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化け物を自称するひとに出会った

化け物を自称するひとに出会った。
そのひとは、私が大学で出会うようなコミュニティの人よりは少し年上で、でもその実年齢よりも良い意味で、どっしりと構えたような落ち着きがあるように見えた。

私はそのひとから生まれてくる言葉が面白くて、ストーカーを自称するくらいには執拗に飲みに誘っている。(そして朝までちゃんと付き合ってくれるから、優しいひとである。)

そのひとは、私のことも「化け物」だと言う。
厳密に言うと、「世間に上手く馴染めるタイプの化け物」である。

わかる。
悔しいくらいにわかる。

私は「化け物」なのである。

小さな頃から、私は人とどこか違うことを自覚していた。
それは性自認のこともそうだし、愛する人の性別のこともそうだけれど、それだけじゃなくて。
例えば、びっくりするほど空気が読めなかったり、善意のつもりで言ったことが皮肉だと思われることが良くあったり、小学校高学年になって突如現れた所謂「女子グループ」と言われる集まりにうまく迎合できなかったり。
他の人は上手くこなせることととか、他の人が当たり前だと思っていることをどうも上手くできないという感覚があった。
そのことに対して、人と違うと言う優越感を少し感じながらも、やっぱり少し苦しかったし、やっぱり実害もあって、知らず知らずのうちに人を傷つけていると思う。

それでも、色んな大人に怒られて失敗し続けながら、対人スキルを学んで、ある程度は「愛想が良くて会話のできる人」にまで擬人できたと思う。

でも、「化け物」が化け物でないふりとして生きようとすることの綻びもやっぱりあって、「世間に上手く馴染もう」とするうちに、どこか自分に嘘をついている、というより自分の本質的な部分がわからなくなる感覚に陥ってきた。「本当の自分」を見失っている状態である。

だから、そのひとに私は「化け物」であると見抜かれてとても嬉しかった。
私が「本当の自分」のまま、呼吸ができるような気がした。

「人間擬態モード」を手に入れてからは、そのモードが破綻することが怖くて仕方なかったけれど、一度「化け物」であることを見抜かれてしまった以上、「化け物」のままで生きてみてもいいのかな〜と思った。ある程度の社会性と対人スキルは必要だと思うけれど。

なので、自分はエゴイスティックな「化け物」だよ、ということをこうして匿名ではなく、周りの人が知っている本名のSNSに投稿してみようと思う。少し怖いけど。嫌われたくないしね。


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