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テクノロジーの発展のこれまでとこれから(後編:AIサーバントの出現)

サマリー

  • 長期的には人口が頭打ちになる可能性が高い状況下においては、いわゆる「生産」を限りなく自律制御的なシステムのもとで行い、タスクから解放された人間のリソースをいわゆる「消費」に寄せる分業体制を構築しないかぎり、資本主義は維持できない可能性が高い。

  • 生産プロセスにおける知覚的・運動的タスクを自律制御にて処理し、人間を制御ループから解放するというコンセプトのソリューション群(Bots, Generative AI, Roboticsなど)を「AIサーバント」と呼ぶ。2020年代に入り、技術的にも社会的にも、本格的に普及する前提条件が整いつつある。AIサーバントは上記の分業体制を推進する重要な役割を担うものであり、また、21世紀後半においては「資本」そのものに匹敵する存在になる可能性がある。

  • Narrowであり、かつ、エッジケースへの対応がまだ未熟な現時点において、AIサーバントを有効活用するためには、Business Process Re-engineeringの実施と、当該プロセス全体を管理するOperating System(あるいはSystem of Systems)が求められる。

  • 2050年~2060年頃に「計算」力が爆発的に強化される技術革新が起きることで、産業革命と呼べるような変化が社会にもたらされる可能性がある。その際には、AIサーバントが「できること」はさらに拡大し、BPRの必要性は減少し、人間はタスクからさらに解放されることになる。ただし、「AIサーバント」関連事業者は、NarrowなAIしかない現時点から、BPRを通じた現場実装を進めることで先行してMoatを構築しなければならない。

  • タスクから解放された人間は、主に「仕事のスマイルカーブ」の両端の「仕事」(企画的なものと情緒的なもの)を担うことになる。個々人の向き不向きにフィットした「仕事」がそれぞれにあてがわれるようになれば、適切な仕事の分配(ワークシェアリング)と本当の意味での自己実現が達成される。

(前編はこちら。)


AIサーバント時代の到来

電子機器やソフトウェアの進化により、一定のタスクは現時点においてもかなり自動化されてきています。しかしながら、これらのソリューションは、あくまでも人間がルールを記述できる範囲のタスクについて自動化しているにとどまり、人間がルールを記述できない知覚的・運動的タスクについては対応できません。そのため、人間は知覚面・運動面についてプロセスに介在してシステムの制御を行わなければならない状況が長らく続いてきました。車の運転についても、目の前の道路の状況の把握を人間自身が行い、ハンドルを通じて車体に指令を送らなければなりません。会議の音声をレコーダーに録音したとしても、それを文字にするには人間が介在する必要がありました。特定のイメージを(電子的に)描画するとしても、それが狙いどおりのものなのかを観察しながら筆をコントロールするのは人間でした。人間は依然として「制御ループ」に絡め取られたままなのです。

ところが近年、急激に増強されつつあるコンピューティングパワーと、高度化されるアルゴリズムにより、これまで自動化することができなかった知覚的・運動的タスクを処理することが可能になってきました。自動車の自律走行も高いレベルに達しつつありますし、ロボットには物体認識力が備わりティーチングコストが劇的に低下してきています。また、昨今盛り上がりを見せているGenerative AIの領域においては、「呪文」を唱えるとAIはそれなりの水準のイラストを描画し、Chat Botを通じて簡単なコードの出力もできるようになりつつあります。前編で述べたとおり、ここで起きているのは、広い意味での「計算」の増強ですが、人間の視点からすれば、そこには大きな質的変化があります。

このような、昨今台頭しつつある広義のRoboticsやGenerative AIなど、「知覚的・運動的タスクの処理を通じて、人間を制御ループから解放するテクノロジー」を、本稿では総称して「AIサーバント」(AI Servant)と呼びます。

AIサーバントは資本主義を救う

AIサーバントは、資本主義を今後も維持していくうえで非常に重要な役割を担います。

「資本主義というものは自転車やオートバイのようなものだ。それは止まれば倒れてしまう」という言葉があるそうです。「融資ないしは投資した金額が、増えて返ってくる」というサイクルが止まってしまうと、資本主義も倒れてしまうことを表現しています。資本主義というシステムは、原理的に、成長を続けなければなりません。過去50年間の世界の経済成長率は年平均3~4%の間だともいわれていますが、我々は暗黙に、資本主義という存在は今後も概ね同程度のペースでの成長が続く前提で考えているのではないでしょうか。

