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テクノロジーの発展のこれまでとこれから(前編)

サマリー

  • テクノロジーは、より少ないインプットで多くのアウトプットを生み出すという存在である。「働く人間」を主人公として見る場合、テクノロジーは人間による制御のレベルを低減させる=「人間が、よりサボれるよう」に進化してきたものであり、今後も同様のベクトルで進化することが想定される。

  • 人的制御のレベルは、①新しいメカニズムの普及と、②当該メカニズムにおける強度向上の二つのドライバーを通じて低減する。①これまで、道具→機械→計算という順番で新しいメカニズムが普及してきている。②強度向上の例としては、「機械」というメカニズムが、水力や風力などの自然的なエネルギー源→蒸気機関→内燃機関という動力源の変化で強化されてきたことが挙げられる。

  • 新しいメカニズムは、それは旧来のメカニズムに上乗せされる形で、地層のように積み上がりながら普及する(メカニズムの複層化)。新しいメカニズムは、旧来の技術群を飲み込み、融合していく傾向がある(メカニズムの融合)。「Software is eating the world」という有名な言葉は、「計算」という現代の支配的メカニズムが旧来の技術群と融合していく様子をわかりやすく表現したもの。

  • 当面は「計算」が世界を支配する可能性が高い。1980年~1990年頃から研究が本格化した量子コンピューティングが、その70年後である2050年~2060年に社会普及することで「計算」を圧倒的に増強する産業革命が起きる可能性がある。

テクノロジー発展モデル(イメージ)

少ないインプットで、多くのアウトプット

人間は何万年もの間、広義の「テクノロジー」を発展させ続けてきました。原初的には石器から最近では量子コンピューティングに至るまで、テクノロジーはさまざまな形をとってきましたが、その進化のベクトルは一貫しています。高次のレイヤーにおいては、「少ないインプットで多くのアウトプットを生み出す」という意味での効率性が高まってきましたが(例えば、エネルギーを動力に転換する際の効率性など)、その中でも「人間が負うタスク」にフォーカスすると、テクノロジーは、人間による「制御」を低減する方向で進化してきました。平たくいうと、「人間が、よりサボれるように進化する」のがテクノロジーです。ここでいう「制御」の低減とは、人間によるインプットを減らすこと、アウトプット(歩留改善含む。)を増やすなど、少ない関与度で多くのアウトプットを得ることを意味します。

土木作業を例にとってみましょう。スコップなどの鉄器については、人間がそれを把持したまま操作(利用)、つまり連続的に力を加え続けて制御しなければなりません。少し技術を進歩させて、車輪を発明して鋤を牛にひかせる場合やトラクターを用いる場合には、人間に求められる制御のレベルが低減しました。そして最近では、例えばBUILT ROBOTICS社などが、建機が自律的に稼働するソリューションを開発・提供しており、これにより人間に求められる制御レベルはさらに低減していくことが見込まれます。

テクノロジーの発展=メカニズムの普及+強化

人的制御のレベルは、抽象化すると、①新しい技術メカニズムの普及と、②当該メカニズムに依る技術の強度向上の二つのドライバーを通じて、漸次的に低減していくものとして整理できます。前述した「鉄器」、「車」、「コンピューター」という例は、この3段階の整理は、過去に起きた“新しいメカニズム”の普及(及び、それに伴う人的制御レベルの低減)に対応させたものです。

例えば、原初的には手作業によりこなしていた狩りや農業のタスクを、人間は石器などの「道具」を活用して効率化することに成功しました(①新しいメカニズムの普及)。そして「道具」というメカニズムの範疇においては、石器が青銅器や鉄器に進化することで道具自体の強度が高まっていきました(②同一メカニズムにおける強度向上)。同一のメカニズムであったとしても、その強度が向上することで人間に求められる制御レベルは劇的に低下します。

その後、「道具」に加えて、「機械」(例えば馬車など)という新しいメカニズムが普及していきました(①新しいメカニズムの普及)。「機械」という仕組みは、(同語反復ですが)いわゆる機械仕掛けの”初期的な自動化”を実現しました。なお、「道具」と「機械」の線引きは非常に困難ですが、本稿においては、複数の部品が相関的に運動する装置を「機械」として定義します。部品が複数あるが、それぞれが相関的に運動せず、人間が制御することによって複合的に動くもの(例えばハサミなど)は、「道具」として整理します。

