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アメリカへの夢

ふと子供の頃を思い出した。当時、日本はキラキラと輝き活気があった。私が生まれた当時、高度成長期のど真ん中で、多くの人がアメリカの豊かな生活に憧れを抱いていた。父は企業戦士としてガムシャラに働き、平日の食卓に父の姿は、ほぼ皆無だった。そして、次第にカラーテレビが各家庭に普及し、新車に変わるたびにサイズが大きくなっていくような時代であった。

私のアメリカへの憧れは高まり続け、高校生になるとアメリカのジャーナリストのボブ・グリーン氏のコラムに夢中となり「アメリカン・ドリーム」などを貪るように読んだ。当時、グリーン氏が書くコラムに魅せられたのは、市井の人々の描写が魅力的だったからだ。

短大生活を東京で送ったものの、地元・秋田で就職することになる。当時、地元では公務員か銀行員がステータスの高い仕事だったため、秋田銀行を受け無事に入社した。しかし、東京支店に配属されたのだ。しかも、当時はミスが多く、散々迷惑をかける日々を過ごしていた。時にミスをして、ものすごく臭いゴミ置き場で伝票をあさったこともあるほどだった。そんな日が続いたが、3年ほど経つと休暇の人の代役を担うまで成長できた。ある日、日経新聞でシティバンクの求人を見つけ、アメリカへの憧れが再び高まる。英語がほとんどできないにも関わらず、ダメ元で応募したら運よく採用された・・・

シティバンクで一緒に働く人たちの多くは海外に留学し、語学に堪能で華やかな女性が多かった。お客様も外国人や外国に関わる方が多く、東京本社では多くの外国人が働いており180度環境が変わったのだ。さらに、30代前半で支店長になる女性もいた。スタッフの多くが20代と非常に若く、私達は「子供銀行」と揶揄していたものだ。懸命に仕事に取り組み、一生付き合える友人にも出会うことができ、シティバンクでの経験は自分の人生でかけがえのないものとなった。アメリカを夢見たことが、自分にとっては最大の幸福につながったと思う。

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