”いわき時空散走”マップを囲んで語る会
いわき時空散走フェスティバル2日目!
11月24日(金)は『いわき時空散走』マップを囲んで語る会を開催しました!
会場はいつもお世話になっている【Gest House & Lounge FARO iwaki】で、今回はバイキング形式で料理を用意していただきました!
植田・佐糠・金山エリア、小川郷エリア、大野・玉山エリアの3つのマップをテーブルに並べ、美味しいご飯をいただきながらそれぞれのマップについて語り合いました!
マップを囲んで語る会の参加者には、今回の時空散走フェスティバルに残念ながら参加できなかった方が多く、皆さんFAROに着くとマップを手に取り、始まるまでマップを眺めながら興味深々な様子でした!
開始の19時には10名以上の人が集まり、『いわき時空散走マップを囲んで語る会』がスタート!
しかし、美味しそうな匂いに耐えきれず、まずはご飯をいただくことに!カウンターには色とりどりの料理が並べられ、どれもとても美味しそう…!
参加者の皆さんも、自分のお皿に好きなだけ料理を盛りつけ、バイキングを楽しんでいました!
参加者の皆さんと雑談をしながらご飯を食べ、少しお腹も満足してきたところで、やっと本題へ!
『いわき時空散走プロジェクト』プロデューサーである、陸奥さんから話を進めていきます。
ー 自転車人口を増やすとは?
陸奥:私はずっとマップを作ってきた人間なので。今回も『いわき時空散走』をプロジェクトとして進めると同時に、マップを作り見える化することなど、このプロジェクトには色んな意味や意義があると思っています。
その一つの中で重要なのが、ノレル?が取り組み続けている、自転車人口を増やすこと。『タンデムタクシー』や、初めて自転車に乗る子供達のための『補助輪外し教室』だとか。少しスポーティなことなんかもされているようですが、権丈さんどうですか?
権丈:そうですね、タンデムタクシーはずっとやりたいと思っていました。ちょっと乗ってく?というような軽いノリで、自転車は乗れるはずなのに、30、40万するロードバイクを買わないと乗れないみたいな風潮が嫌で。
この間支援学校で体験会を行った時も、子供達がたくさん自転車に乗ってくれて、そんな風に自転車をもっと誰でも簡単に日常使いできる自転車にしていくことが、僕たちにできることだと思っています。
陸奥:ノレル?さんの取り組みで、今まで自転車が少し縁遠い方々にも乗っていただける機会をつくったり、面白い取り組みをしているなと思っていたんですが、『散走』という概念については僕もまだまだ詳しくなくて。改めて『散走』について教えていただいてもいいですか?
寺澤:散走というのは、散歩する『散』に『走る』と書いて散走なのですが、自転車っていうと、色んなイメージがある中でサイクリングとかポタリング、ツーリングというような言葉がよく使われていると思います。
自転車に乗る人たちって、乗り慣れているひとも乗り慣れてない人もいると思うんですけど、乗り慣れていて長い距離を速く走るというのが一つの考え方だと捉えられています。
例えば、「サイクリング」や「ポタリング」という言葉を使うときに大体どのくらい走るかというと、30キロ~50キロと書かれていることが多い。そのように自転車に乗ることを楽しむことも一つの楽しみ方で、人それぞれ様々な楽しみ方があって良いと思っています。
でも、自転車に乗ってない人に乗ってもらう時に、ロードバイクで50キロ走ってください!というのはハードルが高くなってしまう。10キロでいい、ゆっくりでいい、ロードバイクじゃなくていい、っていう優しい提案をしていく必要があります。まず自転車に乗る機会を作っていこうとしていくのが散走の考え方で、その大きな特徴は、自転車に乗ることが目的ではない楽しみ方である、ということですね。
例えば、カフェを巡るために自転車に乗ってみたり、時間あるからただぶらぶら自転車で町巡りするのも散走的ですね。
いわきは圧倒的に車社会なので、まずはどんな形でもいいから自転車に乗ってもらう、裾の尾を広げていくためにこれまでもノレル?として『散走』イベントを大事にしてきました。
ー『いわき平時空マップ』と『いわき時空散走マップ』
陸奥:そういう取り組みの中で、今は駅を中心に色んな町、コミュニティ、集落なんかを巡ると同時に、その町の歴史や文化、物語を見える化しようということでいわき時空散走マップを作っています。
先行して、平でやられていたのが『いわき平時空マップ』なのですよね。そのいわき平時空マップにも携わり、今はいわき時空散走マップのデザインを担当してくれているのが藤城光さんです。
いわき平時空マップは、色んな狙いがあったと思いますが、どういう経緯で生まれたんですか?