「機械」も、初期的には手動で動かしていたものが、水力や風力などの自然的なエネルギー源が活用されるようになり、それがやがて蒸気機関、内燃機関が活用され、「機械」の強度が高まっていきました(②同一メカニズムにおける強度向上)。いわゆる第一次産業革命(蒸気機関)や第二次産業革命(内燃機関)は、「機械」という仕組みにおける強度の革命だったと整理できます。たとえば紡績機も、最初は手動でしたが、その後、外部の動力源である水力を活用するようになり、さらには蒸気機関を活用する形に進化し、出力が増強されるという経緯を辿りました。

そしてその後、「道具」や「機械」に加えて、「計算」という新しいメカニズムが世の中に普及していきました。いわゆる情報革命です(①新しい技術メカニズムの普及)。1940年代に完全電子式の計算装置が、そして1950年前後にいわゆるコンピュータと呼べるものが登場し、その後、ムーアの法則(を実現するための人類の努力)により計算力が指数関数的に増強されるに伴い、タスク処理の自動化・自律化のレベルは飛躍的に高まっていき、コンピュータの小型化も進みました。しかし、初期的なコンピュータが処理していた単純な計算も、昨今実用化が急速に進行しつつあるAIも、新しいフレームワークの開発などによる大きなブレークスルーを経ているものの、論理構造は同一です。要するに「0と1」のデジタルな処理に還元される「計算」というメカニズムを土台としています。

チェスの名手ゲリー・カスパロフ氏がチェスAIのディープ・ブルーに敗れた際に、「あたかも計画を持ち、打つ手のそれぞれの意味の本質を理解しながら対戦したことに驚かされた」と語った逸話がありますが、やはり、ディープ・ブルーの論理構造は1960年代のプログラムと本質的に差異はなかったそうです。すなわち、同一のメカニズムであったとしても、強度や出力が向上することで、(人間から見たときの)質的な変化をもたらすことができるのです(②同一メカニズムにおける強度向上)。

言うまでもなく、現代において世界を席巻しているメカニズムは「計算」です。その強度は日々増強されており、それにより、「人間にとっての」非連続な変化が次々と起きています。

メカニズムの複層化と融合

新しいメカニズムは、ある日突然登場するものではなく、多くの人の努力のリレーを通じて、少しずつ改善と実用化が進み、徐々に社会に浸透していくものです。

また、新しいメカニズムが登場したとしても、旧来のメカニズムに依る技術群は葬られるわけではなく、地層のように積み上がっていきます(メカニズムの複層化)。いま現在においても我々は、ブラシで歯を磨き(「道具」メカニズム)、電車で通勤し(「機械」メカニズム)、職場ではPCに向かって仕事をしています(「計算」メカニズム)。

事業や経営に関わる人間として留意すべきは、新しいメカニズムは、旧来のメカニズムを基礎としたプロダクトに融合していくという点です(メカニズムの融合)。たとえば、「機械」が登場して以降、道具は機械化されていくようになりました(ノコギリは電動化されました)。また、「計算」が登場して以降、「道具」や「機械」はデジタル化・インターネット化されていくようになりました(ほとんどのフィルムカメラはデジタルカメラに置き換わりました)。

ソフトウェアプログラムとは、コンピュータに向けた計算の指示書に他ならず、「Software is eating the world」という有名な言葉は、「計算」という現代の支配的メカニズムが旧来のメカニズム群と融合していく様子をわかりやすく表現したものに他なりません。

このように考えると、いわゆる創業から年月を経ている大手事業者は、自らが得意とする旧来の技術群を土台にしたプロダクトやソリューションに、新しいメカニズムを融合させるというアプローチを通じて、自らイノベーションを実現するのが合理的だといえます。長年ノウハウを積み上げてきた技術群を一切捨てて、新しいメカニズムを基礎とした技術のみに取り組むことは得策ではないでしょう。

新しいメカニズムの普及

1940年代に登場した「計算」が、現代においてもいまだ支配的なメカニズムとして世界に君臨していますが、これはいつまで続くのでしょうか。

いわゆる「機械」が登場してから(その時期を厳密に特定することは困難です。)、「計算」が登場するまでは、少なくとも数千年という期間を要しています。この間隔が続くのだとしたら、「計算」の次の支配的技術の本格的な普及が開始するまで、まだ数千年を要すると見積もることも可能です。

