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[800字コラム] 紳士と淑女

東京オリンピックの開幕式で、Ladies and Gentlemenという呼びかけは性的マイノリティへの配慮がない云々指摘する人たちがいた。

神はアダムとイブしかつくらなかったのだし、後から生まれたイブを先に持ってきているのに、これ以上の配慮があるのかと僕は思ってしまうのだけれども。

しかし、その英語の前にMesdames et Messieurs(メダム・ゼ・メッシュウ)とフランス語で全く同じアナウンスが流れていたことに言及する人は少なかった。
フランス語を理解していれば「英語より先にフランス語なのか」と気づくけど、分からない人には言語として認識されないから、一向に気にならないのだ。

してみると、我々の多くは、気になることには執着してケチをつけたりもするけど、自分の思考にひっかからないことは完全にスルーしてしまい、知らないことは雑音として処理してしまい、関心のないことはどうでもいいと思ってしまう生き物なのだという自覚と自戒が必要なのかもしれない。

ちなみに、五輪ではプロトコールが厳格に定められているので、開催国の気まぐれで場内アナウンスを変えることは困難、すなわち東京都に配慮がなかったという話ではなさそうだ。

他方、五輪開催にしきりに反対してみせるフランス語界隈の偉い人もいるみたいだけど、フランス語やフランス文化を習う若者たちに、場内放送が英語より先にフランス語である背景を、教育者として説明したりはしないんだろうか。
とにかく反対だ!今からでもやめろ!と叫んでいれば満足なのか。

フランス語が筆頭言語として振る舞うことのできる最後の牙城のひとつが国際オリンピック委員会だと思うんだけど、イデオロギー闘争に没頭し、五輪反対を絶叫してお仲間たちに同調圧力をかけている間に、国際社会におけるフランス語の地位は埋没する一方で、自分たちの飯のタネが減ってゆく現実は見ないでいたいのか。

メンドクチャイ人たちだなぁ。

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