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「いわき時空散走」3月リサーチ

2月28日(水)

10時~16時:「平リサーチ」

参加者:4名(陸奥・寺澤・井上・北林)
・平四町目~鎌田町の方まで歩いてリサーチ。百澤通りには、明治時代に建てられた石蔵と石塀が当時のまま残っている。明治39年の『平の大火』では、平の町の3分の2が焼け野原となり、その後の再復興で田町と鎌田町に遊郭ができたとのこと。
・『河原子地蔵堂』(首切り地蔵)を発見。ここでは、元文一揆の首謀者らが斬首され、その義民が供養されているとのこと。東日本国際大学内には、元文義民の霊場と言われている五霊神社がある。

2月29日(木)

10時~16時:「湯本リサーチ」

参加者:6名(陸奥・寺澤・井上・根本・熊谷・松本(ゆ))
・湯本を歩いてリサーチ。上町エリアへ行くと、『上町ホットひろば』と書かれた場所に、古い湯本のマップを発見。そのマップには、『いわきミュージック』(ストリップ劇場)や『駒コンパニオン』などが載っており、炭鉱時代に、炭鉱夫たちの娯楽の場所にもなっていたことが分かる。
・『妙覚寺』へ訪問。ここは元々火葬場だったそうで、炭鉱で亡くなった方々を火葬していた煙突をコーティングする形で供養塔が建てられている。
・湯長谷では、古い建物も多く残っており、湯長谷藩の堀跡なども見てわかった。

18時~19時:「赤井リサーチ」

参加者:5名(陸奥・寺澤・井上・大森・藤城)
・赤井幼稚園の理事長さんにお話を伺う。赤井駅近くの稲田地蔵尊に、船生シメ子さんが書いた『女の一生』という石碑があり、ずっとリサーチを続けていたのだが、今回シメ子さんの孫にあたる理事長さんにお話を伺うことができた。『いわきの三女傑』と呼ばれていた人達がいたそうで、その1人がシメ子さんとのこと。女性だけで飲みにいくなんてあり得なかった時代に、シメ子さんは女性らを引き連れて、田町へ飲みに行っていたという話や、赤いワンピースに赤いヒールを履いて、クラウンを運転していたなど、シメ子さんの人物像を知ることができた。

3月1日(金)

9時~12時:「湯本リサーチ」

参加者:4名(陸奥・寺澤・井上・渡邊)
・原子力災害考証館にて、里見さんからお話を伺う。里見さんからお話を聞くことで、よりリアルに『東日本大震災』がどういったもので、何をもたらしたのかを受け止めることができた。原子力災害は人災であり、自然災害とは全くの別物ということ、今の私たちに出来ることは何なのか考えさせられる。

13時~17時:「平リサーチ」

参加者:4名(陸奥・寺澤・井上・渡邊)
・平にあった藤田女学校出身の女流歌人、田部君子について調べるため、『勿来の関歴史文学館』へ訪問。『遠野和紙×田部君子』の企画展が開催されており、田部君子さんの歌集も手に入れることができた。田部君子は、いわき市遠野町出身であり、短歌雑誌『潮音』で才能が認められ活躍するも、嫁ぎ先は田舎の大家族で、女性が短歌を書くことを許さなかった。子供を連れて東京に逃げ再出発しようとするも、不運にも第二次世界大戦が始まり、27歳という若さで生涯を終えてしまう。
・『勿来の関歴史文学館』の元々館長をしていた方が、古本屋で偶然田部君子の歌集本を手に取ったことがきっかけだそう。その方に今後お会いしてお話を伺いたいと考えている。

3月2日(土)

10時~17時:「赤井・平窪リサーチ」

参加者:6名(陸奥・寺澤・井上・藤城・松本(ゆ)・大森)
・自転車で赤井・平窪エリアのリサーチ。午前中はこれまでリサーチしてきた箇所を巡りながら、マップコースの確認を行った。平窪郷土誌によると、『華蔵院』に赤井焼きの灯籠があると書かれていたが、見当たらず、副住職の方も見たことがないとのことだった。
・午後には、赤井焼きを見つけるべく、『いわき市暮らしの伝承郷』へ訪問。ここで赤井焼きを発見し、タコつぼなどに日常的によく使われていたことが分かった。その後、もう1か所、郷土誌に赤井焼きの灯篭があると書かれていた、好間町にある『明賢寺』へ向かった。そこで、赤褐色の赤井焼きの灯篭を2つ発見。

3月3日(日)

10時~12時:「平リサーチ」

参加者:6名(陸奥・寺澤・井上・藤城・松本・渡邊)
・以前の平リサーチで気になっていた、さわの湯でギャラリー展が開催されるというチラシを見つけ、訪問した。さわの湯が『ギャラリー笑福』としてオープンの初日で、いろんな作家さんの展示や、つるし雛、喫茶室などもあり、多くの人で賑わっていた。女将さんとも少しお話しすることができた。震災で風呂場の設備が壊れてしまい、鉱泉は現在も沸いているようだが、旅館として続けていくことは難しく、今後はギャラリーとして活用していくとのこと。隣にある下宿『栄山荘』についても今後調べていきたい。

13時~16時:「赤井リサーチ」

参加者:6名(陸奥・寺澤・井上・藤城・松本・大森)
・南赤井在住の鈴木さんにお話を伺う。鈴木さんは、元々数学教師とのことで、お手製の赤井の地図とレジュメと共に、赤井について詳しく教えていただいた。
・ここの地域では、十九夜講が行われていたそうだが、現在は後継者不足でなくなってしまったとのこと。奥様が、十九夜講のうたを披露してくださった。


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