【自己紹介】 久保田ナオの生い立ち
初めまして。
埼玉県で「ビジョンを見える化し、仲間を集めるブランディング」を仕事にしている、クリエイティブディレクター&グラフィックレコーダーの久保田ナオと申します。ナオと呼んでください。
私はキャンプが趣味で、子供が3人いるフリーランスかあちゃんです。
このnoteの説明
私が「地域 x フリーランスの働き方」をするようになった、その理由
独立までにどんなスキルを集めたのか
などをお話ししています。
これから地方移住してフリーランスになろうとしている方には、少し参考になるかもしれません。
すでに私とお友達の方は「へー、ナオはこんな略歴なのか」と面白がってもらえたら嬉しいです。
それではどうぞ!
プロフィール
幼少期
出身は福岡県宗像(むなかた)市。高校卒業する18歳まで育ちました。福岡県というのはとても郷土愛の強い場所で「世界中で福岡が一番いい町だ」と本気で思って過ごしていました。
どんな子供だったかというと、勉強が好きな代わりに運動がからっきしなタイプです。勉強は何時間でもできるけど、逆上がりも二重跳びもできない。
放課後は外で遊ぶよりも、母親と一緒に手芸するほうが好きで、ドールハウス作りは専門雑誌に載る程度に熱中してました。
そして中学生のころ、メールソフトである「ポストペット」に心を撃ち抜かれてしまいます。「ポストペットのような、魅力的なキャラクターを作る仕事がしたい」「絵もパソコンも好き」というところから、グラフィックデザイナーを目指すようになります。
上京・大学生活
高校2年生から美術予備校に通い、大学は多摩美術大学へ進学。
東京なのに電話番号が0426だ!とか、豆腐の形が直方体だ!とか、うどんのつゆの色が濃い!とか。おのぼりさんなので上京後は毎日驚いてました。
イラストや写真、アニメーション、広告制作など、今の仕事につながる知識をここで習得。
22歳ごろ
就活はキャラクター雑貨業界を第一志望にしていたのですが、全落ちします。
4年生の秋にギリギリ拾ってくれたのが大手宝飾店。
ところが蓋を開けてみると、経営状況が悪く、強火のパワハラ体質。怒鳴り声を聞くと胃がキリキリするからと毎日胃薬を飲む22歳。
入社半年で退職し、胃も治りました。正しい判断だった。
稟議書など、大企業ルールを学べたのはいい勉強になりました。
23歳ごろ
転職で元々希望していたキャラクター雑貨業界に。
キャラクターの芸能人事務所みたいな会社です。ユーザー目線しか持ち合わせていなかった私に、「どう見せるか?どうストーリーをつけてブランディングしていくか」というプロデューサー視点を植え付けてもらえました。
業務内容はとても楽しかったのですが、激務すぎて体とメンタル壊して泣く泣く退職。
25歳ごろ
2度目の転職で、服飾雑貨のOEMメーカーに入社。
デザイナー同士の仲も良く、社長は頑張ったらボーナスを弾んでくれる。いい会社でした。
営業企画として色々なアパレルメーカーさんとお仕事しましたが、中でもGU銀座1号店のオープニングは思い出に残ってます。万単位の発注数はこの時しか見たことない。工場への発注仕様書を書きながらぞくぞくしました。
この会社では既存クライアントだけでなく新規営業も担当しました。100件近い案件の同時進行力、クイックな提案方法、プレゼン力、営業力、原価計算など、デザイナーとしてのスキルだけでなく営業としての力も鍛えられました。
28歳ごろ 妊娠してクビに
アクセサリーは春夏コレクション、秋冬コレクションと移り変わりが早い世界です。
そのためバイイングや工場訪問で中国や韓国へ、年に数回出張していました。そんな中妊娠+つわり。
2013年はまだまだ育休をとる側の権利が弱かった。
「そんな体調だし、あなた実家遠いし、海外出張いけなくなっちゃうよね?」と妊娠5ヶ月でクビになりました。
仕事が好きだったので悲しかったですが
「これで住む場所が都内にこだわらなくても良くなった」
とポジティブに考えて、移住先を探すことに。
30歳ごろ 移住を決断