資本主義とは、乱暴な言い方をすれば、生産と消費のサイクルを回転させながらそれを大きくしていくことを意味します。これまでの経済成長は、世界的に人口が増えることで、消費が増え、それを満たすための生産及び投資が行われることを原動力としてきました。もちろん、人口の増加は農業分野における技術革命に支えられてきましたし、生産性の向上に関しても幾度かの産業革命による技術的な下支えがあります。このように、テクノロジーも経済成長に多大なる貢献をしているのは事実ですが、根源的には経済成長の原動力は人口の増加にあり、それに追従する形で人口の増加を支えてきたのが技術のイノベーションだといえるでしょう(人口が増加することで技術イノベーションの出現確率が上がるという考え方すらあります)。

しかし、今後はどうでしょう。大腸菌などの菌を培養液中で培養しても、培養皿という閉鎖系環境の“定員”に達すると、増殖が止まり、菌の数はやがて減少に転ずると言われています(いわゆる「環境収容力」問題)。人間も同様であり、地球という閉鎖環境の“定員”に達すると、(火星などへの移住を開始しない限り)人間の数が減少に転じる可能性は高いです。日本は2008年をピークにして人口減少がすでにはじまっており、少なくとも先進国に関しては人口増加ペースが鈍化してきています。アジア全体の人口も、2050年前後をピークに減少に転じるとの予測もあります。地球資源が有限であることをすでに人類が自覚しているという観点からも、地球の“定員”到達は時間の問題であり、発展途上国を含めてどこかで地球上における人口の増加は頭打ちになるでしょう。

注)一方で、人類は歴史上、何度も地球環境の“定員”に達しつつも、技術革新によってそれを克服してきたとの指摘もあり、今後も世界的には人口増加が続く可能性も十分にあります。イギリス古典派経済学も、長期的には社会の成長が停止したり、あるいはゼロ成長の定常状態に到達することを提唱していましたが、農地改良や作物の品種改良などの技術革新によってゼロ成長に陥ることは克服され続けてきていると整理することも可能です。

消費主体(及びコインの裏表としての生産主体)の増加が鈍化あるいは減少すると、資本主義という“自転車”の走行は不安定になります。人類は、この“自転車”に乗り続けるのであれば、人口増加が鈍化、あるいは人口が減少していく中においても、消費と生産のサイクルを一定のペースで拡大し続ける必要があります。そのためには、生産力を補完・増強しつづけることはもちろん、それにとどまらず、消費も意識的・意図的に補完・増強しなければなりません。そして、「消費」という特殊能力を持つのは人間だけです。生産に関わるタスク(制御ループ)から人間を部分的に解放することによって、そのリソースを消費に寄せなければなりません。

注)AIサーバントにより制御ループから解放された結果、仕事を失ってしまう人が出現するケースも想定しなければなりません。後述する「仕事のスマイルカーブ」のいずれかの端の仕事を見つけられるようにするのが理想の社会構造ですが、それでも失職してしまう人に対してはセーフティネットの用意が必要に思われます。いわゆるベーシックインカム的な制度を導入するのか、その際の財源をどのように確保するかも論点となります。

直近の数十年に関していえば、一般的にはソフトウェアの台頭によって「効率化」が進んだと評価されています。しかし、「業務フロー(=人間の動き)をシステムやソフトウェアに合わせる」というのがこれまでの効率化における勝ちパターンだったことから明らかなように、ソフトウェアに対して我々人間が一定のルールに従い、情報やコマンドを入力しなければならず、結局は制御ループに束縛されたままです。むしろ、ソフトウェアの圧倒的な情報処理スピードにキャッチアップするために、人間はますます忙しくなってきているのではないでしょうか。我々は、自らが生み出したソフトウェアに「働かされている」という状態から脱しなければなりません。

この状況は、第一次産業革命当時と類似しているように思われます。産業革命はもちろん人類史における一大革命ではありましたが、人間が行っていた仕事の全プロセスからみた場合においては部分的な自動化が実現したのみでした。力をあまり要しない細かい作業については引き続き人間による制御が求められており、結果的に、過酷な児童労働などが横行することになってしまいました。

要するに、これまでの何世紀かは「機械」あるいは「計算」の技術群による「オートメーション」の時代でしたが、制御ループに拘束された人間が、機械やソフトウェアの「オートメーション」に引きずられるように働かされる状況が続き、「暇」がなくなってしまっていたのだと評価することも可能です。

