見出し画像

私が計画を棄てた瞬間

2010年に前後して、日本の「ライフハック」とビジネス書がにわかに沸騰しました。

後からふり返るとさまざまな要因が重なっていたと思います。

勝間和代さんと出会って、いっしょにセミナーを開催させてもらったのもこの頃でした。彼女は「仕事術」をもって「年収を一〇倍アップできる」といった主張で人気を博していました。

私が当時のツイッター(現X)を始めたのが2008年です。つまり「スマホでインターネット」が実用に耐えるようになりつつあった時期でもあります。
手元から情報を好きに入出して、それを仕事に活用するといった話も、ようやく夢物語ではなくなりつつあったのです。

「ノマド」というキーワードがビジネス書にも登場しました。

私自身はこの流れの中で、どうにかして「タスクシュート」を全国展開し、可能なら全世界に広めてしまいたいと勝手な野心をもっていました。

しかし私は、ウィンドウズのエクセルだけではなく、MACでもスマホでも、iPhoneでもiPadでも、タスクシュートで仕事を進められる環境を求めました。求めるだけではなく実践し、本まで出しました。

このころはそういう本が出せるくらい、仕事術とライフハックに期待する人が多く出始めたのです。

もちろんライフハックが流行して、私は仕事がやりやすくなりました。出したいと思えば、書籍の企画が通りました。並行して3冊も4冊も原稿を抱え、家族旅行にもMACをもって原稿を進めては、メールをやりとりしていたこともありました。まさに「ノマド」と実感した覚えがあります。

いっぽうで、少しずつモヤモヤと奇妙な気持ちが溜まっていったのもこのころからでした。

私自身の、書籍を4冊も抱え、毎月のようにセミナーで喋り、連載原稿まで書いている「忙しさ」の本当の役に立っていたのは「タスクシュートだけ」でした。

タスクシュートをコアに、大橋流の「スピードハックス」しかやっている実感を抱いてなかったのです。

タスクの洗い出しがはやっていました。私もそれに「何かしらの意味」を見出そうと、リストアップしてはEvernoteとタスクシュートに「整理」しましたが、1タスクすら実行することなくぜんぶ棄てるのを繰り返すばかりでした。

2009年には娘を授かっていました。驚いたことに娘の誕生以来、私は「何もかも満たされた気持ち」になれてしまったのです。

それは娘が生まれたのですし、桜でも咲くように年収が十倍になるならそれに越したことはありません。

しかしそのためになにかをしようというモチベーションはまるで生じませんでした。お金も銀行に預けっぱなしで娘としりとりばかりしていました。

「ライフハック仲間」に調子を合わせて年始には「目標を設定」しました。しかしそれはいかにも自分らしく、なにもせずとも必ず達成される目標ばかりでした。

たとえば「今年は本を3冊出す!」というようなものを「ミッション」として掲げておくワケです。しかしそのころは3冊の企画がすでに通っているというカラクリでした。

私は毎日のようにタスクシュートを更新し、タスクリストを1つ残らず実行させ続けました。朝の4時に起き、娘と一緒に9時には寝るようにしました。目標も計画もなく、それで十二分に幸せでした。

そんなある日、私のモヤモヤした日々を一変させる大事件が起こります。

2011年3月11日のことでした。

その日私は渋谷駅の、いまはない「東急会館」の最上階にいました。

目の前にはタスクシュートとシゴタノ!の大橋悦夫さんがいました。

彼と昼食をとりながら「先の構想」について話しあうといった、じつに優雅な時間を過ごしていたわけです。

食べながら私はなんとも妙な気持ちになりました。大橋さんといっしょに遊園地のバイキングにのっている気持ちになってきたのです。それが私のいまでも残っている「震度6」の感覚でした。

それからの数分は「ここで死ぬかな」と数年ぶりに考えました。

ふと数分前に仕事のパートナーと「先の構想」を考えた自分が笑えてきました。笑っている鬼が目に見えるような気持ちになりました。

「未来の計画」とは「予知能力」を前提としていたのだという、ある意味で当たり前のことに気づきました。同時に「自分には1秒先の未来もまるでわかっていない」とも思い知らされました。

天井を見ると、あれでよく落ちてこないと思うほどシャンデリアがブンブンと回っていました。

その日から私は「未来の計画」をすべて放棄しました。Evernoteにためてあった「情報」も、趣味のものを除いて廃棄しました。

私の仕事術としてはいまや「タスクシュートだけ」が残りました。

いつまでも生きていられるわけはなく、一寸先のことすらわからないとしたら、まだ右も左もわからない娘といつ「お別れ」になるかもわからないのに、よく「計画」なんかに没頭していられたものだと身震いしました。