「いわき時空散走」7月リサーチ
7月6日(木)
13時~17時:「小川郷リサーチ」
参加者:4名(陸奥・寺澤・井上・小野)
・草野心平記念文学館の元学芸員である、小野浩さんにお話を聞きに行く。もともと文学館がある場所はもともとは小玉ダムを建設するにあたって使用していた資材置き場だったことや、文学館を作るにあたって、ゆかりのあるいわき市と川内村で競合したことや、建設する場所に関してもいわき市内各所や小川郷駅近くなどほかの場所も候補として上がっていたことなどをお聞きした。小川郷ゆかりの偉人についても尋ねると、憲法学者であった櫛田民蔵、実業家の白井遠平(草野新平の実の祖父にあたる)など有名人のほか、櫛田民蔵の妻であった女性解放運動家の櫛田フキや、カルフォルニアにて米の栽培に成功したライスキング国府田敬三郎(こうだ・けいざぶろう)など多くの偉人が関わっていることが伺えた。
・その後、小野さんの案内で、草野心平の生家、草野新平のお墓のある常慶寺、櫛田民蔵の生家(今は櫛田民蔵の弟の孫にあたる櫛田啓子さんが芽吹きの原保育園を営まれている)、櫛田民蔵の言葉の碑のある小川中学校、小川郷駅を訪問。
・突撃訪問したにもかかわらず、芽吹きの原保育園の櫛田啓子さんにはご対応いただき、地元である小川郷にいただいていた思いや、不思議な縁でつながった民蔵・フキ夫妻との関係、また自身が生涯をかけて向き合ってきた「保育」への思いなど、様々なお話を聞かせていただいた。
7月7日(金)
9時30分~11時:「植田リサーチ」
参加者:5名(陸奥・寺澤・藤城・井上・正木)
・鷺酒造さんからご紹介いただいた、「伊勢屋商店」の鈴木修一郎さんを訪問。散走マップを作る趣旨を説明すると、七浜海道はどこからどこまで走っているものかわからないので、しっかりと始点・終点のポイントを観光地化し集客すべきだという旨のお言葉をいただく。
・昭和23年に作られた植田商店街のマップをみながら談笑。多くの商店がひしめき合っていて活気があったことが伺える。伊勢屋商店は古くは江戸時代の飛脚屋で、中根家が本家であった。勿来火力発電所を誘致した古川傳一氏(鮫川村会議員→福島県議会議員→植田町長。父親である古川徳三郎も鮫川村長をつとめた)の実家は古川酒造という酒屋であり、鷺酒造や伊勢屋商店からも議員が排出されていた。
14時~17時:「小川郷リサーチ」
参加者:5名(陸奥・寺澤・藤城・井上・松本)
・草野新平生家のボランティアを長く務めた大河原さん宅を訪問。草野新平は何度もふるさとである小川郷へ帰還しているのだが、何度目かの帰還の際に小学校の教員を務めることに挑戦してみたことがあったのだが、子供たちが騒いでいたこともあり、一時間目の授業を負えるとそのまま帰ってしまったようだった。大河原さんには、二時間目に心平の授業を受ける予定だった友人がいる、というお話が印象的だった。ちなみに心平の授業は小難しかったという。
・その後、小川郷エリアを自転車でリサーチ。小川郷駅~斜め堰・大堰神社~小玉小学校~萬霊廟などを巡った。小玉小学校の近くに国府田敬三郎さんの実家があるというお話を聞いていたので探していると、小玉米店のお父さんが出てきてくれて、ここが実家だと教わる。また、萬霊廟は小川郷出身の県議会委員だった田久彌七さんが建立したもので無縁となった人も弔っているようだった。
7月8日(土)
9時~11時:「いわき時空散走」マップ作りMTG
参加者:5名(陸奥・寺澤・藤城・フジキ・権丈)
・デザイナーの藤城光さん、イラストレーターのフジキカオリさんとリモートにて、「いわき時空散走」のマップ作りについてのMTGを実施。
13時~15時:「佐糠エリアリサーチ」
参加者:4名(陸奥・寺澤・藤城・正木)
・佐糠公民館にて、佐糠の長老である、富岡秀忠さんにお話を聞く。佐糠公民館に入ると、歴代区長の名前がずらりと並び、三匹獅子のお祭りの写真が並べられていた。壁沿いには「佐糠地区災害時等要援護者マップ」が貼られており、それを見ながらお話を聞いていく。まず、昔は、正木家の前の道路が、旧道であり、昔の佐糠エリアのメインストリートであったこと。それから昔鮫川は今よりも蛇行しており、氾濫しやすい川だったこと。「台」というエリアは川の流れの影響で、砂がたまりやすかった場所で、盛り上がった場所であったこと。大半が区画整理で変わってしまったが、字名が公園の名前として残っていることなどが確認できた。
