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人は「もうひとりの自分」を探しもとめる

【アフリカ遠距離恋愛日記】
アフリカで遠距離恋愛をしている20代男子の日記&コラムです。

大橋トリオの『ラブリー』(原曲は小沢健二)のMV。たくさんのラブリーなカップルが出てきます。

これを見ていて、「よく似た雰囲気の人同士が付き合ってるんだなあ」とあらためて実感。

君と僕とは恋に落ちなくちゃ

と歌われているとおり、カップルは必然的に、出会うべくして出会うのかもしれませんね。

村上春樹の『海辺のカフカ』では、プラトンの『饗宴』に出てくる話を引き合いに出して、こんな会話が繰り広げられます。

昔の世界は男と女ではなく、男男と男女と女女によって成立していた。つまり今の二人ぶんの素材でひとりの人間ができていたんだ。それでみんな満足して、こともなく暮らしていた。ところが神様が刃物を使って全員を半分に割ってしまった。きれいにまっぷたつに。その結果、世の中は男と女だけになり、人々はあるべき残りの半身をもとめて、右往左往しながら人生を送るようになった
引用元:海辺のカフカ / 村上春樹

ぼくはこの、「人々はあるべき残りの半身をもとめて、右往左往しながら人生を送るようになった」という考え方が好きです。

似た者同士のカップルが多い原因としては、「そもそも自分と似た相手に惹かれやすい」という説や「付き合っているうちに似てくる」という説があります。

どれが本当かはわかりませんがそんなことはどうでもよくて、「半身もとめて彷徨う説」を考えると、前述のMVに出てくるカップルたちもまさに「半身もとめて彷徨った結果」に見えてきますよね。

頭ぽんぽんされてはにかんだり、手をつないで屈託のない笑顔を見せたりできるのも、その相手だからこそ。

いつか誰かと完全な恋に落ちる

って、そういうこと?オザケンさん。

いつか探し求めていた相手と、ぴったり完全に合う日が来ると。

その真偽はともかく、「この人が自分の探してた人だったんだ」と考えれば、「ほかの誰かじゃまるでダメなのさ」って気分になりますよね。

そしたらもうひとりの自分であるパートナーのことも、もっと大切にできるかも

オーベイビーラブリーラブリーウェイ。


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