注)インターネット革命は革新的ではあったものの、第二次産業革命などと比較するとその経済効果は大きくなかったとの指摘があります。それは、電気・自動車・工作機械・輸送機械などを生み出した第二次産業革命のように、「今まで以上にお金を使う(投資・消費)ように仕向ける」イノベーションが少なかったからであり、経済成長には、やはり「法人や個人がお金を今まで以上に使う」ことが重要であることがわかります。

これに対して、AIサーバントの本質は、知覚的・運動的タスクも人間に代わって行うことで、人間を制御ループから解放することにあります。それはすなわち、人間の消費余力(≒暇)を確保するということでもあります。これは、ある種の「分業」(比較優位)の考え方です。AIサーバントという生産に特化した存在を生み出すことで、人類は比較優位的に、消費にリソースを寄せるという考え方です。怠惰な思想に聞こえるかもしれませんが、そもそも、農業の効率化などによって生み出された「暇」こそが、文明や文化などを作り出し、人類を前進させてきました。また、國分功一郎氏も著書「暇と退屈の倫理学」において、「かつては労働者の労働力が搾取されていると盛んに言われた。いまでは、むしろ労働者の暇が搾取されている。高度情報化社会という言葉が死語となるほどに情報化が進み、インターネットが普及した現在、この暇の搾取は資本主義を牽引する大きな力である。なぜ暇は搾取されるのだろうか?それは人が退屈することを嫌うからである。」とも指摘しています。「搾取」というややネガティブなニュアンスの表現となっていますが、今後の資本主義においては「暇」をどのように生み出すかが鍵なのではないでしょうか。

注)もちろん、資本主義を絶対的システムとして存続させる必然性もありません。しかし、基本的にほぼ全ての経済人が、自分が生きている間は資本主義が続く前提で経済活動を行っており、また、有効な代替案が現状ないのも事実ですので、本稿も資本主義が継続することを前提とします。

“自動化”が普及する社会条件は、テクノロジーの成熟とエコノミクスの崩壊

AIサーバントは、分業思想に基づき人類を生産プロセスから解放し、消費余力を確保するというコンセプトですが、振り返ってみれば、蒸気機関や内燃機関、電力による機械化も同様です。では、過去の機械化は、どのような経緯で普及したのでしょうか。人間の習慣にも「慣性の法則」が働くので、テクノロジーの普及を考える際には、テクノロジーなき時代にタスク処理を担ってきた制度や慣習がどのようにリプレイスされていったのかを分析することが重要です。

「機械」すらない時代にタスク処理を担ってきたのは、言うまでもなく人間自身ですが、AIサーバントのコンセプトである「制御ループから解放して暇を生み出す」ことに関しては、(非人道的ゆえに現代においては全くもって認められないものですが)奴隷制度や召使い制度がその機能を担ってきました。

注)ここで奴隷制度を取り上げるのは、ウェーバーが、古代ギリシア・ローマ社会の資本主義を、奴隷を資本としてみなす「古代資本主義」を提唱していたこと、そして、AIサーバントの一つの社会実装形態である“Robot”の語源に「奴隷」という意味が含まれていることにヒントを得ています。資本主義下において生産面を補強するという文脈において、奴隷制度は避けてとおれないトピックです。

奴隷制度は、あらゆる文明にみられた制度でしたが、たとえば古代ローマを例にとっても、人間の代わりになって労働をしてくれる機械はまだ発明されておらず、民間のみならず公共領域においても、ソリューションとしての奴隷が重宝されていたとのことです。近代においても、砂糖やタバコ、コーヒー、綿花などの大量生産は、「奴隷制プランテーション」によって支えられていました。具体的には、森を切り拓いたり、農地を整備したり、灌漑設備をつくったり、工場を建設したりする作業は、すべからく奴隷というソリューション依存していたといわれています。プランテーションの場以外でも、例えば、「1552年のリスボンでは、全人口約10万人のうち奴隷は9950人を数えていた。……奴隷のなかでは、主人の身の回りの世話をするいわゆる家内奴隷が多かったが、それ以外に農場で働く奴隷や修道院や慈善施設で下働きをする奴隷もいた。……家内奴隷のほかにギルドの親方の下で徒弟として働く奴隷や、運搬や建設などの重労働をする奴隷、船員は行商人の奴隷もいた。王室もかなり多くの奴隷を抱えていたことが知られている。」(池本幸三ほか「近代世界と奴隷制 大西洋システムの中で」)と指摘されています。

