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きみは四つ葉のクローバー

長女は個性的だ。

赤ちゃんの頃は、どちらかというと大人しい印象で、あまり泣かなかった。ミルクをよく飲み、丸々と太ってよく笑う、可愛い赤ちゃんだった。ただ、いつも何かを探しているような顔つきをしていた。

義母が「名前を呼んでも反応しない。耳が聴こえていないのではないか」と心配していたが、生後すぐ受けた聴力検査は問題無かったし、まだ赤ちゃんだからそんなもんだろう、と気に留めていなかった。初めての子育てで、基準がよくわかっていなかった。

ただ、1歳を過ぎたあたりから、他の子との行動の違いが目立つようになった。同じ月齢の子どもと一緒に遊ばせようとしても難しく、1人だけどんどん遠くに行ってしまう。わたしの存在を忘れるときもあった。

他の子が犬を見て「ワンワン」と言うのに対して、長女は、わたしが「犬だね」と言っても犬の方を見ようともしない。一方、興味のあるものが見えると、どんな状況でも突進する。

たいていの子がママのそばから離れず、意思の疎通が取れているのを見て、「うちとはずいぶん違うな」と思っていた。

一瞬でも目を離すと、何をするかわからないので、ママ友とお茶をするのも一苦労だった。

1歳半検診のとき、声かけに反応しないことや、意味のある言葉が出ないことが引っかかり、毎月、保健所の心理相談に通うことになった。

保健所に半年ほど通って、言葉の発達もコミュニケーションもあまり進んでいない様子から、区の児童発達支援の施設を紹介してもらった。そこで初めて「療育」という言葉を知った。

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療育とは、発達の遅れや偏りがある子どもに対して、日常生活での困りごとを改善し、生かせる長所は伸ばしていく理解や支援のことを言う。

誰でも順調に、年相応に成長していければいいけど、なかには、出来ることと出来ないことの差が大きくて、バランスの悪い子どももいる。

長女も、なかなかのデコボコ具合だった。

2歳当時の長女の日常は、困りごとの連続だった。言葉が出ないので、何をしたいのか、どう思ってるかがわからない。わたしが伝えたいことがあっても、伝わってるかどうかもわからない。

長女は、好奇心が強く、身体が先に動いてしまい、すぐ集中して周りが見えなくなるタイプだ。横断歩道の真ん中で急に白線を見つめて動かなくなったり、真冬の噴水に突っ込んだりして、危険を教えることが難しかった。我が強く、意思が通らないと、どこでも癇癪を起こした。

わたしのしつけが甘いからだ、と言われたこともあったが、真剣に叱ったところで興奮すると暴れて手が付けられず、このままでは命が持たないと思った。

療育に対して偏見を持つ人もいたが、療育を受けることで長女に安全な未来があるなら、幾らでもお願いします、という心境だった。

発達のテストを受けると、2歳半当時で言語能力が1歳程度、理解力が2歳、運動能力が3歳という診断結果が出た。先生が言うには、言葉でコミュニケーションが取れる楽しさに気づいていない、ということだった。しつけが甘いのではなく「個性」という見解だ。長女は、身体能力の高い赤ちゃんみたいな幼児だったのだ。


療育では、言葉を主にしたコミュニケーションではなく、視覚的な支援を活用する。言葉はすぐに消えて無くなって忘れてしまうけれど、絵ならずっと見ていられて、イメージしやすい。例えば、1日のスケジュールを伝えるなら、口頭ではなく、内容を絵に描いて、番号順に見えるところに貼って並べておくと、内容と順番を理解しやすくなる。順番がわかると、待つこともできるようになる。

そして、教室で席に座らず走り回る子どもに「座って」と指示を出すのではなく、本人が「座ったほうが話を聞きやすいから座ろう」と思うまで待つ、という考え方だ。大人の都合ではなく、その子のモチベーションを大切にしている。

また、療育の中に、20%ルールというのがあるらしく、20%でも出来たことは褒めてくれた。例えば靴を履こうとして、靴を見たら褒める。靴箱の前に座ったら褒める。靴を持っただけでも褒める。靴を履くという目標を達成する過程で、何度も褒められるので、子どもも嬉しくなる。もちろん、靴を履けたらものすごーく褒める。

通常なら、靴を履けたら褒めて、履けなかったら褒められないのではないだろうか? 100%の完成だけ褒めていたら、そこに到達するまでに心が折れてしまう。だから、毎日少しずつ褒めるのだ。

今日も元気ですごいね、服を着ていてえらい、そこにいるだけで最高、など、少しでもできたことも褒めた。そうやって出来ることを増やしていった。完璧な成果を目指すのではなく、目標に近づこうとする子どもの意思を尊重した。


そうして、療育に通うようになり1年も経つと、落ち着きがなく走り回っていた長女が、椅子に座り、先生の話を聞けるようになり、名前を呼ばれて返事ができるようになった。4歳になろうとする今、自分の名前を言えるようになった。夢のような成長だ。

今後、療育だけでなく、通常の幼稚園に編入するかもしれないし、小学校は普通の、定型発達のクラスに入るかもしれない。そうした時、長女は「ちょっと変わった人」だと思われる可能性がある。クラスに馴染めず、浮いてしまうこともあるかもしれない。

そんな時、わたしは長女にこう伝えたい。

「きみは四つ葉のクローバーなんだ。たまに見つかる四つ葉のクローバーは、幸運の印だよ。とても誇らしい。周りが何と言おうと、わたしたち家族は味方だ。だから自分らしく、思うように生きればいい。そこに咲いているだけでわたしたちは嬉しいのだから。」

障害か健常かということにとらわれることなく、個性を尊重出来る環境があるなら、どこまでも探そう。あるいは、作っていこう、と思う。











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