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熟達者への道、熟達するためにできることを探る

※このnoteは、私がAmazonにレビュー投稿したものと、一部同じ内容を含んでいます(2024/2/22 7:30時点でレビューには未反映)。


為末大さんの『熟達論』を読みました。

スポーツの例が多いですが、スポーツだけに限らず、さまざまな分野で「熟達」する方法を教えてくれます。

ハードル選手だった為末大さんが、個人競技、団体競技の選手やコーチ、囲碁将棋や研究者に至るまで、著名な方に聞いて、獲得された方法を提示してくれます。私は、「記事を書くこと」に「熟達」したいと思って、ヒントが欲しくて手に取りました。

ただ、『熟達論』を読むだけではダメで、自分で考えて、実践して、考えて、を繰り返さないと、ただの空論になってしまうでしょう。それと、ほとんどの人にとって、経験のない領域の話が含まれるので、キョトンとしてしまう人も多いでしょう。似た理屈を聞いたことがある、超一流のスポーツ選手のエピソードで見聞きしたことがある、といった内容も多いので、理解はできますが、自分の経験を超えた話が続くと、読むこと自体が、つらくなるかもしれません。

『熟達論』メモ

以下、為末大さんの主張に関するメモです。

熟達について

・何かの技術を極めていく過程では、越えられない時がきて、都度、アプローチを変えて乗り越えていかなければ熟達者になれない
・本書の熟達の定義
「人間総体としての探究であり、技能と自分が影響しあい相互に高まること」
・コンピュータに例えると、「私」OS、「技能」アプリと捉えるとわかりやすい。コンピュータと違うのは、アプリが開発を続ける中、OSも影響を受けて、アップデートする

為末大さんが熟達することに興味を持った理由

アスリートはそもそも自分がうまくいかなかったことに興味を持つ。チーム競技には、組織論、試合時のメンタルでは、心理学、怪我が多ければ生理学、メディア対応で苦労した人はメディアとの付き合い方。為末さんは、ずっとコーチもつけずにやってきたので、人間がどのように学ぶか、に興味を持って、いろんな人から意見を聞いてきた。

熟達する人の共通項

・基本となるものを持っている
・迷うと基本に返っている
・人生で何かに深く没頭した時期がある
・感覚を大事にしている
・おかしいと気づくのが早い
・自然であろうとしている
・自分がやっていることと距離を取る態度を身に付けている
・専門外の分野から学んだ経験がある

熟達するための5つのステップ「遊」「型」「観」「心」「空」

「遊」

・あとになって、技術的に遊びを取り入れることは難しい
・学びを意識すればするほど、遊びらしさが失われる
・「計画した、計画通りになった」では、「引っ掛かり」が生まれにくい
・試行錯誤が、将来の学びにつながる
・強制されない、役に立つわけじゃない
・遊びには余白がある→どう転ぶかわからない
・遊びの不規則さ、ある状態にい続けることを許さない
・目標に向かって、計画を進めれば、成長できるが、それ自体が枠組みにおさまってしますかもしれない
・トレーニングの刺激に慣れると、あまり身体の変化が起きなくなる(馴化)
・慣れた正しいトレーニングより、慣れないトレーニングのほうが効果が高いことがある
・アスリートは、頂点を目指しながら、まっすぐではなく、ジグザクに頂点を目指していく

・継続するためには、二つの報酬システムがある。未来報酬型(目標) と、現在報酬型(遊び)
・動機が続けば、未来報酬型でも構わない。でも「おもしろい」にこれ以上の動機はいらない(続けられる)
・オリンピックに出る選手と、その下のレベルの選手に、身体的な差はほとんどない。でもパフォーマンスには違いが出る。なぜか? ポテンシャルを引き出して、思いっきり動けているか? ではないか?(科学的には説明できていない)
・熟達する過程で、抑制を覚えることはあるが、最初は、思いっきりを覚えたほうがいい

「型」

・「型」:土台となる最も基本的なもの
・「遊」の次は、「型」
・目指すのは、何も考えなくてもそれができる状態
・手順通りに習得しないと、先に進んだ時にうまくいかなくなる
・「遊」だけではダメ。土台がしっかりしてないのに、増改築をしている建物になる
・積み木は、土台の安定で高さが決まる
・人間は最初についた癖を取り除くには、最初に癖がついた時よりも労力がかかる
・積み木の例、これ以上詰めなくなったからといって、土台だけ変えることはできない。一つずつ取り除いて一番下を変えるしかない
・なぜ人間にだけが「型」が必要か? 他の動物は、人間ほど可動域が広い身体を持っていない
・いい型かどうかはわからないが、悪い型の特徴はある
 - シンプルではない
 - 検証がタブー視されている
 - 効果を期待されすぎている

「観」

・型を手に入れると、観察ができるようになる。
・一つ一つを部分に分けて、互いの関係が見えるようになる
・動作に意識が向いている時は、それを行うことに集中しているから観察できない。
・語学の習得:量の蓄積、部分の理解、推測、全体の理解
・部分に注意を向けたことで、全体にも影響がおよんで、怪我につながることがある
・部分に注目していると、周辺の情報が入ってこない
・絡み合った複数の関係が見えると、構造が見えてくる
・誰かの技能を見て、それを活かせるかどうかは、内部システムの理解ができるか?
・「俯瞰」と「集中」
・雑念は避けられない。雑念が浮かぶことを避けることはできない。
・うまい人は雑念を留めることなく流す、ひたすらに手放す
・一つの動作に意識がいきすぎると、何が正しいのかわからないイップスになる

「心」

・型を手に入れて、全体を観ることができるようになると、ここをおさえていれば、だいたいうまくいく、という「核」を手に入れる
・本当に大事なこと以外は意識せずにすむ
・走る時、着地を意識することから、脚を弾力あるゴムのような感覚を保つことで体重を乗せた時にたわみ、反発する
・実は、普段の環境は、少しずつ変わっている。同じ環境は一つもない。暑い日もあれば、寒い日もある・一定を保つということは、補正ができている状態
・その人固有の「中心」を見つけて、そのずれを把握できれば、冒険もできる
・自分の個性を理解する方法:自分の行動や言葉を、まずは、他者のように観察して、そこから自分の性格を推測するのだ**

「空」

・自我を消す、言葉を離れる

感想

読んでいて難しかったのは(心から理解ができなかったのは)、スポーツにせよ、「観」以降のステップを体感したことがないことです。仕事でも、観察して、そのフィードバックを得て、進めるということは、よくチャレンジしますが、うまくいっているとは言い難いです。ただ、これまで自分の中で人生最上の経験や、一流の人の発言、超一流の人を取り上げたテレビ番組や書籍から、見聞き情報と一致していることがあるので、頭で、情報として受け取ることができました。

難しい… という感想に留まらないためには、すごいと思う人の著作などから「型」を見つける、という作業を続けること、普段、自分がどういうことをしているか、尊敬できる人と自分を「観」するところまではしっかり意識してやっていきたいですね。現状には満足していません。まだまだこれから熟達できるように努めます、必ず!

いい歌を詠むため、歌の肥やしにいたします。 「スキ」「フォロー」「サポート」時のお礼メッセージでも一部、歌を詠んでいます。