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noteの有料記事を研究していて思ったこと

こんにちは冨永のむ子です。

GWが終わり、息子たちの学校がはじまったので、自営業の私はなんだかほっとしている。もう高校生と大学生なので、世話は殆どいらないけれど、なんとなく家にいると落ち着かない、こうみえて神経が細い母なのだ。

このGWは前半に旅をしたので、後半は自宅でnoteの研究をしようと思い、色んな記事を読んだ。無料も有料もいろいろ。

記事を購入する感覚が私の中でピンと来てなかったので、自分が記事を販売することも当初全く頭になかった。

興味がなかったというか、それ以前に、note自体の構造や特徴を理解できておらず・・、そもそもお話になんないぜ奥さん、って感じ。

そこ【=構造や特徴を理解して取り掛かる】が遅いんだよなアタシ・・と、自分にダメ出ししつつ、遅くでもやらないよりいっか、今からでも間に合うならやってみよ、という気持ちで目下勉強中。


記事の販売はまだしたことがない。
自営業歴が長くなり、お金のブロックというか販売行為に抵抗があるわけではないと思いつつ、無料と有料の書き分けがあるのかとか操作方法とか値付けとか、色々未知数なので。
まあとにかく売ってしまえ、という説もあるが、ともかくまずは自分が購入する側から。
やっぱり抵抗があるのかしらん?

そんなこと考えていても仕方ないので、とにもかくにも既にガンガン販売している先輩方から学ばせてもらうことにした。

最も損をするのは、「損したくない」という気持ちでぐずぐずしていること。



私は基本的には、自分でできることは自分でやろうという考え。
でも、だからこそ、自分で完結すべきかどうかの見定めが大切だ。

自分でできることは自分でやりたい。でも全能の神でもあるまいし。自己流だととてつもなく時間がかかりそうなことや、自分の視野が広がるイメージがないことの方が世の中圧倒的に多い。

その判断に迷うこと自体が、時間がもったいないので、だったらとっととお金を出して確認すべし、と思う。

その上で、自分でできそうと思えたなら、そこで払ったお金は無駄でもなんでもない。判断するための料金だったのだから判断できてよかったじゃん、ってことで。

一番もったいないのは、できるかできないか、うじうじと悩むことと、
自分のやり方に固執して前進しないこと。

時間=命だから。

損したくない、という気持ちでいるのが一番損をすると思う
(だからってもちろん、パクっと衝動買いしろという意味ではない)

だから今回も、とっとと専門家のお知恵を拝借・・じゃなかった購入した方が早いと思ったたので、勉強の記事を購入し読んでいる。

再現性とか、言語化が進むいまは、智慧や気づきもかなりのところまでお金で買える時代になった。ありがたい。
だからこそ次はそれを使いこなせるかどうかなのだけど・・

マルシェやフリマだって、最初は買う側からスタート。

私の中に記事を売る、という概念がなかったと書いたが、ちゃんと覗いていくと、当たり前にそれをやっている方々がいっぱいいる。

勉強しているうちに、自分の中にあった、記事を販売する概念が書き変わった。

なるほど、記事のマルシェってことじゃん💓

記事販売=マルシェと変換できたとたんに、自分もがぜん売ってみたくなった。買ったこともないのにいきなり売るのはなんだよねと思った、そこでまずは買う側になってみた(←いまここ!)

これは研究しているうちに起こったこと。ただ漠然とやっていたら起きなかった変化。

マルシェとかフリマだって、最初は買う側から。
いきなり出店側になってももちろんいいのだけど、それだと買う側の気持ちがわからなくて粗相しかねないので・・・。

よく考えると、Lineの有料スタンプとかも気軽に購入する時代。
気付くのおそ! 
おばさんの固い頭を勝ち割らねばなりません。


と色々、ごたく並べましたが、抵抗がだいじぶ払拭できたところで、この連休に、システム内をあれこれいじる。
プレミアム設定というのにしてみたり。
そんなこんなで連休最終日は、この方の記事でお勉強した。


なんと学べるポイントが100項目もあって!!
少しずつ読み進めようと思いつつ、頷くことが多すぎて、どんどん読んでしまった。

なるほどと思ったのは、例えばこんな一節。

「買ったら負けで買わせたら勝ち」という価値観をお持ちの方が成果を出しずらくなっているように思います

note生き残り戦略2024


これ、まんまと言い当てられた感じ。私の中にもあった!ありました! 

この感覚の根柢にあったのは、

買わせる側が知恵が多い、買う側は少ない、
教える方が偉くて教わる方が下、みたいな感覚。

何かを学ぶ際、講師の方が生徒より上、みたいな・・・。

自分のどこかに、記事を読む側は提供する側より下で、読む側の自分のことは向こうは知らないし・・みたいなへんないじけ根性があったのだ。

だから例えば有名ブロガーさんの記事に、どんなに感動しても、知り合いでも親しくもない私が紹介してもね・・・みたいな、へりくだっているようで、実は偉そうな・・歪んだ感覚。

自分の記事をリブログしてもらう時は嬉しいくせに・・。

これこそが The自意識過剰

ちなみに自意識過剰を解消する呪文について、こちらに書きました。
○○じゃあるまいし、どんだけ!


買ったら負けで買わせたら勝ち。を持っていたであろう私ですが、
諸先輩方の記事を購入し拝読し、

なるほど感 > 敗北感

買ったから負け、どころか、むしろ買わない方が機会損失だから、負けなんじゃないかとすら思うようになってきた。

これは記事に限った話じゃない。損したくないと思って動くと損をする。

私はセミナー講師で、長期間かかる(よって結果的に高額に見える)講座の前に、プレ講座を開催して本講座を案内するが、

その時、頑なに【自分でやってみます】という方がいて、その人たちの中には失敗したくない、損したくない、
だから高額のセミナーに参加するのは敗北、
というオーラーがにじみ出ている。

受講者の方々からは「価値を考えたらめちゃくちゃお得です」という声を多々いただいているのし、価格設定も矛盾がないように、整合性がある値付けをしている(夫の指導によって)

でも、うまくいかない人の多くは物事を表面的に捉える。額面だけで捉える人や、営業=騙される、と思いこんでいる人もいる。
そういう人にとって、買ったら負け、ってことなんだろう。損したくない、が前面に出ているから。そう思うんですね。

記事を買う行為も、それに似てるのかなと。

でも一方で、当然ながら、だったらなんでもかんでも買えばいいか、売れればなんでもいいのか、というとそんなことはない。

やみくもに買いあさって
何も身につかないなら、お金の無駄だし、

役にも立たないものを
強引に売りつけると
結局長つづきしない。


モノでも智慧でも、
買うならば、それを使い倒すこと
売る側は、使い倒してもらえるものかどうか。

結局のところ、そこをどんだけ探求できるか。


これは、消費を投資に変えるために必要な心構えだし、
商売の原理原則のように思っている。

だから、買ったら前で、売ったら勝ち、ではなくて、

大切に買い、大切に売れば、
どちらの側にまわっても、お互いに幸せになれる。

損しないようにと考えると、必ず損するように世界はなっている。
恐れから動くと恐れのブーメランがもれなく帰ってくるのだから。


そんなことを考えると、記事を販売するための努力や工夫は、自分にも相手にも役に立てる存在になるための勉強ですな。


人は自分の役に立つものにはお金をはらう

たくさんの人の役に立てるよう、楽しんで勉強して、先輩方のように、はっと感じられる気づきやシェアをしていきたい思う。



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