見出し画像

人口2000人、顔が見えるまちで息をする|浪江の記録 #1

いまわたしは、東京にいる。高円寺にある自宅のベットの上で、パソコンでぽちぽちと文字を打っている。

人口2,000人の、顔が見えるまちに移り住むことにした。福島県の沿岸沿いにある、浪江町というところだ。
入居日は、3月中旬に決まった。少し築年数は経っているけれど、陽の光がたっぷり降りそそいで、自然と元気になっちゃいそうなお部屋。今は、まるで花びらのように心が軽い。

東京にいるとき、私は模型のような世界にいるのではないかと感じることがある。急ぐように生きていると、いつの間にか感情が置いてけぼりにされてしまうこともある。

たくさんの刺激があって、自分を何者かにしていく一方で、自分を複雑にしているという気持ちがある。情報に埋もれて不安になるような瞬間が、往々にしてあった。わたしの家は、窓をあけても緑が見えなかった。自然の隣で育ったわたしは、たまに息がしにくいなと感じていた。

浪江・五つ葉のクローバー!!

とはいえ、東京の魅力もたくさん味わった。

どんなに疲れて家に帰っても、目の前にはコンビニに頼ればすぐご飯が食べられるし、ウーバーイーツで友達と好きなごはんも楽しめる。アマゾンでポチッと押せば翌日には手元に届いている。人がたくさんいるから、人目を気にすることも少ない。すぐに手に入る便利さにも感動するし、刺激的で、あたらしい世界に飛び込むワクワクもあった。

何より、心置きなく過ごせる仲間に出会えたことが、一番の宝だ。彼ら・彼女らのことが大好きで、移住の唯一の心残りでもある。

それでも、田舎には田舎のよさがあって、それはずっと大好きだった。

上京してから6年。たくさんの経験をした東京は、たまに味見するくらいが丁度いいかなぁと思っていた。東京の"まち"から離れることを、去年からうっすらと考えていた。("街"は冷たい感じがするので、町かまちって使いたいなと今気づいた。)

そんなとき、ふと思い出すのは、あの福島の浪江でしか感じることのできない、感覚だった。わたしにとって住む場所は、豊かさを構成するとても大事なものだ。

福島県浪江町に初めて訪れたのは、2022年6月だった。震災関連を入口に、このまちに携わることになり、もう1年半以上がたった。最初は仕事をきっかけに携わっていたが、どんどんまちの魅力に惹かれていった。

自転車を走らせば海を見れる距離にあって、周りには山も広がって。
今は人口約2,000人。わたしもまちに知り合いができてきて、誰か見つければ「あ、ひでそうさーん!」と挨拶するなど、顔が見えるまちだった。息をするだけで幸せになれるような、そんな感覚だった。

なにしろ、震災で一度人口がゼロになったまちだから、みんなでこのまちを創っていこう。そんな前向きなエネルギーで溢れているし、自分の人生や生きるということを大切にしている。
元々住んでいた人、仕事から定住した人、地域おこし協力隊の人、ふらっとやってきた人。経験や背景は違うけれども、みんな決断をしてまちにやってきたんだなと感じた。

一年半通ったとはいえ、わたしが見えていない部分はまだ沢山あるし、原発事故の震災地域でもあるので、全て光が存在している訳ではない。

それに、誰にでも住みやすいところではい。生活や状況が変わればまちの見え方も変わる。それでも今のわたしにとって、この浪江町は「肌に合う」と感じていた。

そして、会社の代表から"浪江町がいいんじゃないかな?佑佳が輝いている姿が容易に想像できる"と、温かい言葉をもらい、移住を決めた。

入居日は、3月中旬に決まった。このまちは物件も少なくすぐ埋まってしまうので、目当ての部屋を見つけるのには少し時間がかかった。

一刻も早く住みたいな。とりあえず、海に挨拶しに行こうかなと思う。暖かな太陽の光、きらめく水面。海ってよく表情を変えるからたまに怖くなるのだけど(夜とか無理です)、なんだか拝まないといけない存在というか、当たり前にあることを忘れちゃいけないなって感じている。

この移住記録は、誰かに向けて発信するというより、私がメモに残しているような日々の感覚を共有して、ふらっと覗いてみてみようかなと思える感覚で続けていこうと思っている。この記録は、わたしが勝手に書いているだけで、誰かに頼まれたわけでもない。

こんなこと言うのはおかしいけれど、仮に何かを気にしないといけなくなったら(世間体など)、自分の中で留める選択をするのかなと思った。ただ等身大の、ありのままに綴ったものである限り、書こうと思っている。

これまでは代弁者となって、誰かの想いを発信することが多かったし、それをやりがいに、喜びに感じていた。
この前、執筆した記事に自分のあとがきを残したら、取材をうけてくれた人から"南條さんのあとがきで、表現しようのない感情や気持ちを、すっと救い上げられたように感じました"、という言葉をもらった。すごく嬉しくて、思わずうるっとしてしまった。

何より、自分の感じたことを書くことに、心の底から楽しさが湧いてきた。まるでデートの待ち合わせ時間に近づくような胸の高鳴りだった。(仕事の中でこんなこと思うの変だけど、まあ頭の中で考えることは自由ですし…)
だから、この移住記録は、仕事の枠にとどまらず、暮らしの中で感じた些細なこと、好きなもの、これからやりたいこと、などジャンルに問わず発信しようと思っている。とてもとても楽しみ。

ある日、"東京でやり残したことはありますか"と聞かれた。うーん、なんだろう。東京でお世話になった人にはきちんと報告して、感謝することだろうか。今年は大切な人には大切だと伝えること、好きな人には好きと伝えること、大事にしたいと思っている。

わたしは物に執着はないから、あまり思い浮かばなかった。彼は東京でしか食べれないものじゃないか、といっていて、確かにそうかもなぁと思った。
みなさんは何か思いつくだろうか。あと東京で2週間、どう過ごそうか。

この記事が参加している募集

ふるさとを語ろう

この街がすき

読んでくださり、ありがとうございます:):) 人生を語ったり、宝物になる言葉を探したり。まるで本棚の中から、自分だけの一冊を探すように。そんな記事配信を目指しています。いただいたサポートは、取材やクリエイターの活動費として使わせていただきます。