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愛も存在しない(映画『悪は存在しない』を観て)

自分の性格だけが捻くれてるわけじゃないんだ、と確認したい人におすすめする。

あらすじはこちら↑もしくはそこかしこで書かれているものより

愛が足りない

ラストシーンが衝撃的である。誰も予想ができない形で幕引きになるのだが、その予兆的なものはずっと映されている。物語を通して都会側の人間が身勝手な論理や意見を述べているように見えるが、山側の人間も、手を繋がない父や好意に甘えるうどん屋、迎えのない子どもを帰らせる園に、鹿を仕留め損ねる猟師がいる。誰も彼もが自分のことを一番に考えているように見える。愛が足りなければ悲劇が起きる。悲劇が突発的で無秩序であるように見えて納得感もあるのは、そのせいだと思う。

自然は見ている

自然は太古から畏れの対象である。当たり前に怖い。夜の山はイヤだし、荒れる海には近づきたくない。しかし「自然と共存する」ということは、夜の山にも棲み、荒れている海とも生活することで、常に理不尽な死が付き纏う。おまけに普段の生活もしにくいから、どうしても隣人同士で仲良くしなくてはならない。結果として、自然と距離を置くように多くの人は平地に降りてきている。だけどそれで逃れられるものじゃないんだなというメッセージを受け取る。自然的なものから逃げた気になってないか、あるいは理解した気になってないか。今もすぐそばにあって、想像しているよりも深くて意味不明で真っ暗なものなのだと突きつけられた。

圧倒的オススメ

この監督の作品が好きだ、と言えるのは幸せなことである。期待にハズレがなくなり堂々と映画館に行ける。

またしても「頼むからこのまま終わらないでくれよ」という願いをあっさりと裏切られるのが腹立たしくも、しかし余韻で楽しめるのは有り難くも感じる。

濱口竜介監督の作品の登場人物には、違和感と好感が持てる。大体の物語に存在する慈愛や思いやりに満ちた人間が出てこない違和感(そういう非現実的な人がいなくても映画は成立するのか!)と、あまりにも自然体に自己中な人間ばかりで共感を覚えてしまうような好感である。

『ハッピーアワー』という映画がある。そちらでも表情やセリフがリアルで、日常の延長線かのような映像に仕上がっている。鑑賞後は日々に侵食してくるような感覚を味わったが、今回はそれと似ている。作中のそこかしこに自分がいるような気がするし、自分の日常の中にに作中の人物が潜んでいるような気もする。

うまくやっているつもりな時ほど、見返すといいかもしれない。

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