藤城:最初は、駅前にエスパルができるということで、みんなに来てもらえるような駅付近のマップを作ってほしいというオファーでした。
そのまま駅付近のマップを作る気持ちにどうしてもなれなくて、関わるかどうかしばらく悩みました。その時に、この辺りは昔の町名が多く残っていると聞いたのを思い出して、そこから発想がふと浮かんできました。
水の流れと町の形成が気になっていた時期で、直観で地域が見えるような、そういうマップだったら作ってもいいって思えたんです。
エスパルの建物自体が、お城側と、まち側のちょうど間に建っていることもあって、「この地域ってこういう地域だったよね」って世代が変わっても忘れないような、思い出せるようなマップを作りたいと思いました。
FAROの北林さんにもお力添えいただいて、色んな町の人たちに意見をもらって、最終的には町の人たちと一緒に作ることができたマップになりました。
私の感覚として、見えないものもある。現在のものだけじゃなくて過去のものも見えているというか、なくなってはいない、というような感覚がもともとあるんです。
歴史や伝説などのあるものもないものも見える、触れて感じられるようなことをしたいという気持ちがあって、よく話が通ったなと思います。本当に感謝しかないです。
あんまり理解されないだろうなと思っていたんですけど、制作時に関わってくれた皆さんが結構面白がってくれて、形になってからもみんな面白がってくれて。そうか、そういった感性ってやっぱりくすぶられるものなんだなとその時思いました。
でも、平時空マップなので、平のが中心のものになっていて。一応、福島県の一番上にあたる新地から北茨城あたりまでマップには書いてあるんですけど、マップ全体にまんべんなく書きたいことが出てくるわけではなくて、自分が作っているけど土地に作らされている感覚というか。
それが面白いなと思いつつも、心残りがあって、掬いきれない他の地域の色んなものが下から手を伸ばしているのを感じてたんですけど、その時はその全てまで掬えなかった。
掬えなかったと感じつつ、さわりは作ったから後は任せた!入り口は作ったから、誰かがなんとかしてくれるだろう!とも思っていて。そしたらタイミングよく陸奥さんが来て、マップを作っていくという話を聞いて、嬉しかったですね。いわき時空散走の話をきいて、繋がったなと。ほっとしました。
寺澤:そうだったんですね。それは初めて聞きました(笑)
藤城:だから私の中では平時空マップから繋がっているプロジェクトだと感じています。
ー 繋がる『まち』
藤城:昨日、植田・佐糠・金山ツアーに参加して、あっと思ってことがあって。いつも陸奥さんからこういうものを入れたいっていう指示をもらって、思いを巡らしながら書くんですけど、これは戯曲をいただいてそれを絵の形での上演を作るようなそんなことかもしれないと思いました。
寺澤:いつも陸奥さんがリサーチを経て、マップに書かれている文章だったり、絵の指示書みたいなのを準備してくださって、画像も参考資料があったりしますよね。
藤城:その参考を元に、作るんですけど、どんどん繋がっていくのが面白くて。
寺澤:それは作ってる最中に思っていたんですか?
藤城:その土地によってイラストのタッチとかも全部変えてるんですけど、歴史とか物語の移り変わりだとか、そういうのを紡いでいく感覚でしたね。このマップが、皆さんとこの土地の物語を紡いでいく参考になったら嬉しいなと思っています。
陸奥:『時空マップ』とか『散走』という言葉とか、僕が入る前から流れみたいなものがあって、それに僕は乗っただけに過ぎない。いつから始まったのかというのは言葉で言えないんですけど、僕は2012年くらいからいわきの皆さんと話したり、まち歩きしたり、遊んだりしてて、そのころから今に至る流れはずっとあったな思うくらい、自然な流れだと思います。
あと、僕の特徴としては『ありものを使う』人間なんですよ。もともとあるものを用いてリデザインして新しいものに改編するっていうのかな。町があって、人がいて、僕が付け加えたものはないんですよ。そこにあったものを取材して、聞いて、おもしろい!ってなったものを素直に形にしていく。
あんまり策略はないんですが、それを書いて提示すると繋がるんです。
町っていうのは自然に繋がって出来上がっているから。町そのものがもう、歴史があって、物語があって、いろんなものが積み重なって今の町が出来上がっているから、素直に取材して、気になったところを並べていくと、町が浮き彫りになっていくし、物語として見えてくると思っています。
ー 土地に対する自己肯定感
陸奥:で、このマップに関しては、地域の人がいないとできないんですよ。ツアーのサポーターになっていただいて、語り合いの場を作っていただいた一人が正木里奈ちゃんです。このプロジェクトに関わって思ったことやマップが出来上がったときに感じたことはありますか?