いわゆる召使い制度も、労働力を補完するソリューションとして英国ヴィクトリア朝に発展を遂げたものです。召使いは、「掃除」「洗濯」「育児」「料理」などの一般的な家事はもちろん、「庭園の手入れ」や「馬・馬車の管理」など当時ならではの仕事も含まれていました。

人間は、モラベックのパラドックスでいう「感覚的なスキルや運動スキル」についてはコンピュータに対して圧倒的に優れています。いわゆる有閑階級ともいえるマスターたちは、極めて“性能”が高く、しかも動力源までも兼ねる“プロダクトとしての人間”を奴隷や召使いとして稼働させることで、当該時点においては人間にしかこなせない仕事やタスクをコスパよく外部化し、その稼ぎと余暇を交遊や消費に投下してきたのです。

ところで、今も昔も、特定のソリューションが採用されるためには、得られるベネフィットに対してコストが見合う、すなわちエコノミクスが成り立っている必要があります。

得られるベネフィットについては前述のとおりですが、コスト面についてはどのような状況だったのでしょうか。奴隷制度や召使い制度のような非人道的な制度が成り立っていたのは、“プロダクトとしての人間”が潤沢(あるいは過剰)に供給されるがゆえ、奴隷や召使いの仕入れ及び維持のコストが非常に低かった点が背景にあると指摘されています。

例えば、古代における奴隷は、主に戦争捕虜から供給されてきたといわれています。戦争捕虜であるがゆえ、処分価格も低廉で(=低い仕入れコスト)、非人道的な扱い(=低い維持コスト)をすることが許容されてしまっていました。また、近代における奴隷も、主に戦争捕虜の処分や、不作や飢饉による大量の身売りや逃亡から供給されていたため、基本的には似たようなコスト構造でした。近代におけるプランテーションのマスターたちは、成人の輸入奴隷の価格と、現地生まれの奴隷の子供が生産年齢(14歳程度)に達するまでの養育費とを比較して、養育するよりも新たに奴隷を輸入したほうが安価であると判断していたとの指摘もあり、かなりエコノミクスに敏感だったことがうかがえます。また、英国の召使いの供給源となっていたのは仕事を失った工場労働者や農場労働者、あるいは救貧院や孤児院で育てられた子どもなどであり、こういった人材も低コストで雇用することができてしまっていたとのことです。

このように、時代背景もあいまって、“プロダクトとしての人間”の仕入れ・維持のコストが非常に低い構造が保たれていたため、奴隷制度も召使い制度もROIが高い社会制度として定着してしまっていました。

さて、このような非人道的制度は、現代社会には(建前上は)残っておらず、少なからずのタスクが「機械」というテクノロジーにリプレイスされました。この変革には、「人道性」というイデオロギーが勝利した点が寄与した側面も多分にあります。しかしそれに加えて、①テクノロジーが実用化レベルに達していたこと、そして、②人間を稼働させることのエコノミクスが崩壊したという2つのイベントが重複したことが、旧制度を消滅に導くにあたっての重要な契機となりました。

注)なお、「実質的奴隷労働という点から見れば、現在のほうが18世紀の最盛期に比べて絶対数としては増加しているとさえ言える。ILOの年次報告や世界各国の現地調査によれは、現在世界の奴隷数は1億人とも2億人とも見積もられている。このなかでもとくに児童奴隷や女性奴隷が大きな割合を占めている。」(池本幸三ほか「近代世界と奴隷制 大西洋システムの中で」)という指摘もあり、決して過去の問題というわけではない点には留意が必要です。

例えば、プランテーションにおける奴隷制度も、①蒸気機関のテクノロジーが実用化レベルに達したことに加えて、②当時のプランターの利益が縮小していたこともあいまって廃止されたとの見方が有力です。すなわち、蒸気機関によるテクノロジーが「機械労働が奴隷制度よりも桁違いに安価で効率的であることが判明したため、奴隷制度の完全崩壊を促進」したのです(Institute for Sustainable Energy Policies「奴隷制の崩壊が、今日の戦争を終わらせる最短の道を明らかにする ― ディスラプションのパターン Part 4」)。

