2023年の乃木坂46楽曲を振り返る(駆け足)

こんにちは。最近の私は乃木メで回りに回ってmiyutalkだけを購読しています。

今年リリースの乃木坂の曲の感想どれぐらい書いたっけな〜〜と思って自分のnoteを見返してみたら二度見しか書いてないことに気づいてびっくりしました。この記事では今年の乃木坂46楽曲(表題曲・カップリング曲)について駆け足で書いていこうと思います…


32ndシングル『人は夢を二度見る』

 表題曲『人は夢を二度見る』についてはこちらの記事で詳しく書いています。

 なるだけ肯定的に書こうと心掛けていた時期の記事ということもあって比較的ポジティブな感想ですね。この楽曲は人によって割と評価が分かれているイメージなのですが、それでいうと私の場合は平均的な乃木坂ファンの人より評価が高めなのかなと。個人的にはadd9や四度堆積などの不気味なニュアンスがおもしろいと感じます。

 『僕たちのサヨナラ』は乃木坂の全体曲の中ではシンプルなギターロックで、額縁衣装に代表されるような煌びやかな装飾が削ぎ落とされているイメージ。セカオワで言うと『エデン』や『蜜の月』に似た暖かい雰囲気で良くまとまっていて聴きやすい。比喩の鯉口を切るタイミングも早い。卒アルラジオ最近聴けてない。

 杉山勝彦さん作曲の『心にもないこと』は高音域のピアノとストリングスが爽やかな王道アイドルソング。5期生曲は王道歩きすぎてる。
 サビの小室進行に乗せたキャッチーなメロディと疾走感が小気味良い。テンポをちょっと落としたら40mPっぽくなりそう。それだけ耳触りが良いということです。

 『黄昏はいつも』は遠藤さくらと井上和のユニット曲だが、牧歌的な表現はさくちゃんに寄っている。シティポップとモータウンを掛け合わせたような曲調で「明日への英気を養えるタイプの架空アニメED曲感」がある。セブンスコードの感じやオーソドックスなⅠ→Ⅲ7→Ⅵmみたいな進行も聴きやすい。
 個人的にCメロ〈空の色が〜〉の部分にやたらディズニーみを感じる。おそらく歌メロにリトルマーメイド、2サビからの手際の良い短三度下転調に美女と野獣を想起しているために夢の国の景色が広がるのだと思う。歌唱面では〈思えば思うほど〜〉とか和ちゃんの塗りが強い。和ちゃんの歌声がもし卵の黄身なら爪楊枝しっかり刺さりそう。ここ二人で組ませたい気持ちは分かるけれど、ここでは歌声のアンバランスさに阻まれているのかなという印象。
 昔「ひらがなくりすます」でねるさん(兼任解除後?)ソロ曲の『100年待てば』を現日向坂メンバーで多幸感たっぷりに披露していたことがあるらしいですが、それみたいに4期とか5期で"黄昏"やってほしい。楽曲の注目度と評価一気に上がると思うます!

 『Never say never』は野球ユニット?の楽曲らしい。もう恋なんてしないなんて言わないよ絶対。アンダー曲の『さざ波は戻らない』はMVの林ちゃんのシルエットが綺麗。サビ〈どこまでも澄んでる〉のような音程が合っているのか不安になるメロディと後半のまとまりのある丸サ進行パートのギャップが推進力になっている。
 本体のライブよりアンダラの方がメンバーの創造性が尊重されている印象だが、それに対して近年の懐メロに形を決めたようなアンダー楽曲はどうか。