一方で、「機械」の強度を向上させたいわゆる産業革命には、1770~1780年前後の蒸気革命、1870年前後の内燃機関革命がありますが、これらはおよそ100年の間隔をおいて発生しました。また、偶然かもしれませんが、情報革命(コンピュータ革命)が起きたのもそのおよそ100年後になります。もし、およそ100年単位で、特定のメカニズムの普及が加速する、あるいは特定のメカニズムが強化されるというパターンが存在するのであれば、2070年前後に、「計算」の強度を圧倒的に向上させる何かしらの革命が起きる可能性があります。この点、ニューコメン蒸気機関のメカニズム自体は1710年頃に発明され、1780年頃にワットが実用化するに至ったといわれています。原始的な機構の発明から約70年の歳月を経ており、このアナロジーからすると、1980年~1990年頃から研究が本格化した量子コンピューティングが、その70年後である2050年~2060年から普及が本格化することで「計算」を圧倒的に増強することになるかもしれません。

次なる支配的メカニズム

当面の間は「計算」の増強が続くとして、次に世界を席巻する新しいメカニズムは、一体何になるのでしょうか。

前述のとおり、人間による制御レベルを低減させていくのがテクノロジー発展モデルですが、比喩的にいえば、「道具」は手足そのものを補強し、「機械」は肢体を補強し、「計算」は人間の情報処理能力を補強しました。テクノロジーは、人間の外縁から中枢部に向かって補強をしてきていることからして、次なる補強フロンティアは無意識や情動に関わるものであり、その際の新しいメカニズムとなるのは「生体化学」なのではないでしょうか。

コンピューティングパワーや論理構造のアップデートを通じて、「計算」の強度が向上し、AIの応用範囲はさらに広がるでしょう。「ざっくり指示をすれば、よしなに仕事をこなしておいてくれる」、そんな技術が世界をより便利にしていきます。

これを超える形で人間の制御レベルが低下するのは、「頭で考えたらすでに実現している」「考えるまでもなく先回りして実現されている」という状態を実現したときではないでしょうか。これはSINIC理論のいう「生体制御技術」(身体や社会の状態を捉え、生体全体や環境との最適な適応を促し支援する制御技術)や、「精神生体技術」(人間の心と身体の自律性のしくみに働きかけ、活かすことで、生きる喜びを向上させる技術)に通底するものかもしれません。

また、Artificial General Intelligence(AGI)と呼ばれるものが未来のどこかのタイミングにおいて登場したとして、それが世界や社会の「意味」や「常識」を理解できるかどうかは不明ですし(シンボルグラウンディング問題)、実現可能だとしてもかなりの時間がかかることを想定されます。そうすると、むしろ人間という「生体」側が「計算」や「機械」に歩み寄るほうが手っ取り早いかもしれません。

そのためには、生体情報(身体の電気信号、神経伝達物質やホルモン)を、「計算」そして「機械」や「道具」を融合させるアプローチが必要になるでしょう。すでにBrain Machine Interfaceへの取り組みが着々と進捗していますが、バイタルデータを活用するソリューションなど、よりライトなアプローチも今後登場するのではないでしょうか。

なお、無意識や情動をモニタリングし、さらには制御できるような技術が確立された場合、「自由意志をどう捉えるか」、「プライバシーとは何か」、「統治はどうあるべきか」、「その権力は誰に帰属するのか」、といった倫理的・政治的・法哲学的な問いを解かなければなりません。「マイノリティー・リポート」や「マトリックス」などのSF映画で描かれていた世界観に向き合う必要が生じるでしょう。

後編に続く。)

【参考文献】
* ロドニー・A・ブルックス「ブルックスの知能ロボット論」
* 太田裕朗「AIは人類を駆逐するのか? 自律世界の到来」
* ブライアン・カーニハン「教養としてのコンピューターサイエンス 第2版」
* 郭四志「産業革命史 イノベーションに見る国際秩序の変遷
* 中間真一「SINIC理論」
* ニュートンプレス「Newton別冊 人類の未来年表(改訂 第2版)」
* 岡本裕一朗「いま世界の哲学者が考えていること」
* マット・リドレー「人類とイノベーション 世界は「自由」と「失敗」で進化する」

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