お砂糖とバターこそが誠実
最初に「玉ねぎを茶色くなるまで炒める」という工程の入っているレシピは間違いなく美味しいが、苦しい。
昨日は作るのがめちゃくちゃ面倒くさいけどめちゃくちゃ美味しいかぼちゃのポタージュを作った。
このレシピは炒め玉ねぎだけでなく、かぼちゃの皮を取らないといけなかったのもでかい。だって、かぼちゃの皮って、食べられるのに。
より一層の美味しさを求めて食べられないわけではないものを排除するような工程を遂行するためには、「美味しさ」というものにどこまで信心深く向き合えるかが大切なんだろう。
「濾す」とかそういうのも同じだ。ぱっと見じゃ何が変わってんだかよくわからないし。
でも昨日は、普段なら飛ばしちゃうような工程をきちんとできた。多分、料理をしながら日食なつこの「青いシネマ」を聴いていたからだと思う。
最善を尽くすように
努めることをここに誓います
最短経路になるような道は
選ばないこと誓います
途中で登場するこんな歌詞を一緒に唱えながら、ちまちまとかぼちゃの皮を取ったりするのだ。
こうやって重すぎるくらいの向き合い方をしないと、絶対にかぼちゃの皮を取ったりできない。
日食なつこの曲はつい最近に知って聴くようになったが、歌うというより唱えて脳に刷り込みたい曲ばかりだ。
彼女みたいな見た目になりたいなと思ったりもした。存在するのかが怪しまれるくらいの細く薄く怪しさのある見た目に。
多分食べ物に真剣に向き合っているうちは無理だろう。レシピ通りきっちりとバターや砂糖を投入することこそが誠実なのだから。
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