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声優になることを目指しています。どう思いますか?

答:声優になる=”アフレコで得られる報酬で、生活を成り立たせる“という目標は、速やかに見直すべきです。実現することがほぼ不可能だからです。目標の設定を見直しましょう。声優として活動を続けるためには、安定した収入を得られる別の職業を持つことが望ましいと思います。

”声優になる”という「夢」に燃えている若い方にとっては、大変つまらない回答になります。そういうことを聞きたいんじゃない、と思われること必至。ある程度年齢を経て”声優"という進路に関心を持たれ方、もしくはご自分のご子息が「声優になりたい」と言い出した親御さんには、多少なりともご参考になるかもしれません。ご一読をいただければ幸いです。

数週間前、東洋経済オンラインにこのような記事が投稿されました。

ミチオさん(仮名)は19歳で声優になることを目指して上京。専門学校や養成所を渡り歩きますが、夢破れて30代半ば過ぎで地元に帰ります。東京での暮らし、アルバイトの激務で身体はボロボロ。借金も背負わされ、現在も困窮した生活が続いています。

声優志望者は三十万人を超えると言われてきました。全国の専門学校や養成機関に通っている人数を概算した数字だと思います。今はもっと多いのではないでしょうか。その一方で、この仕事で食べていける人の数は300人と言われています。この数字も根拠は不明なのですが、志望者に比べて圧倒的に少ないことだけは確かなようです。千人の志望者に対して、僅か一人。しかも、既にこの300の席は現役声優の方々で埋まっているわけです。引退される方の席を譲り受けるか、誰かの席を奪い取らなければならなりません。毎年一割の30人が入れ替わるとして、席を得られるのは志望者一万人につき一人。0.01%です。残りの九千九百九十九人、ほぼ全員が"夢破れる"結果に終わるのです。

ミチオさんが外見的に劣っていたからとか、きっとそんな理由ではありません。”努力不足”で済ませられる範疇も超えています。夏や年末に売り出されるジャンボ宝クジ。皆さんは、当たったことがありますか?一万円が当たる四等賞は千分の一の確率。十万円の当たる一等組違いは十万分の一の確率で当選するそうです。宝クジに当たらなかったから”運が悪い"と言えるのでしょうか。

このような状況にも関わらず、専門学校や養成所の数は増え続けています。「声優になりたい」人が増えているからです。この「声優になりたい」人たちの需要に応え、続々と新設されています。一方で、映像やエンターテイメント作品をつくる現場では、声優の需要はそれ程までに増えていません。今の人数で十分過ぎるのです。現場での需要はないのに志望者が多い。全くその必要がないのに、”養成"しているという状況です。

この記事の筆者は最後に、関智一さんの言葉を引用し、次のようにまとめています。

先日、私が好きな声優の1人で、最近では「鬼滅の刃」や「呪術廻戦」にも出演している関智一さんがある番組で「ほとんどの生徒は専門学校や養成所のカモ」という旨の挑発的な発言をしていたことを思い出した。
あらためてミチオさんが通っていた専門学校の華美な外観を思い出す。たしかに大勢のカモがいたからこそ、あれだけ立派な建物も建てられるのだろう。ただ関さんの発言の真意は多分、「カモで終わるな」ということにある。ほとんどの人が夢半ばで去っていく厳しい現実があるからこそ、仮に声優になれなくてもその後の人生の糧になる何かをつかんでほしい、声優を目指したことを後悔しないでほしいと、関さんは言いたいのだ。

関さんがどのような文脈でこの発言をされたのかは不明です。しかしながら「カモで終わるな」というメッセージを受け取るには、ポジティブ過ぎませんか。素朴な精神論に陥っています。カモられなかった方も確かにいますが、大半の方は実際にカモられているわけです。カモられるな、といくら叫んでも構造上の問題は解決されません。これは「勝負に敗れたお前が悪い」という自己責任論の、別の言い方に過ぎないのです。

ミチヲさんのような個人をバッシングするのは、もちろん筋違いです。「好きでやっていることなので、お前が悪い」と個人を叩き、この異常な仕組みを擁護する意見です。批判されるべきは、この「ほぼ確実になれないのに、"なれるかもしれない"と誤解させる」その仕組みではないのでしょうか。私は素晴らしい娯楽が提供されるために、そんなものが必要だとは思えません。たとえ声優志望の若い人の数が現在の十分の一になっても、優れた作品はこれまで通りに生まれると思います。

ミチオさんは「そういう批判をする人はアニメや映画、ドラマ、演劇とかのエンタメを楽しまないんでしょうか」と言った。ミチオさんにいわせると、こうしたエンタメの世界は、成功者だけでは成立しないことはもちろん、脇役や裏方も含めれば成り立つというものでもない。自分のように夢破れて消えていった数えきれないほど多くの人間もいて、初めて光り輝く世界なのではないか、というのだ。

ミチヲさんは自己責任論を受け入れてしまいました。自分が犠牲にされた仕組みを擁護してしています。自分のやってきたことを肯定的に受け止めたい、という気持ちは分かります。決して無駄ではなかった、と。大変悲惨です。それでも、これから自らの将来を選び取る若い人たちには、適切なメッセージを送るべきだと思いました。