正木:昨日のツアー(植田・佐糠・金山)でも最初に話したんですけど、佐糠出身ですって言っても、佐糠ってどこ?って言われるくらい本当にマイナーで、リサーチしている時も佐糠でできるならどこでもできるって言われて…。
陸奥:僕は基本的にどこのまちでやっても大丈夫だろうとは思ってるんだよね。なぜならまちは面白いから。人が面白いから。なんかあるだろうって思ってました。だけど!にしても!佐糠は最初取っ掛かりがなさすぎて(笑)
寺澤:駅を中心的にやるというのは戦略的に考えていて、そこからマップが作られたことがないだろうという駅、という話になった時に、降りたことない駅で思い浮かんだ一つが植田でした。
里奈ちゃんとは、もともと知り合いで、彼女は勿来のまちづくり団体にも関わっているんですが、「私の地元は植田だと思っているので、植田の町で私は何かしたいんです。まちあるきとかもやってみたいんですけど、どうしていいかわからなくて。」と言ってたのを思い出したんです。初めて植田をリサーチした日の帰りがけ、すぐ里奈ちゃんに電話しましたね。
正木:はい、それで関わらせていただくことになりました。私は佐糠生まれ佐糠育ちですけど、佐糠や植田の歴史も何も知らない状態だったので、とりあえず一緒に調べてくれませんか?というところから始めました。
マップに載っている佐糠八幡神社の三匹獅子も知らなかったし。でも調べていくうちに歴史が正木家に繋がっていたりだとか、この地で生まれ育っていく自己肯定感が持てた感じがしました。
ー マップに必要な人間以外の生き物
参加者:里奈ちゃん、この渡し船みたいなこのイラスト、これはなに?
正木:これは、鮫川から隣の錦町まで繋いでいた船なんですよ。
陸奥:鮫川は橋がなくて、明治の幕末のころに橋がちょっとずつ出来上がっていくんですけど、最初は船を繋げて橋代わりにしていたみたいで。今の橋は、戦後に作られたもので位置も違うんですよね。あと鮫川の伝説なんかもあって、皆さんご存じですか?じゃあ、藤城さんに説明してもらいましょう。
藤城:鮫の伝説は、平時空マップにも入ってるんですけど、松川様っていう鮫が海にいて、漁師さんとかは松川様に神様として色んなものをお供えしていたりしたんです。そこに相馬の殿様が通りかかって、その鮫が人を食べる凶暴な鮫だと聞き、私が成敗してやろうと弓で成敗し、良かった良かったと殿様は安心する。この後、北上して相馬に帰る途中で夏井川の方に来た時に、ものすごい勢いで夏井川が氾濫して、乗っていた馬が波に巻き込まれて死んでしまったと。その襲ってきた波が鮫の亡霊だったと思い、鮫と言えども大切な命であると殿様は反省するんです。この伝説のワンシーンが、ここだということでイラストを入れています。
陸奥:僕の趣味でもあるんですけど、なるべくマップには動物を入れてほしいと思っていて、動物の話が結構昔の人たちの民話とか、伝説・伝承の類には出てくるもんなんですよ。人間とそれ以外の生き物が結構フラットに、同じような主人公として出てくるのがやっぱり面白いですよね。
今の我々は、町っていうのは近代のものだし人間の力で作ったというような思いでいたりするんですけど、実は町の物語と言いながら、そこには人間以外の生き物、異類、そういった伝説だとかが色濃くあるんです。
異類っていうのは、動物や妖怪、異形のものたちだったり、神様、仏様だったりするんですけど、そういったものが同じように受け入れられてた世界観そのものが、今我々の町を見る視点の中にないんですよね。それがすごくつまらないなって僕は思っているから、動物の話を見つけたら必ず入れるというくらいクローズアップしたいという思いがずっとあります。
植田のマップにも、鮫、狸もいるし、雁も飛んでるし、うえっち・あゆみんもいるし(笑)
人間の想像力、イマジネーションの面白さみたいなところだと思うんですけど、そういうのもやっぱ見える化できるし、したいなあと。三匹獅子もね、よくわからないんですよね。佐、奴、嘉、がいて、それぞれの役割のようなものがあるらしく、三匹獅子はよくあるけどそれぞれに名前があるのは珍しいなと思いました。
寺澤:獅子頭も、鳥の羽を使っていてつやつやで、公民館行って見せてもらったら頭のオーラがすごかったですよね。どうやって手入れしてるのか、また聞きに行きたい。
参加者:手入れを専門にやってるところがあるらしいけど、持っていくと100万単位だそうです。
陸奥:まあ町の物語って、人以外の話が面白いっていう僕の感覚があるので、それをちょっと大事にして作っています。
ー 自分の思いと時空散走との出会い
寺澤:次のマップにいきましょうか。ピンク色のマップが大野玉山エリアなのですが、サポーターを務めるのが、松本恵美子さんです!
