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わたしとピアノ ③ 12年のブランクとこれから

あれほど付き合いの深かったピアノからあっさりと離れて、次に打ち込んだのは、「会計の勉強」でした。

それまで製造業で事務職を経験してきたなかで唯一、関われなかった部門。

ここを理解できれば、お金とモノの流れを全体的に把握でき、さらには就職に有利になると思ったからです。

結婚を機に退職した後、
ちょうど良いタイミングで受講した職業訓練プログラムで簿記に出会い、そのシステマチックな面白さに瞬く間に夢中になりました。


これはパズルだ!

間違い探しゲームだ!

なんておもしろいんだろう。


日商簿記3級から始まり、2級、1級、そして国家試験へと、休む間もなく挑戦は続きました。

もちろん、楽しいからこそやっていたのです。
それは間違いありません。

ですが徐々に、「やりたい!」ではなく「やらなきゃ」に変わっていくのをうっすらと感じながらも、気付かぬふりをしていました。

いつからか、目的と手段が入れ替わっていたのです。

そうして自分をごまかし続けた結果、


ある日、身体が悲鳴を上げました。


下腹部の違和感から始まったその症状は、数日後にはこれまで経験したことのないような激痛へと変わりました。

病院での生検と抗生剤投与、さらには一ヶ月の処置通院を経て摘出手術をすることになったとき、それでもまだわたしは、どこか楽観的に考えていました。”悪性”ではなかったし、先生もとても信頼できる方だったから。


🌙


手術は無事終わりました。
HCUで目覚めたときの不快感と手術創を初めてみたときのショックは、いまでも忘れられません。


どうして、こんなことになったんだろう?


細菌に感染したから仕方ないんだ、
そう思っていました。

ですが、そうではなく


やりたいことを我慢して、
本当はやりたくもないことを無理してやっていた


そのせいで細胞の力を弱めてしまったのだと、後になって気付きました。


🌙 🌙


じゃあ、体力が戻ったら何をやりたいのかな?

友だちとランチがしたい
旅行へでかけたい
洋服を買いに行きたい
コンサートへ行きたい

ピアノを、また弾きたい


弾きたい気持ちに気付いたものの、ピアノがあるのは実家。気が向いたときにいつでも弾けるというわけでもありません。

そこでひとまず、YAHAMAの76鍵キーボードを買うことにしました。
ダンパーペダルもつけて、よりピアノっぽくして。


うん、まぁまぁかな。


本物のピアノはまたどこか弾ける場所を探すとして、とりあえずはこれで指慣らし程度に弾けていればいい。


段々と手術痕も薄くなり、少しはお腹に力が入れられるようになってきたころ、たまにキーボードへ向かったり、向かわなかったり。いつでも弾けるからと安心していた矢先、

こんどは肩から指先にかけての痛みと痺れに襲われました。


どうして…


どうして、弾こうとすると痛くなるの?
弾いちゃダメってことなの?


そうしてわたしは、再びピアノを封印しました。
弾くことも、聴くことも。


🌙 🌙 🌙


そんなときに出会ったのが、このnote。
時間はたっぷりあったから、あれもこれも読んで、ときどき投稿もして。

そのうちに交流も多くなり、
今ではすっかり、なくてはならないプラットフォーム。


わたしの自己表現方法は、ピアノしかない!


という思い込みを少し崩せる程度には、文を書く楽しさも知ることができました。noteを始めていなかったら知り合えていなかっただろう方たちもたくさん。(というよりほぼ皆さん?)


そして何かの導きなのか、このところピアノ曲を耳にする機会が多くなり、わたしの意識もまた、そちらに向き始めています。


そろそろ、戻ってみようか。


手の不調が完全に治ったわけではありません。
ひょっとしたらまた、痛くなるかもしれません。

そうならないためにも、自分と約束事をすることにしました。


  • 1時間以上は弾かない

  • 毎日は弾かない

  • 肩から指先までのセルフケアをこまめに行う

  • 体力・筋力をつける


いきなりトップギアに入れたがるのは私の悪い癖なので、そこは抑えて、抑えて。

あまりの指の衰えに、きっとがっかりする。
でも、20代の時よりも肩の力が抜けている分、もっと楽に演奏できるかもしれない。


🌙 🎹 🌙


ピアノから離れて12年、
いまの自分に合う弾き方で、また、始めてみようと思う。

まずはここから。


<おわり>


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