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アリス・ベイリー著『宇宙の火』より、電気の火について

COBRAの2024年5月15日の記事「Spear of Heaven」で紹介された記事「THE BOOKS OF ALICE BAILEY
"A Treatise on Cosmic Fire" DIVISION A. CERTAIN BASIC STATEMENTS」を翻訳しました。

※翻訳がお気に召しましたら、記事下部からサポートをお願い致します。

”ダイソン球の再調整の結果、ミョルニル技術の容量が増加し、現在は最大容量の15%から30%の間で変動しています。この容量をもとに、5月1日から光の勢力はグングニルと呼ばれる別の多次元量子技術を活性化しました。グングニルは高度な惑星アセンション技術であり、現在この惑星に向けて膨大な量の電気の炎を送っています。”

元記事

基礎
本稿は、神霊の電気的炎について語られている『宇宙火に関する論考』の最終章である。本稿を読み進める前に、秘教徒には理解しておくべきことが一つある。それは、宇宙火の正体を捉えることは不可能に近いということだ。なぜなら、低次元における物質的理解では神霊の本質を解き明かすのが無理だからだ。しかし、「天の父」たる「モナド」に意識的に接触した経験を持つ、第三イニシエーション以上の高位の秘教徒にのみ、知的な理解に至ることができる。 第三位以下の秘教徒はまず「第二の側面」である「魂」との接触を試み、これとの絆を深め、その上でさらに上位の概念を知るという行程を踏むことになる。新約聖書にも「霊(スピリット)」について語られている部分がある。これが大いなる主が秘教徒ニコデモに語った秘密の教えである。

ニコデモは第二イニシエーションにあったため、彼が授かった教えは第三位に登るための課題であったと考えられる。実際に、ニコデモは与えられた言葉の真意に、理解の片鱗を見せていた。

風は思いのままに吹く。その音を聞いても、それがどこから来てどこへ行くのか分からない。御霊によって生まれた者もみな、それと同じ」

この言葉には、2つの考えが含まれている。すなわち、風によって発せられる「音とその向き」、それと「音の結果」である。この場合の「風」とは「進化」を表しており、神霊からの指示エネルギーや、その活動によって生まれる効果を示しているのである。秘教徒に個人の意識として知的に理解できるのは、ここまでである。

本稿で我々ができることは、3つの方法を通して諸君に真理を伝えることだけである。第一に、冒頭に述べたことは、ジャーンの書による啓蒙でもあり、それを通して真理を伝えられるということ。第二に、各ページの中に散らばる断片化した秘密の教えを関連付け、熟考することによって得られる悟りである。特に、次の言葉に注意されたし。

「火の秘密は聖なる言葉の二文字目に隠されている。生命の神秘は中心に隠されている。下方が振動するとき、聖なる三角形が輝くとき、点、中央の中心、頂点がつながって、火を循環させるとき、三つの頂点が燃えるとき、二つの三角形(大と小)が一なる炎へと融合し、全体を焼き尽くす」

第三に、本文に散りばめられている様々な図表や言葉の絵の考察を通して諸君に伝えること。新時代の秘教徒は、目という媒体を通して、線や図の形で提示されたものを理解し、解決し、習得しなければならない。 すべては象徴であることを習得しなければならない。

さらに、神霊を理解しようとする秘教徒は、以下の事実を把握しておく必要がある。

I. 物質界、つまり太陽系全体が顕現するうちは、天の最高位にあるジャーン・チョハン(天使)が、実体を否定したり、物質の非存在性を考えるということはない。人間が悟りに至るには、魂の本質が「霊」の一面として顕現するということを、理解する必要がある。それ以上のことは人間にはできない。三界から切り離された魂として、魂がどう機能するか学んだ人間は、魂の「行動」の一面としての自意識に目覚め、物質界のあらゆる側面に浸透していく。そうして初めて、自分自身の中心に隠されていた宝石を正しく理解することによってのみ、神霊の純粋な光そのものが目に見えるようになる。そうして初めて、太陽という現象の中心に隠された、より偉大な宝石に気づくことができるのである。そのような高度な段階であっても、意識して接触し、視覚化できるのは、宝石から発せられる光と、その光の内に隠れた栄光だけなのだ。