そんなん知らないELLA

33rdシングル『おひとりさま天国』

・表題曲の『おひとりさま天国』は(聞き覚えのある)E♭メジャーキーで4156進行のEDM風ソング。君だけの光きっとあるよ

・こちらの記事で「アイリッシュトラッド風のメロディが繰り返されるEDM」と評されているのを読んだ。アイリッシュトラッドって何やねんと調べてみるとケルト系の音楽を指すとのことで、言われてみれば、確かにおひ天のドロップ部分のメロディラインだけを聞くとケルト音楽っぽい雰囲気も感じる(厳密にはアイリッシュ音楽=ケルト音楽ではないらしいのですが。日本も韓国も中国も同じだろ的なスタンスの欧米人みたいな認識でごめんね)
 このフレーズの最後の方では装飾音(短前打音)が出てくるが、頭の中をワールドワイドにして聴くと、この部分がバグパイプの独特のサウンドを表現しているようにも感じる。EDMの音楽はドロップの部分で何かしらのクセになる要素が適用されることが多いと思いますが、おひ天ではケルト系の音使いや民族楽器のエッセンスを混ぜ込むことでドロップの聴きごたえを生み出しているのかなぁと感じました。適当に喋っています

・〈みんなで集まりゃ恋バナばかり〉との歌い出しは完全に「おひとりさま音頭」である。坂道楽曲でたまに出てくる「〜すりゃ」みたいな言い回しって特に違和感のないものとして受け入れられているんでしょうか?

・MVはサムネにも使われているビルドアップ(サビ前)の映像表現が良いなと思いました。MVで屋外のシーンが全く使われていないのは酷暑が原因とかじゃないと分からない。

・サビメロの頭の方はAメロに来ても違和感がないような作りで、低めの音からじっくり盛り上がっていくのが特徴的(『Dragon Night』のAメロとかがそんな感じ。また、調べてみるとサビ前半部分のメロディがイギリス民謡の『Long, Long Ago』という曲のAメロに少し似てるっぽい。民謡ってAメロとか言うの?)。サビに入ってから起承転結で盛り上がりを構築していく、自己相似的な感じは新鮮。

・制作途中のものを間違えて送っちゃったのかな??と思ってしまう歌詞。全体的に「わかり合えなさ」の表現が大味で感情の機微が捉えられていないように見えるのは百歩二百歩譲ってEDM調のトラックに合わせるための方向づけと解釈できるとしても、語呂の良さを損なってまで2サビの〈略奪〉をねじ込む必要性は私には発見!できないし、〈嫉妬から始まる〉はもう歌ネタの譜割りじゃん、「嫉妬"で"」とかではダメなん?などいろいろ思う。2番のただ分量を稼ぐために用意されたような羅列パートも気になるし、これは手抜きではないんですか?

・新参者とスタ誕ライブは各最終公演を配信で観たのですが、おひ天は5期生単体での披露の方が心象は良いですね。やっぱり「井上和の初センター表題曲」としての物足りなさはある。
 5期生ライブは「正確な音程で歌えるのが当たり前」のスタンスで見れるので個人的にかなり好きです。閑話休題。

・冒頭の「君だけの光きっとあるよ」じゃなくて.ちゃんと「キーとコード進行が『僕だけの光』と一緒」みたいに書いたほうが親切だと思います!

パンダとかゴリラみたいなベタなお笑いでは
笑ってくれなさそうな京大生レイちゃん


 我らが清松ピュアパインの松尾美佑ちゃんがセンターのアンダー楽曲『踏んでしまった』は、割としょっぱめなA, Bメロを経てJust進行の麻薬的な快楽が高BPMで送り込まれるサビが気持ちいい。

 『誰かの肩』は『僕たちのサヨナラ』ぐらいの評価値が出ていてもおかしくないような完成度だけど、個人的にバラードを摂取する習慣がないのであんまり聴けてはいない。楽曲が出たぐらいの時期にTwitterでこの曲は本来ELLAちゃんの飼い主の卒業曲的な位置付けだったのでは、すごい歌詞にたこ焼きガールみを感じる、みたいな話を見かけましたが、もし本当に祖父母がローマで出会った女を歌った楽曲なら余計に聴けなくなる。

 Monopolyの前哨戦ともいえる『マグカップとシンク』はサビ序盤に出てくるsus4っぽい響きの部分で一気にかきさくの世界観に引き込まれる感じがする。5期生曲『考えないようにする』は当時そういう気分じゃなかったので、MVも、それを受けての様々な感想や考察にほとんど触れられていません。なので楽曲・MVおもしろ考察とかも出ません。批評は眉唾だけど考察は面白いよね、みたいなこともありません。他を当たってください。