また、召使い制度も、①家電などのテクノロジーが実用化レベルに達し、掃除機などの家事機械の導入が進み、少数の使用人による兼務での運営が可能になったことに加えて、②召使いの主要な供給源であった農村人口自体が減少し、また、産業発展に伴い召使いとして働かざるを得なかった多くの人に対して工場や店舗、病院、オフィスなどでの就業機会が増え、召使いの賃金が上昇していったことがあいまって、衰退していったとの指摘があります。

AIサーバントが本格普及する条件は整いつつある

このように、旧来の制度や慣習が消滅し、新しいテクノロジーが普及するには、①テクノロジーが実用化レベルに達するだけではなく、②人間を稼働させることのエコノミクスが崩壊するという2つのイベントが重複する必要があります。

では、AIサーバントは実用化レベルに達しているのでしょうか。過去においては、いわゆるエキスパートシステムのアプローチでの挑戦もありましたが、結局ルールを網羅することができず、人間を制御ループから解放することができませんでした。一般的に活用されているPLC制御も、能力・性能に限界があります。これからの時代は個別最適化、変化対応、柔軟性がより重視されるように社会は変化していきます。「固まった設計ありき」の思想では、今後の”実用レベル”の水準を満たすことはできないでしょう。

しかし、2000年代初頭からニューラルネットワークが特定のユースケースで効果を発揮するようになり、また、2012年頃からはニューラルネットワークのフレームワークも登場し、AI・ディープラーニングを活用するコストが劇的に低下しました(AWSが登場して、クラウドサービスを開発・運営するコストが劇的に低下した状況に類似しています)。加えて、「計算」の増強により、システムが外界の状況を一定レベルで認識できるようになりました。このように、AIサーバントのコアに位置付けられるのは、ここ20年で急激に発達したAI(特にディープラーニング)となります。GPU開発競争は激化しており、今後はさらに高性能かつ安価にコンピューティングパワーが供給されることになるでしょう。

また、AIサーバントが成り立つためには、センシング技術(光学カメラを筆頭に、LiDARや各種センサー)の高度化、画像などのデータの大量確保、「現場」で計算を実行するためのエッジコンピューティングや電力効率化技術、モデルを含むシステムのアップデートのためのクラウドとの高速通信も同時に必要となります。こういった要素も、ここ10年で急激に進展・高度化しました。

ところで、前編でも言及しましたが、蒸気機関という技術コンセプトが登場してからそれが実用化されるまで、およそ70年の歳月を要しました。この点、第1次AIブームは1950~1960年代からスタートしており、そこから70年を経たのが2020年~30年という時期です。必ずしもすべての技術がこの時間軸で発明から実用化に至るわけではないですが、AIについても実用化のための十分な時間とリソースの投下があり、ようやく機が熟したと理解することもできるでしょう。

では、人間を稼働させるエコノミクスについてはどうでしょうか。周辺機器がデジタル化・インターネット化されてソフトウェアによる自動化が進んでも、我々は外界の状況を認識してコマンドを入力するという制御ループに拘束されつづけてきました。各種ソフトウェアへの入力、議事録作成、運転、機械の操作、商品の梱包、商品の陳列、廊下の掃除、料理の配膳など、あまりに「当たり前」すぎて枚挙に暇がありません。

一方で、グラフのとおり、OECD加盟国の平均年収や最低賃金は上昇の一途にあります。物価上昇に対応させて最低賃金を引き上げるという各国の政策的意思決定以外にも、賃金上昇にはさまざまな要素が複雑に絡み合っており、将来について正確に予測することは困難ですが、これが反転して下落する兆しは特にみえません。

資料:GLOBAL NOTE 出典:OECD
資料:GLOBAL NOTE 出典:OECD

少なくとも日本に関して言えば、労働人口が他の先進国に先駆けて減少することはほぼ確定した未来です。したがって、需給関係からして、今後はさらに賃金や採用コストが上昇することは間違いないでしょう。実際に、物流の現場やサービス業の現場においては人手不足が経営課題として挙がるようになってきています。

以上のとおり、歴史的なパターン認識(テクノロジー発展モデル、テクノロジー普及の社会動態、発明から実用化の時間軸)からしても、ここからAIサーバントの本格化がはじまるのは間違いないでしょう。

AIサーバントを事業化する際のポイントはBPR

ここまで、抽象的なテクノロジーコンセプトとしてAIサーバントについて説明してきましたが、実際のソリューションとして社会実装し、ビジネスとして成立させるにあたっては、どのような点に留意する必要があるのでしょうか。