その時、視覚者は、純粋なる「視覚」となる。知覚者は、知覚されたものの本質をまだ理解しない。それは太陽系のそのまた太陽系の向こう側にある。その啓示の意味、すなわち生命の本質は、すでにその振動数、熱、光によって知らされているというのに。高位の秘教徒にやっと感じ取れるものを無闇に研究したり、考察したりすべきではない。自らの思考そのものを完全に理解していないのに、思考の背後に安置されている本質を探し出そうとするのは、無駄なことである。偉大な思想家であっても、己が表現しようとしているものの本質を知らないものである。

我々にできることは、まだ「未知」が存在するという事実を理解してもらうこと。生命力が魂を生かすために活力を与えていること。そして魂は生命の思うままを行なっているということ。この法則が物体、魂、人間、亜人、惑星、太陽系というように万物に浸透している。

II. 秘教徒たるもの、あらゆる表現の本質は象徴(シンボル)であることを理解するだろう。象徴には三通りの解釈がある。象徴はそれ自体がイデアの表現であり、イデアには想像もつかないような真意がある。

象徴の3つの解釈法は次のとおり

  1. 象徴の通俗的解釈。大抵が、象徴の客観的な有用性や形を基にしている。通俗的な解釈には、さらに2つの用途がある。

a. アイデアや概念を理解するためのヒント。この働きにより、象徴とメンタル界における通俗的解釈とを結びつけることができるが、あくまで人間の3界の範疇におけるものである。

b. 想念を象徴という形式に制限することで、太陽ロゴス、惑星ロゴス、そして人間が到達した進化の地点への理解に適応させる。 想念の後ろにあるイデアは象徴よりも強大で完全で、充満している。 しかし、物質は中心エネルギーの象徴でもある。 自然界に存在するあらゆる形を持つもの、そして幅広い意味合いと全体性を帯びて顕在化した想念の覆いは全て、生命を象徴したものだ。しかし生命それ自体は、神秘のベールに包まれたままなのである。

通俗的な解釈法は多岐に渡り、いくつかは役立っているものの、多くの人々を混乱させている原因にもなっている。あらゆる象徴は、3つの創造主たちが事の発端になっている。

太陽ロゴス。人工物でない、天界の賜物である。

惑星ロゴス。大きく7つの界に分けられ、それぞれの方法で象徴を具現化する。

人間。日々、象徴などの形あるものを無意識のうちに作る。無自覚とはいえ、精神と理性を創造に使っていることから、人も創造主の名に値する。

人間以下の存在、あるいは人間の意識に到達するまでに長い転生期間が必要なものたちは、創造主と見なされない。そうした生命体は、基本的に他からくる3種類の衝動の下で自由に働く。

2. 主観的解釈。物体の正体を見破ることである。イデアそれ自体は無体であるが、具体化することで客観性を持つようになる。前述したように、想念は例外なく、創作者の意図も関係なしに、あらゆる形あるものの背後に潜んでいる。イデアは「学問の殿堂」に入門した秘教徒だけが知ることができる。未だ「無知の殿堂」にいる者には、決して気づくことができない。しかし、人が自らのメンタル体を駆使して自らのエゴに対峙することで、3つのことが起こる。

a. 物理を超えた神秘体験を語ろうとするようになる。

b. 自らの魂の知識を総動員し、物質のベールを剥いで魂の世界に辿り着こうとする。

c. 秘教学の用語を使い始める。そして観念を定式化することで、魂のエネルギーを操作して、具現化や創作を試みるようになる。

メンタル界での鍛錬は、創造の鍛錬に等しい。魂の本質を知ることは、即ち具現化の主観に意識的に触れることであり、魂エネルギーの使い方を覚えることでもある。魂の潜在能力を開花させることは、アカシャとアニマ・ムンディに秘められし力と気流を知ることである。


魂との接触と主観的知覚が発達するにつれ、人は意識的に創造者の一員となり、想念を司る熟達者(アデプト)たちの覚者(ハイラーキー)の計画に加わり、惑星規模のイデアを物質界に顕現させることになる。「学問の殿堂」における等級を通過してゆき、作業能力も象徴の真意の読み取り力も強化されていき、もはや物事の外見に惑わされることはなくなっていく。


3. 「霊的意味」はイデアによってベールに包まれた、主観の先にある本質である。これはまずイデアを形式の世界へと発散させる至高の目的があるものとみなすことができる。これが主観的な活動を司る原動力になる。