 運営さんが一番まゆたんとか弓木ちゃんを雑に消費してるじゃんって『お別れタコス』に対して思う。『命の冒涜』は爽やかなサウンド感やメロディがゆんちゃんの歌声に合っていて綺麗。ソロパートで高音がちゃんと出ると歌メロが薄められてしまわないので良い。

可愛すぎサンタあーやさんも駆け抜ける師走

34thシングル『Monopoly』

・暗いイメージの4563進行で突き進む『Monopoly』のサビには古き良きJ-popの情感がある。わたしはポケモンDPの『バトルフロンティア』を思い出したよ(Crahsさんの動画でなぜか4536(王道)進行として解説されていましたが理由は私にはよく分かりません)

・楽曲全体を通してメロディにおけるアクセントの位置が完全に固定されていて、さすがに耳に残る。『ありがちな恋愛』メソッドを表題曲に適用しました、みたいな曲。歌詞の詰め込みを未然に回避していることも見逃せない。

・耳心地は抜群に良いけれど、新体制の乃木坂を後押しできるだけのパワーがあるかは不明。音楽的な目新しさだけが存在していないように感じる。

・MVはミッケみたいな世界観がやみつきちゃんになりますが、ラストでなぜかまゆたんが後ろに追いやられているので駄作です。まゆたん船乗せろ。
 序盤の積み上げられた有形のレガシーが崩れるシーンでところどころ力学的に不自然な崩れ方をしているのは、"あの"外力にまともに対処できなかったためにグループが瓦解しかけている現状のメタファー?

この曲乃木坂に欲しいよ


 『思い出が止まらなくなる』
はyouth caseさん作曲で、『好きということは…』のような口当たり爽やかな順次/半音下降進行系アイドルポップ。1つのサビの中で目まぐるしく展開していくところが聴いていて面白い(サビ7小節目でゆるやかにハンドルが切られて12小節目のB7(Ⅲ7)までの流れが好き)。1サビ終わりのアレンジ(鍵盤の感じ)に10年前ぐらいのセカオワっぽい多幸感があるのも嬉しい。
 ただ個人的にはyouth case曲に対しては直接的に爽やかアイドルソングを志向していなさそうなものほど魅力的に感じる傾向にあって、この曲でも部分的に王道進行が使用されているBメロ後半のテイストが好感触。ビートがもっと重厚な感じだったら感想も違っていたかもしれない。youth case曲のハードルを高く設定しすぎているだけという説は大いにある。アルノさんセンターは意外。

 ぱっと聴いた感じだと『助手席をずっと空けていた』はチェンバロみたいな音色とスケールの外し方がちょっと新鮮(後者は『ここにはないもの』が記憶に新しいけれど)で、メロディも結構良い感じ。

 カップリング曲の中だと『羊飼いよ』が一番好き。ディスコ?ファンク?な感じのトラックが新鮮で、アルノさんのしゃくりが効果的に入ることでメロディのヨナ抜き感が増しているのもプラスに働いていそう(和洋折衷)。それだけに〈さあ淡々と〉〈平静装って頑張れ!〉あたりの歌詞がスベって聞こえてもったいないなぁと思う。「46まで数を数え上げる」というコンセプトは個人的にはアリだと思うけど、その他のディテールの弱さでダメにしている印象(「かっこいい」→「ダサい」)。歌詞の骨格だけ秋元先生が決めて、そこから先は十分に作詞に割ける時間とある程度フレッシュな感覚を持っている人に任せる、みたいなやり方が最善なんだろうなぁと時々思う。そもそもそんな人がいるかどうかは知しませんが。

 『スタイリッシュ』は昭和歌謡の有名な方が作曲をされているらしいんですが、今このユニットでそういうことをやる意義が私には分からなかった(古めかしい楽曲はもう飽和状態なので)。何か正しい聴き方があるのかな?『手ごねハンバーグ』はキュッキュキュ〜みたいな音を聴けばいいのかしら。今シングルは音楽の方向性がサビ終わりのサブドミナントマイナーのところ(〈コネコネした〉の「た」)みたいな空気の、こう…年季の入った感じで統一されているように思う。