ちなみに、『大野』ってエリアがどの辺かすぐわかる人います?『大野』って聞いたことある人?おお~結構いますね!!松本さんはいわき時空散走が始まるきっかけを与えてくれた人と言っても過言ではないです。
今年の1月くらいに今後の方向性だったりを悩んでいて、何に悩んでいるのかもわからないような状態で、陸奥さんを呼んだら何とかなるんじゃないかと思って。
陸奥:恐ろしい、なんちゅう投げ方や!(笑)
寺澤:陸奥さんは自転車の人ではない、まち歩きの人なんですよね。大阪でまち歩きのマップを300くらい作ってきた方で、まち歩きが本職の人ではあるんですけど、何かしら悩みの糸口の解決の先が私に見えていたのか・・・は分かりませんが、とりあえず一緒に走ってみて、走った後に「我々は何を大事にしたらいいのか」、ノレル?の方向性だったりなどを相談して、その時に松本さんにも来てもらっていて。
松本さんとは、ノレル?がオープンした時から、松本さんの地元も走れたらいいよねっていう話はしていて、その時に話した「外から人を呼ぶんじゃなくて、地域の人と地域のことを調べながら知りながら楽しみたい。」という思いが、松本さんの中で同調した感じ・・・でしたか?
松本:そうですね、四倉町大野っていう地域があるんですけど、2023年の3月に大野中学校が閉校になったんです。その2年前に大野にあった2つの小学校(大野第一・第二)が閉校になっています。
私が寺澤さんと知り合ったのは、演劇みたいなものがきっかけで…。
参加者:すみません、演劇みたいなものってどういうことなんですか?
寺澤:演劇っていうと、通常は劇場に行って舞台に上がって人々が踊ったり、演技をしている様子を観客席から見る行為だと思うんですけど、私と藤城さんがいわき市の文化事業の流れで、内郷白水町でツアー型の演劇作品を上演させてもらったんですね。バスで移動したり、何か持たされたり踊らされたり、観客も参加して一緒に作り上げていく、演劇みたいなものという表現にならざる得ないものをやっていたんです。
参加者:なるほど!
松本:私もアマチュアで演劇をやっているんですけど、私にとってそのツアーは衝撃で、参加者として歩きながら、風景が変わりながら演者がいて、土地と演者が一緒にそこにいるという空間の中に連れていかれる感覚が、すごくショッキングでした。
松本:私の中で、自分が生まれ育った「いわき」にいて演劇をやっている意義みたいなものを考え出して、やっぱりここに私は住んでいて、都会に行ったこともなくずっとやっているのだから、ここで私が演劇をやっている意義は、ここの人たちとやることなんじゃないかと思うことがあって。
「土地に行って、人の話を聞いて、その人を演じる」というものに出会ったんです。それを5年くらい続けていまして、そんな中で寺澤さんにも出会って。
松本:あと、去年やった作品が、なくなってしまう大野。中学校がなくなるということは、そこにこれから先未来があるとは思えないじゃないですか。
子供がそこにいない、中学校がないんだから子供達はどっか行っちゃうわけですよ。私は大野がすごい好きとかではないんですけど、そこにすごく危機感を感じて。
自分も田舎が嫌で結婚してそこから出ちゃった身だけど、ここがなくなるのはなぜ…?っていうのがずっとまとわりついていて。で、中学校がなくなるにあたって大野の物語を作り、そしたら中学校が閉校する前に演劇を作りたいと、学校の方からオファーがあって、子ども達と一緒に作ったんです。
なくなってしまうだろう地域がある。なくなるんだから、なくなるところから始まるものがあってもいいんじゃないかと思ってきて、そんな時に寺澤さんに会って、自転車で巡ってみたらつながるかもしれない!と思ったんです。
寺澤:松本さんが2月に「あさかちゃん走ろう!」って言ってくれて、その時にコースとかスポットとかを松本さんがすでにある程度考えてくれていたのと、松本さんのパーソナリティや地元の方との繋がりのおかげで、思いが立ち上がって出来上がったと思っています。
ー 人それぞれの地域の見方
松本:あと私はこれやる時に自分の中で、疑問が一つあったんです。昔、鉱山があった場所なので四ツ倉駅からトロッコが走ってて、線路があって印象的だったんですけど、撤去されて道として整備されて自転車にとってはとても走りやすい道になったんですよ。でも私の中では、その道が途中でぶつ切れになってる場所があって、ここってトロッコが通ってたはずなのになんでないんだろう…ってすごく疑問で。
そしたら、鉄道大好きな若者と一緒に走ったら、「ここはここからこう通ってたはずだ!」と、航空写真とかを調べて見せてくれて、そうかも…!と自分の中で繋がったのがすごく嬉しくて。
