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「デイヴィッド・ホックニー展:『春の到来』に感じた魅力を探る

東京都現代美術館の『デイヴィッド・ホックニー展』に行ってきました。

「デイヴィッド・ホックニー展」に期待していたこと

行く前から、印象的なポップな絵、あのポスター画像の絵と、ラッパスイセンの絵、明るい緑が興味の対象でした。だいたい美術展に行くと、新たに好きな作品が出てくるのですが、惹きつけて離さない、ポスターにある絵(『春の到来 イースト・ヨークシャー、ウォルドゲート 2011年』)とラッパスイセンの絵(『春の到来 ノルマンディー 2020年』)の魅力を知りたいという気持ちで、他の絵も見ることになりました。

あのポップな色使いの秘密はなんでしょう?

事前にこちらの動画で予習をして、構図についての理解は少しできました。

一点にだけ消失点がある線遠近法が、実際に人の目で見ている映像、印象とは違うので、線遠近法を脱しようとしたこと。

表現として、遠近法を使わない浮世絵のようなものを参考にしたこと。実際に、ウェザーシリーズと題された中にある『雪(1973)』は、歌川広重の『蒲原 夜之雪』を思わせるものでした。

また、別のヒントとして、以下の動画を見て、40歳代には、難聴で耳が聞こえにくくなったとのことを知りました。耳をふさいで見ると、何か発見があるかもしれないというコメントを聞いて、実際に耳を塞いでみることで、おもしろい感じ方をしました。

「木(1986)」と題された絵の中、実際の木の肌ともとれる、ゴッホの筆のタッチともとれる木の根っこが、音のない状態で見ると、うねうねとした感じが強くなりました。音の有無で感じ方が違いました。ポップなようでいて、躍動感を感じるタッチというものがあること、iPadを使った制作でも、そうしたタッチが活かされているように感じました。

色の扱い方は、かなりマティスの影響を受けていたと感じました。
『井戸の眺め(1984-85)』『ホテル・アカトラン 第1日(1984-85』
は、マティス展に置いてあっても、気づかないでしょう。

例えば、マティスの色使いの解説はこちらの動画で。

また、『スタジオにて、2017年12月』という作品、ご自身の制作現場にさまざまな画家の絵が配置されて、その中心にホックニー自身がいる絵と写真をコラージュしたようなものですが、これを見ると、そこにあるゴーギャンの絵の色使いにも似ていると感じました。

じゃあマティスがラッパスイセンを描けば、あの色にするのかと言えば、そんなことはないでしょう。

その答えの一つに出会うことができました。展示の中に、四面、イングランド北部のブラッドフォードの景色の四季の映像が流れている部屋がありましたが、霧深い林道の日に当たる樹々の緑に、あのポップな薄い黄緑がありました。まったく同じではないので、写実とまでは言いませんが、子どもの時に見た、キラキラを描き起こしたものだと言えばそう感じるものだったと思います。

上のようなことを考える材料に、予習したnoteはこちら

以下、個別の作品ごとに、絵を見て感じたことを書いていきます。

作品ごとの感想

『スプリンクラー(1967)』

ショップで購入した絵ハガキ

水色と淡い緑が印象的です。
空の水色も、屋根の茶色も一色に見えます。のっぺりとした色に、明るさと同時に人工物感を感じますね。水は、白の濃淡で描かれています。これはまだ耳が悪くなる前でしょうか。

『午後のスイミング(1979)』

ショップで購入した絵ハガキ

こちら光は白、水は濃いめの青のみですね。
水の躍動感がいい。こちらは耳が悪くなった後でしょうか。あくまで推測ですが、この水のタッチは、耳が聞こえなくなってさぐった躍動感を与えてくれるタッチではないでしょうか。

『(額に入った)花を見る(2022)』

ショップで購入した絵ハガキ

写真に絵を描きこむ、フォトドローイングの作品です。
一つしか置かない花と花瓶の図像をたくさん置いてみるとどう感じるか? という実験的なものなんでしょうけど、マイクラでこんなん見たことあるわー

『クラーク夫妻とパーシー(1970-71)』

ショップで購入した絵ハガキ

これは予習でも見た絵ですね。
画面全体の消失点と左下のテーブルの消失点が異なることで、見る人と絵の中の人の視覚の感じ方が違う、鑑賞者側にも視点を置いた作品です。でも、もっと極端に実験的な「ホテル・アトカラン」のシリーズがあったので、この絵自体に、不思議な感じは持ちませんでした。左上に、ヒエログリフがありますね。これなんて書いてあるんでしょうね。

『龍安寺の石庭を歩く(1983)』

ショップで購入した絵ハガキ

これ、石庭をパーツパーツで撮って、つなぎ合わせたものですね。遠近法を離れるための実験的なやつです。

隣にあった『ボブ・ホルマンに話しかけるクリストファー・イシャーウッド(1983)』も写真を繋ぎ合わせていました。重なっていて枚数が数えにくかったですが、およそ100枚の写真が貼られていました。『ボブ・ホルマン~』にはキュビズムの要素も感じます。ただ、横に座っている人の視点まで持ってきたものではなく、あくまで、正面に座る撮影者の視点で、撮影者の移動や向きによる複数の視点の表現です。舞台芸術の仕事をされていたということなので、それがこうした表現につながっているんでしょう。確かに舞台を見る時、左前方から舞台の正面を見る印象を「ホテル・アトカラン」の絵を横から正面に見る時にも感じました。

『シーリアのイメージ(1984-86)』

キュビズムの影響として気になったものは、この絵です。
対象の存在全体をどうとらえるかと言うより、ホックニーは、あくまで目で見たものをどう感じるかという視点を大事にしたかったんでしょう。一部のみをキュビズムのように多面的に見せても、それが目で見た世界と融合する形を模索して、実装したように感じました。

『春の到来』

この部屋と隣の部屋は、写真OKでした。

そうそう、これが見たかったんです。先に書いた通り、イングランド北部の風景にこれらの色が確かにあったように思います。ちょっと身をかがめて、下から上を見るようにすると、子どもの頃の彼には、自然に対して、こういう印象を持ってたんじゃないか? と感じました。

iPadで書かれたこれらの絵の色とタッチがとても好きです。以下の絵の周りを3周しました。素敵ですよね。

まとめ

色はマティスの影響を受けつつ、それだけじゃなく、現実にホックニーが自然に見た景色を、色で再現したんじゃないかと思いました。タッチは、耳が聞こえにくくなったあと、より躍動感を感じるタッチを探ったんだろうと思います。『春の到来』も、耳を塞いで鑑賞しましたが、草や植物がうねる感じは独特でした。色とタッチで、そうした感じが出せることを知りました。展示を見ながら歩いていて、ワクワクする感じがいいですね。自然を鑑賞している気持ちにさせられました。楽しかったです。

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