夫の会社へのアクセスも良く、キャンプ場も近くて子育てしやすい埼玉県比企郡(ひきぐん)滑川町(なめがわまち)に家を建てました。
池袋から東武東上線で60分の町です。
のんびりした空気感、里山風景、ニュータウン。とてもいい町です。
最初のフリーランス生活、待機児童に
長女妊娠中からずっと大学の友人にLINEスタンプや雑貨の仕事をもらったりして、デザイナーは続けていたのですが、2人目の産後はどう工夫しても大人の手が足りず。仕事どころではありませんでした。
0歳2歳の子どもを保育園に預けようとしたのですが「保育園落ちた、日本死ね」の時期です。我が家も当然のごとく待機児童に。
31歳ごろ 派遣社員
保育園の申請は「保育の必要度」を点数にし、点数の高い人から優先的に保育園に入れる仕組みになっています。
在宅業は、自宅外に勤めに出る人よりも点数が低い。
待っていても入園できないと判断し、子どもが1歳3歳の時に派遣社員としてフルタイムのWEBデザイナーを始めます。
無事に保育園には入れたのですが、朝6時に起きて、朝8時に保育園登園、17時半にタイムカードを切ってそのまま保育園へ。
家に帰って料理と離乳食とお風呂と寝かしつけ。忙しすぎる!!子どもの興味や成長に寄り添う余裕はカケラもありません。
20代のころ激務で体とメンタルを壊したことを思い出しながら、いつ再発してもおかしくないと、綱渡りのように毎日を過ごしていました。
比企起業塾
そんな髪の毛振り乱す暮らしをしながら、寝かしつけ中にふと埼玉県のホームページで見つけたのが「比企起業塾(現・比企起業大学)」の塾生募集の案内。
フルタイムから時間に調整のきくフリーランスに戻りたいと思っていた私に「地域でお客さんを見つけるためのノウハウを学べて、地元のミニ起業家同士の仲間づくりができる」という内容はとても魅力的でした。
比企起業塾(現・比企起業大学)は月に1回、半年間の講座でした。
卒塾が近くなってくると「なんかフリーランスになっても行ける気がする」というマインドに変わっていたので、卒塾のタイミングで派遣社員を辞め、フリーランスに戻ることにしました。
今私がかかげている「比企を、子どもが自慢したくなる町にする」というビジョンはこの講座内で考えたものです。
(宣伝ですが、比企起業大学は春と秋に学生を募集します。比企の独立希望の方ぜひ!)
32歳ごろ〜現在 2度目のフリーランス転身
妊娠〜産後までのフリーランス時は、クラウドソーシングサイトが紹介で東京からとってくる仕事をしていました。
今回のフリーランスでは比企起業塾で学んだことを活かし、自分が住む埼玉県比企(ひき)エリア内の仕事に集中するようにしました。
「比企を、子どもが自慢したくなる町にする」
このビジョンの効果で「私も比企の魅力を伝えたいんです」と、志が同じ人から声をかけていただくことが増えました。
これまでのような「発注者と受託者という上下関係」ではなく「同じ目標に向かう同志」というフラットな関係性を築けるようになりました。
仕事と遊びの中間のような、クライアントなんだけど友達のような。そんな関係性が増えていきました。もともとオンとオフは分けるタイプで、同僚とSNS交換は一切しなかった私ですが、やってみるとこれがなんとも心地いい!
また地元で仕事をすると子どもが見つけてくれるんですよね。「このポスターはお母さんの描いた絵だね!」と気づいてもらえると嬉しいこと嬉しいこと。
子どもの成長に寄り添える時間的自由。
キャンプ場でも仕事できちゃう場所的自由。
流れ流されたどり着いた働き方なのですが、「もう会社員には戻れないなぁー」と日々楽しくお仕事しています。
次の目標
おかげさまでお取引先様も増えてきましたので、法人化を目指しています!
「株式会社やわらかく 代表の久保田ナオです」とあなたに自己紹介できるように準備を進めています。
読んでくださったあなたと、ご挨拶できることを楽しみにしていますね!
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