それが嫌な記憶のダメ押しだった。
真上から描いた同じようなザリガニの絵が36枚。
その光景が僕の目にはものすごく気持ち悪い映像として焼き付いている。

先生の指導や同じ絵が並ぶ映像に何も感じない人は感じないだろう。
嫌な気分になったのは自分の性格によるものだとわかってる。
それでも小学5年生の自分がそれを気持ち悪く感じたことは忘れられないし、忘れたくもない。

悪い記憶は十分な時間が経てば自分の中に練り込まれてネタに変わる。
35年後の僕はニヤニヤしながらこれを書いてる。
Y先生、『忘れられない先生』の材料をありがとう。

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