アメリカの大学生が生み出した、ジェノサイド状況を見通す視点


●複雑な状況を、本質に戻って見通す視線



一昨日アメリカの大学で学生達が警察によって強制排除された件は悲しむべきことだが、これによって、認識がひとつ進んだ気がする。

今回の学生達の主張は、
「大企業からの寄付金と運用利益で成り立つアメリカの大学が、イスラエルの軍需産業と関わりの深い企業から支援を受けていたら、ジェノサイドに加担していることになる」
という主旨だ。
つまり自分たちは国や大学を通して現在のジェノサイドに加担したくない、という抗議なのだが、これが「反イスラエル派と親イスラエル派の衝突」と報道されている。

しかし実際には多くのユダヤ人学生がイスラエル政府に抗議する側に参加しており、そもそも「反シオニズム」からであれ、イスラエル政府の方針に異を唱えること自体が「反ユダヤ」だと、おそらくは意図的に混濁されている。もとから複雑な問題ではあるが、全体を把握しづらく、噛み合う議論が成り立ちにくいようにされていた。

だが今回は、そんな中、ネットでは、
「親イスラエルと親パレスチナの問題というより、ジェノサイドの推進派と反対派との問題なのでは?」
という言説が出てきている。

実際そうした目で見てみると、様々な主義主張に絡め取られることなく、スッキリと状況を見通せるようになる。
ここに至って、オレはやっと議論の土台が整いつつあると感じているので、少々書いておきたい。

●主語を大きくしない



何度も繰り返してきたが、「イスラエル国民は一丸となって嬉々としてパレスチナを迫害している」というイメージが鵜呑みにされている。
イスラエル政府がパレスチナに対して過酷な政策を採り続けてきたことは事実だが、実際のイスラエルの中でも政府への反対運動やパレスチナ支援のユダヤ人団体も多く、とくにイスラエルのアーティストは苛烈な政府批判をする人も珍しくないというのも事実だ。
日本ではかなりの「文化人」でさえ、
「え、イスラエル人のなかにパレスチナ支援の人がいるの!?」
と驚く人がいるほど、
  
今回のガザのジェノサイドについても、世界中のユダヤ人はもちろん、イスラエル国内でも10万人規模で反対デモが起こっている。

またハマスとパレスチナも分けて考える必要がある。
ハマスは選挙で選ばれた正当な政党だが、幹部の家族が国外で豊かな生活を送っているなど長年の汚職が問題になり、パレスチナ内で反ハマスのデモが起きている。それが今回の攻撃へのきっかけではないかとも言われている。

いっぽうイスラエルのネタニヤフ首相も、自力では単独政権を作れず、連立政権で政権を維持するためには過激な右派政党の意見を無視できないという事情がある。それが今回の虐殺へとエスカレートさせ、停戦合意を妨げている、ともいわれている。

つまり世の中には「戦争が続く方が儲かる連中」「自分の立場を守るために戦いを継続する連中」がいる。
彼らは「国の代表」として、すべてを「国や民族」の問題にすり替えるが、それが本当の民意とは限らない。
どちらの国も「死にたくない、殺したくない」と思っている人がいる、という当たり前の部分が、「国や民族」といった大きな主語で語られだすと、とたんに違う内容にスライドさせられてしまう。
そこで今回の「ジェノサイドの推進派と反対派との問題なのでは?」という目で見直すことで、本質が浮かび上がってくるのである


●パリ・オペラ座がオハッド・ナハリンを招く



言っておくがこれは「イスラエルにも良い人がいる」とイスラエルを正当化するすり替えの論法を使っているのではない。
イスラエル国民は、長年にわたってパレスチナを監獄化して違法な入植を繰り返して生命や財産を奪ってきたイスラエル政権を選挙で選出してきた責任は問われることになるだろう。

(もちろん日本を「戦争ができる国」に作り替えてきた安倍長期政権を止められず、本格的に軍需産業にゴーサインを出してしまった岸田政権を存続させている我々日本国民も、今後の世界の戦争や戦争犯罪と無関係ではいられないことは自覚しなくてはならない)。

舞台芸術では昔から、「アーティストだろうがなんだろうが、イスラエルに関わる者は全部排除しろ」という人はいる。単純で威勢が良いが、それは自分の正義感を満たすだけで、単純に対話の機会を奪っているだけではないのか。
数年前までそういう抗議やボイコットをどこよりも強く行っていたフランスでも、この3月にパリ・オペラ座が、イスラエルからオハッド・ナハリンとスタッフを招いて『Sadeh21』を振付上演した。国の支援を受けていても作品がイスラエル政府の意見を代表する訳ではないからだ。

我々は外部の存在でしかないが、するべきことは分断を深めることだろうか。
本当に状況を変えたいのなら、先述した「パレスチナの人々を助けたいと思っているイスラエル内部の人々」と連携していくべきではないかと思うのだ。

イスラエル国内にもアラブ人街はあり(バットシェバ舞踊団のダンサーに飯を食いによく連れて行ってもらった)、イスラエルの大学にもアラブ人の学生が共に学んでいる。なんならユダヤ人住民は少子化が進み、アラブ系住民は子だくさんのため、数十年後には「イスラエル人」の人口はアラブ人の方が多くなるのでは、という冗談ともつかない話がある。

ちなみに3月に来日したアメリカのAte9ダンスカンパニーの芸術監督のダニエル・アガミはイスラエル出身で、ユダヤ人とアラブ人の両親間に生まれたと言っていた。そしてバットシェバ舞踊団のリハーサルディレクターにまでなった。
 
むろんどこの国でも差別や暴力的な人間はいる。しかしユダヤとアラブが共存することは、日本人が思っているよりもずっと現実化している。

●今回の攻撃は、ちょっと違う


ただ今回、発端となったハマスの攻撃は、従来とはその性質が全く異なっているとオレは思っている。

これまでも「ハマスが攻撃して、イスラエルが過剰な反撃をする」ことが繰り返されてきた。しかしハマスは攻撃するにしても、いちおう国際社会の理解を得るような配慮をしてきたのである。
しかし今回の攻撃は振り切っていて、子供を含む民間人や外国人旅行者まで殺害し誘拐し人質にしている。
これはもはや「パレスチナに同情は示すが、イスラエル政府の所業を黙認し続けて、けっきょくは何もしてくれない西側諸国全体に見切りを付けた決別としての攻撃」なのだと思う。

そしてネタニヤフは常軌を逸したジェノサイドに踏み切った。アメリカや先進国も、さすがにこれは庇いきれるものではない。
それでも庇おうとした結果、フランスやドイツといった先進国ですらイスラエルのガザ侵攻に反対する大学教授の排除や実質的な言論統制など、耳を疑うような事態が報じられるありさまとなっている。
欧米先進国の限界が露呈しているのが現状だ。それが今回の学生の反対運動にも結びついている。

そして今回の一件以来、明らかに潮目が変わってきた。

「国や民族」ではなく(もちろん突き詰めれば「国や民族」と不可分ではあり得ないのも事実なのだが)、もういちど「ジェノサイドの推進派と反対派との問題」として見てみてほしいのだ。

前述したとおり、ジェノサイドの推進派は、国内での自分の保身や、そんなつまらないことで人々の生命を奪っているのかもしれない。そんな馬鹿な、と思うかもしれないが、歴史上、そんな実例は枚挙にいとまがない。

ネタニヤフはアメリカの助言も聞かずラファを攻撃すると宣言している。さすがにこれだけは実行しない、しないでくれと願っているが、ネタニヤフの連合政権を支える右派の政党の代表が強力に実行を主張している。
本当に止めるべきはここだ。間に合ってほしい。


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