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退却していいよと言いながら進んでみたりする

「とりあえずやってみたとして、不安になったら、退却すればよい」

と、スマホのトップ画面に書いてある。
っていうか自分で書いたんです。

・・・

なんでこのタイミングなのかな?と思うんだけど、前からずっと挑戦してみたかったとあるジャンルのお仕事の採用募集が、1週間の期間限定でかかった。

もう何ヶ月も募集はストップしていたのに、いま、緊急募集なのだそうだ。

いつもなら、なんの迷いもなく速攻で応募している。
でもいまのわたしは前の日記でも「自分をととのえるのがなんと難しいことか」と書いたばかりで、なにせ、舌のことがある。
大丈夫なのかなって頭をかすめた。

だから、とりあえず応募締切ギリギリまで自分の様子をよくよく観察した。少しでも不穏な感じがあったら、やめようと思った。
が、状態は安定。かなり安定しておる。家族のおかげでもあるし、上品先生のおかげでもあるし、有難いことにやりがいをもって日々働けている仕事のおかげでもある。眠れてるし、食べられてる。

そもそもわたしは転職活動をしたいわけではなく、いまの若者支援の仕事を続けながらも、週1~2くらいでライフワーク的にそのジャンルのことに細く長くかかわれたらいいなぁと昔から思っていた。お金がもらえなくても、ボランティアでもいいとすら思っていたのです。
(今回はたまたま、お給金も発生する募集だったけど)
いずれそのことに関わりたいと思っていたから、社会人学生までやりながら国家資格をとった…というそのひとつの動機でもあったのだ。

つまり、自分なりに、そのお仕事に対してそれなりの思い(熱量?)があったということです。

で、さぁ応募締め切り当日。
迷った。迷ったけど、結局応募だけでもしてみた。しないと大後悔しそうだったから。
書類選考はけっこう書かなければならないことも多く、それなりに自分の思いを率直に、心を開きながら書くこととなった。

書き終わって、いざ送信ボタンを押すのにも少し勇気がいった。
少しどころじゃなかったかもしれない。
10分くらいはマウスに手を置きながら固まってたかもしれない。

でも、きっと人生にはタイミングというものがあって、今回のこれが「そのタイミング」なのかもしれないし、「そのタイミングではない」のかもしれないし、結局はもう自分ではコントロールできないのがタイミングなのだよ。
だから、どっちにしたって大丈夫。

…って思って二日後、「書類選考通過のお知らせ」が届く。
見た瞬間、脳に緊張が走り、ピリッと舌が痛む。
いやいや、大丈夫。
だってそりゃ、こういうお知らせが来れば誰だって緊張はするでしょ。舌が痛まなくても心臓がドキッとしたり、お腹が痛くなったり、それがたまたまわたしはベロにくるというだけで。

そんなふうに思えるようになってきた。
なんでベロだよ、とはちょっと思うけれども。

書類選考の次は一次面接だったはずが、面接はすっとばして、ロールプレイ実技審査が行われるのらしい。おお。緊張するね。自分で日程を選べたので、なるべく後のほうにした。
今週の日曜には四季さん、その次の週にはこまちゃんに会う約束をしているから、たのしく話をしたり、いろいろ近況も聴いたり、応募のことも聞いてもらおう。

なにかをスタートするとき、わたしたちはついつい「戻れなくなってしまう」って緊張したり不安になったりするけど、大丈夫、戻れるんです。
退却すればよいのです。
待機するか否かは自分でも決められるし、もし決められなかったら、他の人に「退却~!」と言ってもらっていいのです。

不安になったら、退却!
それでよい。

そんな気持ちで、とりあえずは実技ロールプレイを受けてみようと思っているとこです。

人生は長いようで短いようで、やっぱりきっと短い。退却しながらも、挑んではみたいよね。退却しながら進む。休み休み、ちょっとずつ。

・・・

ここのところ、上品先生が診察のときに異常に優しくていらっしゃる。
おそらく前々回の診察で泣いてしまったからであろう。目の病気になった頃から考えたらもう3年前からさんざん会っているしお世話になっているのに、診察中に泣いたことでとてもびっくりさせてしまったみたいだ。

いつもはお薬の調整とか、最近の調子をさくさくっと聞いて、うん、じゃあこのままいってみましょうとか、0.5だけ足してみますかねとか理知的にお話する感じの方なのに、その話がすんだ後、椅子ごとくるりとこちらを向いてじっと顔を見て、とても優しい顔をしてわたしの表情を確認し、にこっと笑われた。
「うん。この前よりもお顔も大丈夫そうですね」。「気持ちはすこし楽になりましたか?」と優しく言ってくださる。

すみません、この前そんなに大丈夫じゃなさそうだったんですね…と改めて思う。
わたしいま、結構というかぜんぜん大丈夫になっております。ほんとすみません。

そういえばあのときわたしは泣きながら「わたしは絶望しやすい性格なんです」なんて言ってしまった記憶がある。
「この痛みが一生続くのではと絶望してしまって…泣」と。

「絶望して泣いちゃった人」として心配してくださっているのだろう。
そりゃそうだよな、わたしだって、相談しに来た若者が絶望して泣いてたら、めちゃくちゃ心配するよ。

それにしたって、相変わらず週に2回も通わせてくれているのは大変ありがたい。普通ならこの感じなら2週は開けるだろう。せめて週1。それでも「今週末また来ます?」と来させてくれる優しさよ。
上品先生に会って、5分でも調子をお話できることが、いまのわたしにとっては「すこやかである」ためのお守りみたいなものだ。

人はこうして、いろんなお守りをつくりながら、生きてくんだろうなあ。長くも短くも、やっぱり長い人生の中で。