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【2月の誕生石】アメシストと大人の品格

大人の品格と肩書きが関連のないことを教えてくれたのは、通っていたミッション系の小学校で出会ったシスター(修道女)の先生の後ろ姿だった。

夏休みを迎える前の終業式でのことだったと思う。校長先生から突然

「シスターは今日で学校を辞めて、シエラレオーネに行きます」

と発表があった。

その国がどうやらアフリカの方にあり、シスターが自ら志願してそこに暮らす子供たちを助けに向かうことは理解した。たくさんの生徒から「先生」と呼ばれて慕われていたシスターが、夏から肩書きを捨てて世界の彼方へ人助けに旅立つという。異国の名の不思議な響きと毎日顔を合わせていたはずのシスターが、まるでトランプの神経衰弱のペアのカードのごとくセットになって結びついた。突然、乾いた大地を冷たく撫でるような清々しい風が、私の心を吹き抜ける。シスターの生き様に心からしびれてしまったのだ。含羞を浮かべながら見せた灰色の修道服の後ろ姿には、深い優しさと強い意志の滲む気品溢れる背中があった。

シスターの残像に引きずられてか、生来の愚かな性(さが)のためか、会社にいれば管理職にもなる年齢を迎えた今も、私は「肩書き」に対するこだわりがない。そもそも明日の先行きも見えないフリーランスの身の上だ。職位などあろうはずもない。あるとすれば、息子を連れ立って訪れる近所のお店で「ママさん」という呼称を授けられたのが最上位なくらいである。1年ほど前から書く仕事をいただき、有難いことに最近では「ライターさん」という肩書きも新たに授けていただいた。

陰陽論を土台にした二元論で世の中の理(ことわり)を解明する東洋占星術では、肩書きはこの世を生きる上での「虚気(きょき)」として考えられている。その反対に当たるのが生来の姿であり、これを「実気(じっき)」と呼ぶ。「虚気」の肩書きは、本来の自分にはない"カリスマ"や"オーラ"といったヴェールを纏って、本来の「実気」以上の力を外に放出させる。しかしこの時、東洋占星術で強く説いているのは「実気」を見失った「虚気」は脆いということだ。仮に「虚気」まみれに陥った人がいたとすれば、その後の運勢は心配なものがある。虚気の良さは、実気あってこそ発揮されるものだと考えられているからである。

私の年齢が50代に近づいたせいもあり、同じく歳を重ねた会社勤めの友人や知人から、定年後のセカンドキャリアや今後の身の振り方について相談される機会も増えてきた。現在は占星術と関わりのある執筆業が中心で、個人の鑑定まではまだ始められていないけれど、東洋占星術の原則から考えても、運勢をより良くしていく上で大切なのは、「肩書き」の虚気より本来の自分が持つ「実気」である。実気がしっかり発揮されていれば、これから起きる虚気の変化はきっと乗り越えられる。もし将来誰かから鑑定の相談を受け、私が役に立てる時期がきたら、実気が輝く幸せな人生を共に描ける身近な存在でありたい。

外で「ママさん」「ライターさん」という呼称以外の虚気を持たず、肩書きなど気にしないで生きているつもりの私でも、何もなさすぎる境遇に心落ち込む時はある。そんなタイミングで蓋を開け、まるでご褒美のフルーツパフェにありついた子供のようにうっとりしながら眺めているのが、今まで働いて得たお金で少しずつ買い集めてきた色石のジュエリーや、家族から受け継いだ大切なリングが詰まった小さな宝石箱だ。

伯母から引き継いだアメシストのリング。心惹かれる色石は、持ち主がその時に必要なものを授けてけくれる石だと言われている。

2月の誕生石である「アメシスト」のリングは、色石が大好きな老齢の伯母から引き継いだファミリージュエリーである。大ぶりでもなく、決して高価なものでもないけれど、ひんやりとした金属の輪からは伯母の指腹のぬくもりが伝わってきて愛おしい。彼女も何の肩書きもなまま20代を過ごし、趣味で始めた生け花で研鑽を重ね、中年を迎えた頃にはたくさんのお弟子さんに慕われた人だった。

アメシストを太陽光にかざし、春から初夏にかけて咲く藤の花のように優美な紫色の光をうっとり眺めてみる。石言葉に「高貴」の意味を持ち、「身に着ける人に品格を授ける石」として古代中国の皇帝やヨーロッパの聖職者たちに崇められてきた謂れのあるアメシストは、今の私には皆目備わっていないオーラを、美しい紫の石の輝きで授けてくれるようだった。

アメシストカラーの花に囲まれて。自分の生まれ日に関わらず、毎月の誕生石やそのカラーを暮らしに取り入れるのも楽しい。

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