「人間を制御ループから解放する」というそもそもの目的、そして、AIサーバントが抽象的には奴隷や召使いのリプレイスであることからすると、AIサーバントがソリューションとして成り立つには、(a)人間による指示が直観的であること、(b)指示は最小限であり大部分のプロセスは自律的であること、という2点が重要になります。

(a)直観的な指示とは、例えば、音声や自然言語テキストでの指示、身振り手振りでの身体的指示、指示内容の曖昧さの許容などがポイントとなります。技術的には、音声認識、自然言語処理、画像認識(文字認識含む)、XR、ハプティクスなどがキーテクノロジーになるでしょう。また、これらのさまざまな入力を統合的に処理するAIのマルチモーダル性が非常に重要になるものと思われます。

また、(b)プロセスが自律的であるためには、学習によるAIモデル生成、当該モデルの活用はもちろん、モデルからのアウトプットを踏まえたタスク実行が一気通貫している必要があります。アウトプットに関しては、例えばマウスやキーボードを通じた操作を完全に代行するアプローチが成立すれば、皆が夢見た“バーチャルアシスタント”が完成するでしょう。また、物理的な対象物を扱う場合、タスク実行にはハードウェアやロボティクスに関する技術が不可欠ですし、刻々と変化する現場の状況を自律的に「知覚」するためのセンシングの技術が求められます。複数のデバイスをまたいでタスクが実行される場合にはコネクテッド性も重要です。

AIサーバントの適用場面や範囲・深度に応じて、これらの技術要素の要否や重要度の差分が生まれてきます。

しかし、これだけの技術を盛り込んだとしても、(世の中に関する“常識”を身につけたAGI=Artificial General Intelligenceが登場しない限り)AIサーバントは当面は “Narrow”な、つまり、カバレッジは狭いが極めて高い専門性・効率性を備えた知的存在にとどまるでしょう。そうだとすれば、AIサーバントは、徹底的な「分業」思想のもとに社会実装されるべきです。

すなわち、AIサーバントにどの業務を担当させ、どの業務については他のソリューションを活用し、どの業務には引き続き人間が関与するのかというBusiness Process Re-engineering(BPR)的なアプローチや考え方が非常に重要になります。「人間」を活用していた英国の召使い制度でさえも、極めて精緻な分業制が採用されていました。効率性を極限まで追求すると、やはり分業制に着地するのです。逆に、このようなBPRや分業が伴わないと、AIサーバントを導入する際のROIは低いものになってしまうでしょう。BPRをしない限り、現時点において制御ループに拘束されている人間が高度な状況認識能力に基づき「よしなに」行っている制御をそのままコンピュータに期待することになりますが、2020年代現在時点においてはそれを実現できる技術レベルには至っておらず、結果的に、プロセスやシステム全体のスループットなどが低下してしまうからです。

つまり、AIサーバントを開発・運営する事業者としては、単にプロダクトとしてのAIサーバントを提供するだけでは事業がスケールする確率は低くなります。現状のタスクフローやルーチンを俯瞰的かつ緻密に分解して、そのうちどの部分にAIサーバントを招き入れることで人間を当該作業から解放できるかを分析しなければなりません。

コンシューマーや従業員ではなく、法人を相手にする場合は、人間を解放することでどの程度の工数的インパクトがあるのか、人間を解放したことで追加的に不要になるプロセスはあるのか、人間を解放することで他の業務の効率性を上げることはできるか、慣習として残っていたが実は不要なプロセスはないか、などを顧客と一緒に(あるいは顧客に代わり)見極めなければなりません。

そして、顧客が中堅や大手の企業である場合においてBPR的なアプローチをとるためには、業務プロセス全体を統括しているマネジメント層との協議・合意形成が不可欠です。なぜなら、BPRと言っても、単に再構築された業務フローを提案するだけでなく、それが実際に遂行されるようにしなければならず、それは顧客企業側において複数部署の利害関係調整や、場合によっては各部署やその責任者が負っている目標やKPIの見直しも伴う可能性があるからです。したがって、AIサーバントを提供する企業には、トップコンサルティング営業・事業開発・組織改革的なケイパビリティも求められるケースが多いものと想定されます。幅広い技術スタックが求められるだけでなく、高度なコンサルティング能力も必要という意味において、AIサーバントの企業に求められる能力は多様で、その要求水準は非常に高いものになります。