・三匹獅子は7年に一度実施していたが、あるときから5年に一度に変更となり、次回は来年開催されるとのこと。富岡さんが現区長さんに連絡してくれて、三匹獅子の獅子舞と、踊っている動画を見せてくれた。獅子舞は、不思議と荘厳なオーラを醸し出していた。三匹獅子は四季折々に合わせて踊りがあるようで、踊りを踊る一か月前に踊り子たちへ踊りを仕込むそうだ。踊り子たちは、笛の音だけで、次はどの踊りを踊るかわかるようになるとのこと。
・また公民館の壁に「薬師堂仏像」という額縁がかけられているのが見えた。前回のリサーチ時に回った薬師堂にあったものだそうだ。薬師堂を管理している方にお電話いただき、公民館まで来ていただく。薬師堂では今でも定期的に数珠繰りをしているようで、数珠繰りの数珠と、年に一度2月頃にのみかけるという涅槃像のような絵巻物を見せてくれた。数珠繰りは基本的には女性が参加するようだ。公民館から薬師堂に移動し、中を見せてもらうと、公民館に掲示されていた薬師堂仏像と同じものがあった。そして、顔の半分が落とされている仏像や、首が落とされた仏像が鎮座しているのが衝撃的だった。佐糠村は泉藩領だったため、廃仏毀釈の影響を大きく受けたようだ。
18時~22時:「小川郷リサーチ」
参加者:5名(陸奥・寺澤・藤城・松本・高萩)
・かえるかえるカフェの高萩さんよりご紹介いただき、村上さんのお宅へ訪問。夜ご飯をいただきながらお話を伺った。先祖代々1000年ほど小川郷で生きてきた村上さんは、あるとき上空を飛んでいる白鳥を見かけて、小川郷に白鳥が降り立つところを作れないかと考えた。そこで食パンをフリスビーのように投げて、白鳥をよび、降り立つ白鳥の数は次第に増えていったという。今でもお米をまいて、白鳥に小川に降り立ってもらっているようだ。赤井や、専称寺付近の方でも同じように白鳥を呼ぶ活動をしている人がいたようだ。いわき白鳥ネットワーク恐るべし。また、じゃんがらについてのお話も面白く、なんでも閼伽井嶽由来のじゃんがらと、八茎方面の由来のじゃんがら、二つほど流派があるようで、小川の上平付近のじゃんがらは八茎由来のじゃんがらのようだ。二つのじゃんがらのリズムの違いを教えてくれた。
・散走マップについてお話しすると、七浜海道サイクリングロードのことはご存じのようで、台風19号で氾濫した川の復興工事に合わせて、夏井川沿いもサイクリングロードにする計画があるようだというお話を知っていた。どの程度の規模で、どこまでまきこんだ形で実施するのかを気にされていた。
7月9日(日)
10時~12時:「金山エリア安寿と厨子王伝説リサーチ」
参加者:5名(陸奥・寺澤・藤城・松本・井上)
・以前安寿と厨子王の伝説にまつわるエリアを案内いただいた、金山の遠藤拓二さんにご招待いただき、「金山の昔を伝える会」へリサーチメンバーにて参加。安寿と厨子王伝説をはじめとした、金山周辺の歴史や物語のレクチャーを受講した。
13時~16時:「植田・佐糠エリアリサーチ」
・お昼を植田駅近くの多安房にて食べた後は、植田駅周辺をリサーチ。もともとは植田駅付近にあったという植田小学校の中に鎮座していた「奉安殿(教育勅語関係書類を収めた社)」を確認しに、常春院へ。さらに勿来火力専用線の廃線跡を探しに、周辺を散策した。最後に常春院を訪れると、その広さに一同驚いてしまう。植田駅周辺はもともとは平藩の宿場町であったが、その周りは多くが泉藩である。泉藩といえば、徹底的に廃仏毀釈が進められたため、その後ほとんどの寺院が復活しなかったエリアである。植田は平藩であったので、その勢いからは距離を置くことができた。常春院墓地の中を探していると、勿来火力発電所の誘致を尽力した、「古川傳一」さんの一族のお墓が見つかった。お墓の前で手をあわせ、この日のリサーチを終えた。
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