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静かな世界

1.5倍速のモーニングサテライトが流れるipad miniを抱えながら朝の準備をし、2倍速でvoicyを聴きつつマンガを読みながら通勤をし、テレビが流れる部屋で将棋をしながらストレッチをして1日を終えるのが日常だった。

そのどれもがあまり身についていない。

モーニングサテライトはそもそも1.5倍速で観て理解できる内容ではなく、朝の通勤時間はタイムスリップした感覚で、将棋は3年間1級に上がれず苦しんでいた。

「ながら」がよくないのは明白だった。

よく言えば合理的でわるく言えばケチな僕は、時間に対しては特に厳しくて、自分でコントロールできる範囲であれば、なにはともあれ計画立てて効率よく物事を進めなければ気が済まない。休憩時間やのんびりする余白すらも計画の内であり、そういった時間を産むためにやらなければいけないことをできるだけ詰め込んで終わらせる。大学生の頃は、サッカーのコーチをした後に、運転しながらスーツに着替えて塾の講師のバイトに行っていた。

しかし、「やらなければいけないこと」が増えてきた。

〇〇したいという「欲」、〇〇するべきという「責任感」も多い方だ。やりたいことは100個以上あり、「しようね」と約束したことは履行されないと所在ない心持ちになる。20代前半のうちはそれでもよかった。思いつく大抵のことは実現可能なことであり、自由に使える時間も多かった。しかし同じような感覚で過ごして気が付くと、わりと生活が忙しくなっていた。昔の感覚で運動をしていたらケガをするのと似ている。だから「やらなければいけないこと」の棚卸しをする。

結局、問いの最終地点はいつも「どうに生きたいのか」である。

なにかを得ることはなにかを捨てることであり、その逆も然りだ。焼肉に行っても、もはやカルビを食べ続けることはできない。食べたいものですら食べられないのに、無尽蔵に欲し続けたりやり続けたりするのは難しい。優先順位をつけようとすると、結局、なにをしていきたいか、どのように生きたいか、と己と向き合うことになる。僕はもっと、カラスの声や駅のホームで佇む人、開発から取り残されたボロいアパートなんかに気を配りながら、そこから感じる自分らしさみたいなものを発信していきたい。その発信の過程で勉強が必要であれば、持ち前の好奇心でもって貪欲に学んでいきたい。

「優先順位付け」と同時にそれを可能にする体力もほしい。

一方で、では、なぜ過去できたことが現在できないのか、あるいはなぜできない人とできる人がいるのか、という問いにも向き合わなければならない。「ながら」で加速度的に力をつける人もいるし、休まず思考も身体も働かせる人もいる。優先順位8とか9すらも楽しみ尽くせるのならそれは羨ましい。ひとつは体力ではないだろうか。僕は身長178cm体重76kgと身体は大きい方だ。しかし体力がない。夕方からスイッチが切れ始めて11時には睡眠状態になる。燃費が悪い。

決めたことがある。

忙しいとか痛風であるとか寒いとか暑いとか、あらゆる理由でやめてしまったランニングを再開させる。
インプットの手段や内容は必要に迫られてから柔軟に選択する。
そうやって行為の断捨離を、今年は意識しようと思う。

airpodsを手放して歩くことに集中してみると、想像していたよりも世界は静かなことに気付く。

最後まで読んでくださいましてありがとうございます! 一度きりの人生をともに楽しみましょう!