排他的感情との付き合い方

 クリエイターあるあるだけど、矜持を語る時にやたら「他者を貶める発言をする」「特定の誰かだけを褒めちぎる」人とは関わり方に注意している。

前者であれば、その他者が「不特定多数」ではなく、ある程度特定された「誰か」が想定できるタイプ。俗に言うエアリプだ。きっとライバル視している人を相当意識して発言しているのだろう。後者だと、"尊敬する人以外は認めない" 、という歪んだ姿勢の誇示だ。

それで自分はバランスを取っているつもりかも知れないが、やはり意識とは何となく伝わってくるもので、そこに大きな「排他的感情」が透けて見え、僕は言葉にできない違和感とモヤモヤを覚える。

僕も排他的な感情を持たない訳じゃない。だけど、それを「わざわざ世界に向けて発信するかしないか」で、その人の器を計ってしまうのも事実だ。ヤクザでいう親分かチンピラかの分水嶺、といった感じで。

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 こういった人の発言を観察していると、おおかたが「自分はわかっている」という「知」の雰囲気を醸し出している。ジャンル問わず通ぶる…というか。

この知的マウントが周りから見るとかえって視野狭窄の印象を加速させてしまっており、悲しいことに本人だけが気づいていなかったりする。

さらには、他者へのそういったステルスな一過言はたくさん行うにも関わらず、自分の作品を出す時には「つまらないものですが…」みたいな物言いで、しっかり予防線を忘れない。

昔から、そんな匂いを感じる人に対しては、第六感めいたものが働き、距離を置くことにしている。同時に、反面教師として「自分はその境地に陥ってしまってないか?」を深く考える。

 ある意味、同族嫌悪と言って差し支えないこうした "排他的感情" 。だからこそ、この感情が鎌首をもたげるか否かで、抱えているストレスだったり、自身の現状への充実度を測れる物差しとなるのかも知れない。

そして、僕が大事にしたいのは、やっぱり「何を言うか」より「何を言わないか」なんだよなぁ、と思い直す良いきっかけになってたりする。


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