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起業家はまずYOASOBIを聴くべし

みなさん、YOASOBI聴いてますか?基本的に古い音楽ばかり聴いているタイプな私ですらハマるくらい流行っていますね。

「夜に駆ける」のカッティングとかキーボードとか転調の部分とか、「あの夢をなぞって」のギターソロとか、「アンコール」のファルセットとか鳥肌ですね。曲のパーツパーツに言及していけばキリがないのですが、なんというか、全体の世界観とその密度がとても高い音楽だなと、なんとなく思っていました。

そして最近知ったのですが、これらの曲には原作(?)の小説があり、それを楽曲にギュッと圧縮したものらしい。どうりで密度が高いわけですね。MVのアニメもまるで映画のようですし。「アンコール」なんかはセカイ系そのまんまですし。

音楽アーティスト一般に関しても、ファーストアルバムに全てが集約されている(だからクオリティが高い)と言われることもありますが、それはアーティストのそれまでの人生において蓄積されてきた経験や想いが濃密に詰まっているからなのでしょう。

いい作品は、かなりハイコンテキストなものを、ギュッと圧縮して煮詰めたときに生まれるのかもしれません。

元音楽プロデューサーの四角氏も、著書で以下のように述べています。

不特定多数へシャワーのごとくバラまこうとしても、決してヒットは創れない。一人ひとりに、一枚ずつ手渡しするイメージをもって初めて可能性が生まれる。どんなヒットにも必ず、「最初のひとりのお客さん」が存在するということ。

これも、「ひとりのお客さん」という意味でのハイコンテキスト性の重要性を示唆しています。

そしてこれは、(結局いつもの話題に帰着するわけですが)プロダクト開発においても同様なのではないかと感じています。

よく、「起業家には原体験があったほうがいい」とか「自分が欲しいプロダクトをつくるのがいい」と言われたりします。これがいかなる場合にも真だとは思いませんが、不特定多数を想像しながら開発するプロダクトよりも、当事者としての溢れ出さんばかりのハイコンテキストなニーズとか願望を具体化したプロダクトのほうが力強いものになりそうですよね。ペルソナを具体化したほうがいいとか、n=1をイメージしてプロダクトを開発せよといった言説も同根でしょう。

もっとも、ただ単に願望を全部盛り込めばいいというわけではなく、それを「煮詰めて」最終的にはシンプルで洗練された形に削ぎ落としていくプロセスも大事なんだと思います。小説を、その世界観とエッセンスを損なわずに、およそ5分に収まる歌詞と楽曲に削ぎ落とすように。

それが難しいから苦労するのであって、簡単に言ってくれるなよ、という話ですが。

ともあれ、こうして完成したプロダクトは、一見似たような同じシンプルなものでも、不特定多数に向けたローコンテキストなものとは全然ちがうクオリティに仕上がるのではないでしょうか。今後はより一層、プロダクトやサービスのハイコンテキスト性に着目して起業家のみなさんとお話したいなと思いました。

と、偉そうに書いている私ですが、YOASOBIの原作小説は読んでいませんごめんなさい。時間があればいつか。。。

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