象徴の3つの側面は、すべて原子の形態に結びつけて学ぶことができる。例えば、物理学者や化学者が原子と呼ぶものの学問を通して、それを生み出すエネルギーの象徴として「原子」を扱っている。原子の形は、それ自体の外在的・通俗的な現れである。現時点では言葉での表現に限界があるが、原子の中にも「原子的性質を持つもの」がある。それが「電子」である。電子はどの原子においても、特定の大きな役割を担っている。それは、魂が人間の人格形成に大きく関わっているのと同様である。よって、電子は物質の主観や生命を表す。これにはさらに、究極的な、全てを肯定する力がある。全体に一貫性を持たせ、外在性と主観性という二元性を均一化するのだ。諸君に読み取れるだろうか?これの霊的意味が。

人間という「原子」を見ても、上記の3側面が顕れているのが
解る。物質界における人間という形は、内なる主観的イデアの外在的な象徴である。イデアは特異な質と属性を持ち、人体を通して表現を求める。よって、魂は霊的衝撃の結果とも言える。しかし、その衝撃は何者によるものであろうか?ロゴスであろうと、人間本位であろうと、魂やイデアの裏にある真の目的は、まだ誰にも定義されていない。何故なら、これら3要素がすべて、まだ進化の途中にあるからだ。この世のすべてはまだ「不完全な神々」なのである。故に、魂の裏にある霊的意味への完全到達には至っていない。

III. 賢明なる秘教徒の諸君にとって、「電気の神秘」について考える機会がよくあることだろう。電気は光と振動そのものの生成の原因に関わる。これまで我々は、自然界における主観の作用(秘教徒はまずこれを熟慮し、触れていかねばならない)によって発生する「結果」と、その客観性について論じてきた。ここで一つの悟りに到達するはずだ。これまで目にしてきた全ての出来事には原因があった。そして、すべての主観的現象の背後には、本質的な霊的意味があった。この霊的動機、裏に潜む霊的原因こそが、霊的人間の最大の関心の的である。この世の人間たちは、客観的現象(物体)の中で生活している。同時に、秘教学(オカルト)を学び、人生の主観的研究に没頭する者であっても、物体に囲まれた生活から逃れることはできない。何故なら、それの裏にある神秘の力は、物質界を通してしか知りえないからだ。その神秘の力は主に3つに分類できる。

a. 二分化された精神(メンタル)界において発生する力。

b. 感情から生じる力。

c. 純粋な物理的性質の力。

秘教徒たるもの、推して知るべし。ここまでで得た知識を通じて、三界の全てを知り、己の正体を知るべし。

霊的探究者といっても、一人の世俗の人間である。しかし他と違っているのは、これまでのすべての原因の背後には、「真の原因」があるという結論に達した人間だということである。その「原因」こそが、すべての謎を仕掛けた謎なのである。よって、これまで解き明かされた全ての謎が、本当の神秘を包んでいたベールに過ぎなかったことも解る。これこそが、全知の鍵を隠し持つ、高貴なる「未知なるもの」の正体である。広大な生命の蜘蛛の巣に住み、自分自身を知り、自分自身が「アートマ」であることを知り、神霊であることを知る。唯一無二の、絶対的な真実の大火焔である。

「汝、本当の自分を知れ」
最初の大号令の後、神秘を知るための長い旅が始まった。「我を知る」ことで、「我らを知る」のである。宇宙霊魂との合一によって、ただ宇宙が自分に開かれるのではない。7つの封印がそこで解かれるのだ。人間が達成者(アデプト)へと歩を進める時、決まって号令をかける。「汝、本当の自分を知れ!」その真意はこうである。「原因の創造者を求めよ。その鍵は魂と、魂が表現する瞬間にある。求めよ、魂が明かすその瞬間を」

これが熟達者(人間としての完成体)の、更なる高みである七界への手がかりである。謎に包まれたその道を見つけ出すには、その名前、あるいは象徴という光を当てるしかない。高位イニシエーションへの道程を明かすことはできない。それにまつわる情報は出版されるどの書物にも記載されることはない。しかし、象徴によって示唆を与えることはできる。天啓は象徴を熟慮することで獲得できる。推して知るべし。

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