さて、AIサーバントのアウトプットは、デジタル的ではなく一定の「幅」があります(自動運転やAI描画などにも「幅」があります)し、AIサーバントが例外的な局面(エッジケース)においてもタスクを正確に処理できるとも限りません。したがって、AIサーバントを活用する際には、「幅」や「ミス」のあるアウトプットがシステム全体と整合するようにコントロールする必要があります。そもそも、「分業」された業務は、あらためて統合・綜合しなければ効率的な運用・アウトプットにはつながりません。

こういった点から、AIサーバントを提供する場合には、全体の業務を統合的に管理する司令塔が必要になります(英国の召使い制度でも、「執事」という全体を統括するポジションの召使いがいました。)。この司令塔は、全体のオペレーション状況や効率性を人間が把握するためのダッシュボードを用意するアプローチもあれば、その発展形として、司令塔自体をAIにより動かすアプローチもあるでしょう(AIを管理するAI、System of Systems、あるいはオペレーティングシステム)。

以上のとおり、AIサーバントは、ソリューションの構築、現場実装、運営のコストが非常に高いものだといえます。だからこそ、どのようなユースケースにAIサーバントを適用するのか、そこに本当に経済的インパクトをもたらすことができるのかは、事業の初期段階から慎重に見極めていく必要があるでしょう。

ところで、こういった“難しさ”に鑑みると、「BPRが不要な水準にまでAIが高度化してから、AIサーバントの事業に取り組むほうが勝ち筋」なのではないかとも思われます。しかし、AIサーバントのソリューションは、物理世界の「現場」や、大量の「データ」を押さえることで、先行優位性やロックイン性が強まるといえますし、AIの学習それ自体を加速させることができます。そうだとすると、事業者としては、AIの高度化は後からついてくる(むしろ自らアップデートする)ことを前提に、先行して現場実装を完遂するべきでしょう。テスラも、このような発想で、自動運転技術が確立する前にまずは車体の普及を進めています

人間に残される仕事は「企画」と「仕上げ」

AIサーバントが普及することで、人間は多くの「制御ループ」から解放されます。これは、人間のタスクが減ることを意味します。ここで強調したいのは、「タスク」は減るが「仕事」がなくなるわけではないということです。繰り返しになりますが、AIサーバントの基本は、雇用を奪うという思想ではなく、分業の思想にあります。だとすれば、人間が責任を持つべき固有の「仕事」が何なのかを明確にすることが重要です。筆者としては、人間に残されるのは対極的な位置付けにある2つの仕事になるのではないか考えています(仕事のスマイルカーブ化)。すなわち、人間が担うのは、①プロセスの上流に位置する企画・全体統括・責任負担と、②プロセスの最終工程であるディテールの仕上げや対人的感情労働の大きく二つです。

この二種類の仕事は、人間の消費意欲喚起に対するインパクトが大きく、付加価値の厚さを決定づける最重要レベルの仕事です。また、単にAIサーバントと比べて人間のほうが当面はこれらの仕事が得意(比較優位)というだけではなく、人間の社会的動物としての根源的欲求も満たされる“楽しい”仕事なのではないでしょうか。

例えば、イラストなどのクリエイティブな仕事についても、①どのようなイラストを出力したいのかというコンセプトは人間が決断し、AIサーバントに指示してドラフトを作成させ、②最終的なディテールの仕上げは改めて人間が行い、どのレベルをもって完成形とするかの意思決定をします。そして、前述のとおり、プロジェクト全体を俯瞰し、例えばイラスト間の整合性を調整・担保するような「執事」としてのテクノロジーの活用も進みます。

また、小売であれば、①どのような店を出すか、どのようなコンセプトや訴求ポイントで店舗運営するのかは人間が企画・決断し、オペレーショナルな作業の大部分についてはAIサーバントに指示出しをします。一方で、②お客様対応などの対人的・情緒的な仕事については、人間が担当します。担当者には一定の裁量が与えられ、自らの意思決定を通じて顧客に価値を届ける仕事、最後の一押しをする仕事に進化していくでしょう。これら全体が統合的、効率的、そして高付加価値で運営されているかどうかを、「執事」としてのSystem of SystemsやOSがモニタリングすることになります。

一人の個人が企画的な仕事と仕上げ的な仕事の両方を担うケースもあるかもしれませんが、基本的には、その個人が得意な一方に専念するのが、分業のあり方としては正しいのではないでしょうか(ワークシェアリング)。

