見出し画像

「書く仕事がしたい」って宣言するハードルがまず高いのですが宣言します。

「私〇〇がしたいんだよねー」とまず宣言すること。
宣言なんて大したものじゃなくても、近い人に話してみること。
そうすると自然とご縁が舞い込んでくるものなんですよ、みたいなこと。

めっちゃ分かる、分かってはいるのよ。
以前どこかで耳にした「看板を出しておく」っていう表現がとてもしっくりきてて。
ここは果物屋さんでーす!って看板を出しておくと、果物が欲しいひとや売りたい人、果物のことを知りたい人がお店に入ってきてくれたり窓から覗いてくれたりする。
看板を出さずに「果物屋さんやりたいなあ」って思ってるだけだと、もちろんドアを開けてくる人はいない。そりゃそうだ。看板でてないのにドア開けたら犯罪ですよ。
果物屋さんでーす!の前の、果物屋さんやりまーす!のノボリでもいいよね。
そしたら「ここで果物屋さんやるの?それならこの農家さんなんてどう?」って話がきたりするのかも。
そういうことだよね。

私はこのごろ「書く仕事がしたい」と思っています。

なぜかというと、noteを書くのがとてもとても楽しいから。
理由はそれだけ。

趣味で書いてりゃいいじゃんか、と言われそうだけど、こうやって不特定多数の目に留まるプラットフォームで書くことを楽しいと思っている私は、きっとなんだかんだ言いながらも「見てほしい」んだと思う。
となると、効率的に「見てもらう」にはお仕事で書くのが一番なのでは?
あと、こうやって楽しめていることでお金がもらえたら嬉しいよなあ、という甘い考えもあり。

なので、「書く仕事」がしたいのです。

さてさて、そうなると。
noteでこんな宣言するのも私にとっては第一歩ではあるけれど。
リアルの友人や知り合いにも公言していった方がよいんじゃない?
夫含め知人にはメディア関係者もたくさんいるのだから、今ぱっと浮かぶ皆さんににわわわーっと声をかけて営業したらどこかしらの編集者さんには繋がりそうな気がしてる。

でも、それがどーーにも恥ずかしくて。

私の「書くこと」の実績はこのnoteだけ。
コラムともエッセイともつかないこのnoteの記事たちは、何も後ろめたいことや恥ずかしいことは書いていないのだけど、作ってないカッコつけてない私の思考の垂れ流し、頭の中をパッカーンとさらけ出して書いているので「恥ずかしい」と感じてしまう。

さすがに手ぶらで「私!書く仕事が!したいんです!!」は説得力がなさすぎる。
だから「私こういうnote書いてまして」がセットになると思うんだけど、そのnoteの記事を相手に読んでもらうっていうのが恥ずかしいよねえ。
「私と言えばこの記事」という名刺代わりの記事が無いのも要因のひとつかもしれない。

この恥ずかしさ、どうすれば払拭できるのかしら。
そもそもなんで恥ずかしいのかな。
・普段見せてない本音を書いてるから「そんなふうに思ってるんだ」って思われながら今後接せられるのがちょっと。
・普段話してるトーンと違うテンションのノリがたまにあるので引かれそう。
・子供時代を振り返って親をdisってる記載があるので、親が見たら悲しむかもしれない。
うーん、こんな感じ?
でも別に、noteに書いてることって嘘ではないんだよね。
そして、近い人たちには見せている面だし知られている考え方な気がする。
つまり?
「恥ずかしい」って思うのって、
「顔見知り以上友達未満」な関係の人たちにどう思われるか
だな。
例えば同じマンションや保育園で挨拶する程度のあの人やあの人にどう思われるかってこと?
そうなの?
そこが恥ずかしいのか私は。
まだ「人様にどう見られるか」をここまでも気にしてるんだな。
この感情とは長いお付き合いになりそうですね。

改めて考えてみるよ?
この距離の人たちにどう思われるかを気にして公言しない。なんて、勿体なさすぎない??
友達でもない知り合いにどう思われても、私の人生に影響しなくない?
知り合いが減るのはそんなに困ることじゃない気がするし、書いてることを知って知り合いが友達に、知り合いが仕事仲間になったとしたらむしろ最高なんだが??
噂をするなら勝手にすればよろしいですわくらいのスタンスでいたいしね。

うん。
なんだか腹がくくれてきたぞ。

どうしようかな、このデザインでいいかな、って思ってた看板を、にじにじと少しずつオモテに出し始めたよ。

「書く仕事」始めるぞ!

この記事が参加している募集

いま始めたいこと

with アドビ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?