"夢破れて消えていった数えきれないほど多くの人間"を、もっと減らすことが出来るはずです。静かに消えるならまだしも、ミチヲさんのように体を壊して借金まみれになる人は、一人だっていない方がいい。この記事は「ボクらは『貧困強制社会』を生きている」という連載の中の一つです。『貧困"強制"社会』であることが分かっているのに、知らんぷりするのは怠慢だと思います。これを解決するのは大人の責務でしょう。

ミチヲさんのように、夢に破れて取り返しのつかない境遇に陥ってしまった人は、何を間違えてしまったのでしょうか。私は「夢の設定」を間違えたのだと考えます。"声優になりたい=出演費で生活をしてゆきたい"、という設定が間違っています。一万人に一人、0.01%というのはあまりにも低い確率、ほとんど誤差です。圧倒的な天賦の才でもない限り、達成できる見込みがありません。こういう風に努力をすれば達成できる、そういう戦略を立てることすら出来ないのです。戦略もないのに"0.01%の可能性にがむしゃらに賭ける"というのは、全く勇敢ではありません。思考放棄です。お金持ちになりたい人が全財産で宝くじを買うようなものです。

「夢に向かって努力をすることは美しい、難しければ難しいほど美しい」。一昔前の少年漫画で繰り返されてきたメッセージです。古臭いですね。しかし、未だにこの価値観が刷り込まれている若い人は多いのかもしれません。努力は、確かに尊いです。しかし"思考放棄"は、努力ではありません。全くの無駄です。関さんのおっしゃる"カモ"とは、この刷り込みの犠牲者のことだと思います。現実的な目標を設定してこその"努力"です。

では、どのように目標を設定すればいいのでしょう?私は決して、芝居を止めさせようとしているのではありません。「声優になりたい」ではなく、「声の芝居をやりたい」という目標ではダメでしょうか。声優とは、声の芝居をする人ですよね。声優になる、ということは声の芝居をし続ける、ということとイコールのはずです。

「声の芝居がやりたい」のであれば、声優という"職業”に拘る必要はなくなります。”アーティスト"や"表現者"になればいい。余計なことに気を回さず、自分の表現したいことを突き詰めればいいのです。こんなキャラクターを演りたい!という強い気持ちがあるならば、そのキャラクターを自分で作ってはどうでしょう。絵が描けないなら、練習して自分で描くか、誰か描ける人に頼めばいい。演りたい物語も、自分で書けばいいと思います。自分で録音してネットで公開するなんて、現在では小学生にも出来るようになりました。表現する上では、金銭的なハードルも技術的なハードルも、ほとんど存在しません。

その表現が誰かに届き、仕事を頼まれるかもしれません。運よく富や名声を得る人もいるし、全然見向きもされない人もいます。稼げるかそうでないかは、時の運です。誰もが認める人気声優として認められるかもしれないし、いつまでも無名かもしれない。世間の評価がどうであろうと、一人の芸術家には、恥じることはありません。私はそういう方を尊敬しています。

自分の本当にやりたいことを、もう一度問い直してみてください。もし「声の芝居をしたい」のであれば、読み進めてください。「声優になりたい」のであれば、もはや私から伝えることは何もありません。

アーティストの中には全くお金を稼げない人もいるし、月に五万円分くらいの仕事がある人もいる。運よく三十万円分くらいの仕事がコンスタントに来るようになれば、食べていけるのでしょう。どうなるかは、分かりません。だから、お芝居とは別に確実な収入源を持つことが大切です。

若い方が都市圏で暮らしてゆくには、月に最低二十万円くらい必要でしょう。家族を持ったり年齢をとったら、もう少し要りますよね。声優の仕事で月に五万円稼げるなら、後の十五万円は別の仕事で稼がなければなりません。多くの声優志望者、新人声優の方はアルバイトで生計を立てています。アルバイトにも色々ありますが、技術が身に付き、年をとっても続けられる仕事がいいと思います。例えば手先の器用な方なら職人さん。士業やコンサルタント。不足している医療系や介護系は素晴らしい選択肢ですね。

一方で、誰にでも出来るような仕事は止めておいた方がいいと思います。長期的な収入源としては心許ありません。アルバイトを採用する側は、より若くて低い賃金で働いてくれる人を選びます。コロナ禍のような逆境では解雇に怯えることにもなります。

私は四十代ですが、既に老後を国民年金の受給に頼って暮らしていけるとは考えていません。七十歳、出来れば八十歳や九十歳まで自分の力で生計を立てなければなりません。その為には訓練と勉強を通じて、職業能力を身に付ける必要があります。


付属養成所に2〜3年通って、新人としてプロダクションに所属。所属しているもののロクに仕事はなく、数年後に”芽が出なかったね”と契約解除。専門学校から通算して十年近く。声優の訓練以外にはアルバイトを転々としていたので、三十歳を手前にして何の技術もありません。このように、多くの人が無業者として置き去りにされています。こうした実態を、専門学校や養成所を運営されている方たちはよく知っているはずなのです。「夢に向かって頑張ろう」という安易なメッセージはすぐに止めるべきだと思います。そして、どれ程に狭き門なのか、正確な情報を発信するべきです。

"声優になりたい"方へ。先ずは正しい情報を得てください。そして、自分が本当に何を実現したいのか、問い直すべきです。皆さんの将来に"消えない後悔"がないことを。そして、真に才能のある方がこの世界に入って来られることを、祈っています。


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