したがって、重要なのは、いずれが向いているのかを本人も周囲も客観的に理解すること、そして、これら高付加価値の仕事に対してしっかり経済的に報いる仕組みを構築することです。どのようにすればそれが実現できるかについては、本稿とは別のテーマとして検討を進める必要があります。

まとめ

資本主義というシステムを維持したいのであれば、生産と消費のサイクルを拡大し続けるほかありません。中長期的には人口(特に、生産年齢人口)が頭打ちになる可能性が高い状況下においては、生産側を限りなく自律制御的なシステムのもとで行い、タスクから解放された人間は消費側に集中するという分業体制を敷く必要があります。

この分業体制の生産側の主役となるのがAIサーバントです。AIサーバントは、生産プロセスを自律制御にて行い、人間を制御ループから解放するというコンセプトのソリューションです。ウェーバー的な整理をすれば、AIサーバントは次世代の「資本」そのものともいえます。しかも、古代における奴隷とは異なり、最終需要を抑制しない(むしろ「暇」を創出する)という点おいて圧倒的に資本主義にとって好都合な存在です。稲葉振一郎「AI時代の資本主義の哲学」においても、次のように指摘されています。「奴隷を含めた資本設備の自家所有に基づく事業体が、市場経済の中で活動しており、さらにそれを金融システムが支援していれば十分にそれを「資本主義」と呼べます。だとすれば生身の人間、自然人ではなく、大半はAIを実装した自動機械からなる資本設備を有するが、その運用に雇用労働を必要としないような企業からなる資本主義、というものの可能性も、考えられないことはないはずです。」

技術的にも、社会的にも、AIサーバントが本格普及する前提条件は整いつつあります。テクノロジー発展モデルからすると、我々が生きている間においても「計算」が支配的な技術であり続ける可能性が高いといえますが、「計算」も進化しないわけではなく、アルゴリズムの進化に加えて、2050年~2060年頃に計算力が爆発的に強化される技術革新が起きることで、産業革命と呼べるような変化が起きる可能性があります。その際には、AIサーバントが「できること」はさらに拡大し、人間はタスクからさらに解放されることになるはずです。

タスクから解放された人間は、企画と、ディテールの仕上げという「仕事のスマイルカーブ」の両端の「仕事」を担うことになります。AIサーバントが普及すれば、それだけ作業的な仕事は減ることになり、仕事を適切に分配する必要が生じます(これは、余暇を適切に分配することと表裏一体です)。仕事の分配において、個々人それぞれの向き不向きが適切に考慮されるようになれば、人間の幸福度はさらに高まるはずです。

補足

先端的なテクノロジーを用いて、社会経済や人類の在り方に影響を与えるような事業をつくりあげようとしている方々と、ぜひディスカッションさせていただきたいと考えています。お気軽にご連絡ください。https://twitter.com/nmtryh

【参考文献】
* ロドニー・A・ブルックス「ブルックスの知能ロボット論」
* 太田裕朗「AIは人類を駆逐するのか? 自律世界の到来」
* 稲葉振一郎「AI時代の資本主義の哲学」
* 鈴木貴博「シンギュラリティの経済学」
* ブライアン・カーニハン「教養としてのコンピューターサイエンス 第2版」
* メラニー・ミッチェル「教養としてのAI講義 ビジネスパーソンも知っておくべき「人工知能」の基礎知識」
* 國分功一郎「暇と退屈の倫理学」
* 長沼伸一郎「現代経済学の直観的方法」
* 太田裕朗ほか「イノベーションの不確定性原理 不確定な世界を生き延びるための進化論」
* マット・リドレー「人類とイノベーション 世界は「自由」と「失敗」で進化する」
* 郭四志「産業革命史 イノベーションに見る国際秩序の変遷」
* ニュートンプレス「Newton別冊 人類の未来年表(改訂 第2版)」
* 池本幸三ほか「近代世界と奴隷制 大西洋システムの中で」
* 久我真樹「英国メイドの世界」
* アルベルト・アンジェラ「古代ローマ人の24時間 よみがえる帝国ローマの民衆生活」
* Institute for Sustainable Energy Policies「奴隷制の崩壊が、今日の戦争を終わらせる最短の道を明らかにする ― ディスラプションのパターン Part 4」
* 東洋経済オンライン「最低賃金の引き上げが「世界の常識」な理由 韓国の失敗、イギリスの成功」から学ぶこと」

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