努力と感謝 明るくない話

ああ自分って世界に愛されていないんだな、って思う瞬間ってありません?たぶんあると思うんですけど。
冷静に考えたら誰にも愛されてないなんてことはたぶんなくて。なぜならきっと世界中の全員に愛されることができないのと同じように世界中の全員に嫌われることもできないから。
だけどそれを頭でわかっていてもそれでも愛されていないんだなって自分の中で納得してしまうことってたぶん誰にでもあると思うんですよ。きっと。わからないけれど。少なくとも僕にはあります。

誰かが何かの仕事をして、感謝の言葉をかけられているのを見るたびに、なんだかいつも、かつて自分が同じコミュニティで何かの仕事をした時には誰にも感謝の言葉をかけてもらえなかったななんて勝手に思い出してしまう。
ざらざらは指を滑らせすぎてもう引っかからない。それくらい。

だけど、努力は目に見えない。他人の努力を見ることはできないし自分の努力は他人には見えない。
だからたぶん、愛されていないから感謝の言葉ひとつも貰えないなんて思考の流れは全部間違いで嘘で、ただ単純に人から感謝の言葉をもらえるほどの努力は実際できていなくて、感謝の言葉を貰える誰かは見えないだけで相応の努力をしているだけなんだろうなとか、思う。

最後まで投げ出しはしなかったし、自分の人生に関わるようなことを犠牲にもしたけれども、トラブルなく終わったとはとてもじゃないけれど言えないし。自分にとって大切なことを犠牲にしないと最後までできなかったのは自分の力不足でしかないし、最後まで投げ出しはしなかったけど最後まで投げ出さなかっただけ。
まあそもそも僕が始めたことでもなかったんだけどね。誰かがやらなければいけないけれど誰もしないから仕方なく引き受けて自爆しただけ。うん、そりゃ感謝されるわけないか。たぶん誰もやらないからって放置して白紙にしたって別によかったんだろうなって、今となっては。

だけどやっぱりなんでだろうなって事あるごとに思い出して、同じように無音で呟く。今日も明日も続く未来のその先でも。
自分なりに頑張ったつもりだったんだけどなぁ、って。結局そんなに頑張れてなくて上手くもできなかったからなんだろうけど。
あぁ、頑張ったか頑張らなかったじゃないのか、上手くできたか上手くできなかったかなのかな。うん、そうかも。世界って結局。

何を頑張っても僕が得るのは結局いつも自分には向いてないんだなっていうどうしようもない、いくら捨てようとしても離れない絡みつく事実と誰かを傷つけた証拠の返り血で、混じって本当にそうかも分からなくなった僕の血で、なんで頑張ったんだったっけな。
そこにこびりついた赤って僕が悪いんだっけな、いや僕が悪いんだけど。傷つけられたからって人を傷つけていいわけがない、なんてどこにも間違いのない正論で、でも傷ついた方が我慢しなきゃいけないだなんて全く不思議な話だ。それじゃあ先に傷つけた方の勝ち逃げじゃないか?
でも僕が投げた、投げてしまった刃物は、いや意図的に投げたんだけどともかくそれは君が絶えず投げる刃物に耐えられなくなって他に方法がなかったからで、でもじゃあ君が投げる刃物も僕がいつか投げた刃物に対する不可抗力のものかもしれなくて、これじゃあ鶏が先か卵が先かで。

…なんてこんな言葉を生み出しながらも大した感情の動きもなくなんだか他人事みたいに窓の外を眺めている。
愛されている人と愛されていない人ってなんだろうね。
家庭環境だとか生い立ちだとか、他人の見えないところは何も知らないのに、あるいは周りの誰かの、特定の人から愛されていない事実を知っているのに、傍から見ていてああこの子は世界に愛されてるな、って思ってしまうのは何なんだろうね。
誰だってたぶんどこかで愛されていて(望まないところで愛されていたとしても本人が愛されていると思えないのなら、望むものと違うのなら、意味がないという思いがどこかにあってそう言い切りたくはないけれど許してほしい)どこかで愛されていなくて、だから愛されている人とか愛されていない人とか絶対的なそんなものはないはずなのにそれでもそう感じてしまうのって何なんだろうね。
隣の芝生は青く見えるって言うけれど、そんな言葉で終わらせて、諦めて納得して鍵をかけてしまっていい性なのかな。
誰かに感謝されるために頑張っているわけじゃないはずなのに誰にも感謝されないと心ごと全部見失ってしまうのも、世界に愛されないと知ってそんな世界を愛していたかったけどやっぱり無理で、愛せないって諦めたのに世界に愛されたかったような気がするのも、全部全部不思議で仕方がない。
何かをどこまでわかっていたって変えるのは難しくて、変えていいのかどうかにも薄っすら疑問のようなそんな感情を持ったまま、まだ心臓は動き続けてる。

頭ではわかってても心じゃ全然わからない、そんなことばっかり。
今日も窓の外は静かで綺麗です。
誰かが苦しむ日も誰かにとっては幸せな日で、世界はお構いなしに綺麗で汚くて、でも綺麗も汚いも結局見る人のつけた色でしかなくてありのままの何かなんて誰も見ることができないんだよな、とか。

2024.4.20

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