 最近のカップリング楽曲群を聴いていると、期別曲とユニット曲の差異について軽く考えたくなる。乃木坂の場合、特に乃木どこ/スキッツの4期生以降は期別での活動に比重が置かれている印象がある(乃木坂的フラクタル)。期別曲はその中で自然と醸成されていく空気感を作品の制作におけるシナジー創出のヒントとして活用できるようになっているので、歌唱メンバーにフィットした、ファンからも求められている楽曲を作りやすい土壌が整っているといえるのかもしれない。
 一方のユニット曲では、メンバー同士の関係性があまりパッケージ化されていない状態から楽曲を制作することになるため、プロデュース側の手腕が問われる部分が大きいのかなと思う。そうなると近年の乃木坂では運営さんが能動的に行ったプロデュースもといセット売りが高確率で不発に終わっていることになる。好感触なアトノマツリは4期内ユニット。
(そういえば3期生以前の時代は自動的にユニット曲もだいたい同期内ないし同年代のユニットになってたんですね)

 お別れタコスがファンに聴いてもらえてないのに平気で同じような曲を量産しているのは一切のフィードバックがなされてなかったりするのだろうか。それとも私が知らないだけで好評だったりするのかな。
 『助手席を〜』は同期内ユニットだったらまだ一定の評価は得られてそうだな〜と思った。もう期を隔てたユニットで上手くいくビジョンが見えない。

『いつの日にか、あの歌を・・・』の作曲は二度見と同じ松尾一真さん。オンコードの感じに小さいロボットくんみたいなシンセの音が合わさるイントロが乃木坂5期生の特異性にマッチしており、このように松尾楽曲は「どこか不思議/不気味な合唱曲」が志向されているように感じる。個人的にこういうコンセプトは面白いからもっと色を出してほしい。
 なぜかは分かりませんがサビの2小節目のパッシングディミニッシュのところ(〈私たちが〉の「が」)で、めっちゃ転調して本サビ入りそう!フラグ立ってる!!と感じる。なので転調しないんかい!って毎回ちょっとずっこける。
 歌詞を見ると何がなんでも乃木坂が持つ物語性を背負わせたいという気持ちが伝わってくるが、5期生ちゃんが新参者最終公演のWアンコールでストーリー性をかなぐり捨てるように『I see…』を披露していたのが全てだと思う。文脈とかナラティブを大事にするタイプの人たちは見てて泣いちゃったんじゃない?
(ちなみに私は「アンコールって始まる前はワクワクするけど結局やるのダンケシェーンとかなんだよね〜」とか「5期生ちゃん忙しい中頑張ってやるから4期のyouth case曲ちょっとぐらい分けたってええよ〜」とか呑気に考えていたので本当に来てびっくりしました。ライブ観ながら何考えてんだ)

 最近の乃木坂楽曲をそこまで楽しく鑑賞できていないのは、乃木坂46を期別で捉えた場合の興味が4, 5期(重み付けしたら4.25期ぐらい)に偏っている+乃木坂内での3期生のプロダクトにいまいち期待できていないことも原因のひとつなのかな〜と思う。
 もちろんメンバーを乃木坂46の外側で見たときは「かとした」が嬉しかったり、外番組の与田ちゃんは全然外さないし、東パソのあやてぃーさんは人畜無害お姉ちゃんって感じで良い印象だったりするんですが、本体で集まったときの強みのようなものが私には合わないと感じてしまうんですかね〜。
(例外として久保ちゃんとかは乃木坂の作品でも結構好きなイメージ。この辺はよく分からない)


楽曲の訴求力が小さかったからなのか、あるいは私がアーティストのケアに最善を尽くさない乃木坂が嫌になってしまったからか、インターネットで適度に音楽知識をひけらかしながら批評チックなことを言って気持ちよく消費するようになってしまったからかは分かりませんが、個人的に今年の乃木坂の楽曲には全然乗れなかったな〜と思っています。コンクールなら金賞なし!って言われちゃうやつ。

坂道ソートみたいなことは同時並行で書いている日向坂の振り返り記事でやると思います。それでは。

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