あとは、銅を出るところだったので、からみレンガっていう銅が混ざったレンガがあって、倉庫も前まであったけど朽ちてしまっていて、それでもレンガがあるところに草が生い茂っていて、『ラピュタ』みたいでしたよ。
寺澤:ほんとに!遺跡でしたよね!元々は学校があったり、、桜木町っていう繫華街だったらしくて、建物の外壁くらいが少し残っていて。
松本:それを目にすると、学校とか本で学ぶ歴史とは違くって、こういうものがここにあって、こうだったのかなあって想像するだけですごくって。
だから、そういうものにその場所で出会う、『時空散走』ってその通りで、歴史を遡って自分のイメージが膨らんでいくっていうものに出会って、『時空散走』すごいと思いました。
演劇なんかも、色んなものの見方がチェンジするきっかけだったりするのかなと思っていて、これが演劇的っていうのはそういう意味も含めてそこに行って何かに出会って自分の見方がチェンジするところかなと思います。これからこの時空散走をやっていく中で、自分の見てきたものとは違う大野を見たいし、よそから来た人達とも、自分のルーツとかを重ねたりして。
寺澤:時代と重ねたりね、「その時代は俺の家はこうだった」みたいな話になって、全然地元の人でもないのに、めっちゃ盛り上がったのが面白かったですね。
松本:そうそう!なんかそれがいいのかなって。今回、サポーターをやらせてもらって、ガイドみたいに完璧に地域のことを詳しくなくていいのか!って思えて。私の中では、自分がずっと演劇やってきたことが、ここに帰着している感じがしています。
ー 公共財としてのマップから広がる可能性
松本:この地図ができて思ったのが、佐藤さん(同級生の参加者)が住んでいるもうちょっと奥の方にも面白いスポットがあったりするんですけど、陸奥さんが言うには、「何でもかんでも載せたらいいってもんじゃない、ピックアップしたところで、一緒に走ってもらった時に地図に載ってないものに出会うのが面白いんです」と仰っていて。
なるほど!と思いまして。大阪あそ歩で300に至ったのと同じように、この先を自分がやりたい!と佐藤さんが言えば、新しいコースができたりだとかする未来がある気がしますね。
寺澤:マップも、一応スタート・ゴール書いてあるんですけど、あくまでマップのものであって、ショートカットコースだったり、ツアーならではの、ツアーに参加しないといけないスポットが多かったり。昨日の植田ツアーでは、里奈ちゃんの実家に行ってね。
陸奥:マップは公共財なんですよね。自由に、自転車でも歩きでもいいという形で作っているんです。大阪では、毎週、毎日、大阪あそ歩のマップを持って駅集まってみんな歩いてるんですよ。
いわきでも30エリア、30コースを5年くらいかけて作っていきたいなあと思っていて、なんで30なんだって話なんですけど、
大阪といわきで300、30と数が違うのは、人口の差なんですよ。大阪は、270万都市なので300マップくらいできるだろうと考えたんです。マップを作っても、やる人がいないと意味ないですから、大阪市には300万人いるので、300人のプレーヤーを見つけて、その人たちにわが町を歩いてください、そういうツアーをやりましょうと始まったんですよね。
いわき市は、30万都市なんで30人の、思いがあって志があって、わが町を盛り上げたいというやってくれる人がいるだろうと。それで、30エリア30コースっていうのを決めたんでちゃんと裏付けはあって、だからいわきで300はできないけど30はできるという確信があるわけです。
それで今走り出していて、実際に今サポーターさんたちに出会うことができていて。出会うにはやっぱり時間がかかるんですよ、だからそれも5年間くらいかかるだろうなっていう。お金も、出会いも、時間も、思いも必要です。やっぱり思いが伝搬していかないと、進まない。
マップはマップで楽しめるもの、面白いものなんですけど、ツアーは色んなサポーターさんのここに載っていないもの、ひと、こと、みたいなことに出会えるのが面白い。例えば、マップに『正木家』なんて書けないですから。(笑)それは、正木さんとツアーに参加した人の特権になるわけです。ツアー独自の面白さがあると思います。
寺澤:今回のこの3つのエリアは、必ずまた春、秋やりますし、どんどん増えていくしやり続けます。フェスティバルは、新しく作ったマップをお披露目する場としてするんですけど、それに合わせて既存のマップのツアーも開催していきます。
土日に限らず、平日にやることも考えています。また、今回参加できなくてっていう方も、次があるっていう気持ちで、参加したいエリアを探してもらって、なんなら先に一人で走ってみてツアーに参加した後にどんな変化があるかとかも楽しんでいただけると思います。
参加者:大阪あそ歩は300作ったと言っていましたが、一つ一つのエリアが狭いんですか?
陸奥:大阪あそ歩では、歩きなので1里の範囲で収まるスタイルでした。自転車だともうちょっと機動力があって2里は行けるなっていう感覚があり、そうなると集落を2つ3つ巡ることが可能なんですね。実はこれが街歩きマップとして作った「大阪あそ歩」と違う最大の面白みの一つで、それぞれの集落の色、風土みたいなことが如実に浮き彫りになるんですよね。
寺澤:でも例えば、大野エリアだけで歩きでマップを巡ることも全然大丈夫だと思うし、古墳の周りだけとか、アレンジ可能なので。地域の方々が自分のツアーをどんどん作るなんてことが出来たら最高だと思いますよ!
陸奥:今まで大野・玉山エリアでこのようなマップが作られたことがなかったわけですよ。マップという形で見える化したら、町の人たちの自信、喜び、わが町でこういうことができるんだ!みたいな、それが伝わっていけば勝手に独自の動きで色んなものが生まれてくると思うし、それをぜひやってほしいなと思っています。
だから、松本さんが大野・玉山がなくなっていくんだっていうので悲しみみたいなものがあったと思うんですけど、地域は意外としぶといもんでして、このマップではなくなったものばかり取り上げているんですよね。
でも、あった物語って消えないので、ハードは消えちゃうかもしれないけど、ソフトは消えないから、ソフトを大事にしていくことで伝えられるものがあるし、豊かなものだと思うから、ぜひツアーの時にそういうのを楽しんでいただけたらなと思います。
ー 最後に
寺澤:次のエリアも動き出していて、赤井と湯本のサポーター候補生も今日来てくれていますね。嬉しい!
どんどん増えていくごとに、いわきという地域がこんなに百花繚乱だったということにまた皆さんが気づいてくれるきっかけにもなるかなと思います。
それぞれの自分の地域を掘り下げること、それからまた同じように掘り下げられた他の地域にも興味を持つこと、横断できていくとお互いリスペクトし合えて、よりより「いわき」になっていくんじゃないかなと思います。
これまでのリサーチ中に陸奥さんを囲む会をやってきたんですけど、その時に地域の人たちから、「うえっち、あゆみんあるよ」、「植田は宿場町だよ」とか教えてもらったことがヒントになってリサーチできたこともたくさんあったので、他のエリアのリサーチの際も、皆さんにお話聞きながら、お世話になりながら作っていこうと思いますので、また引き続き応援してくれたら嬉しいです!
皆さんの地元でも作りますので、今日来ていただいた皆さんはサポーター候補生ということで…!!
こんな感じで、今回の『いわき時空散走マップを語る会』は終了。
『いわき時空散走』マップに込められた期待や可能性、プロジェクトに関わる人たちそれぞれの熱い思いが、強く伝わってくる会でした!
プロジェクトメンバーやツアー参加者も聞いていない貴重な話もたくさんあり、また新エリアの『いわき時空散走』マップが完成した時にはマップを囲んで語る会を開催したいと思います!
『いわき時空散走マップを語る会』に参加して頂いた皆様、ありがとうございました~!
文章・写真:井上栞里(NORERU?広報)
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いわき時空散走フェスティバル23レポートはこちら
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