Nobu-Oh
趣味の写真・カメラについて書いた記事のまとめです。
少し真面目に書きました
父親目線の子育てをまとめました。 わが家なりですが、こんな子育ての仕方もある!という紹介です。
タイトル通り《ちょっと昔》に世界一周しました。 時期は2008年〜2009年、8ヶ月間。 今と違いパソコン・スマホを持ち歩く旅人は少なく、かといってネットは少しずつ普及している時代。 そんな時代の旅の記録です。 ※毎週日曜更新予定
ただの雑談です
《Flower》《Human》《Snapshot》X → https://twitter.com/oh_nobu Artgene → https://www.artgene.net/nobuoh713/ Adobe Stock → https://contributor.stock.adobe.com/jp/portfolio
写真のことを学ぶ時に、とても勉強になっているのがYouTubeで動画を出しているカメラマンの伴さんのチャンネル。 色々な伝え方・教え方があるが、私にとってはとても刺さる(好みの問題もあると思いますが)教え方で定期的に見ている。 そんな中、昨年末から始まったのが配信で写真の添削をしてくれるという企画。 何度か(今のところ全て)に参加させてもらっているが、常に学ぶことがたくさんある。 ※その時の感想↓ 自分だけではなく人の写真も含め、良い点・改善点を知ることができるのはと
わが家の娘たちが二人で寝るようになって9ヶ月ほど... たまに「みんなで寝たい!」という時もあるが、ほぼほぼ二人で寝ているので、親である私たちはゆったりと眠れるようになった。 とはいえ、嫁が仕事の日は娘たちの寝る時間にはいないので、布団に行くまでは私の役割。 「おやすみ〜、また明日ね〜」 で送り出すが、かなりの確率で 「お父さん、こっちの部屋来て〜」 や 「足突っ込んでて!」 といった具合で甘えてくる。 嫁がいないので子供たちなりにがんばってくれている&娘たちを
自転車で風を切って走る。 道は舗装されてはいないものの何の問題もなくペダルをこぐ。 先ほどまでとは違い、最小限の荷物で身も心も軽くなりぐんぐん進んでいく。 気がつけば景色は草原から建物に変わっている。 徒歩では時間がかかりそうだったが、自転車を使うことであっという間に街の中心と思われる場所まで着いたようだ。 宿や食堂と思わしき看板を眺めながら考えた。 『本当ならこの辺りまでバスで来るはずだったのかな…』 今となっては過去のこと(一時間ほどだろうか)だが、おかげで滅多
【note】という存在を使い出しそれなりに時間が過ぎた。 〝読む〟という行為は元々好きなことだったので、多くの方が書いた記事を読むことで楽しむことができた。 一方〝書く〟と行為は苦手だった。 それでも〝発信〟をする場としてnoteと使ってきて色々と勉強になった。 そんなnoteを始めた理由は趣味である【写真】がきっかけ。 写真の話題から始まり、家族も含め日常のことを書き綴っていくうちに〝書く〟ことへの苦手意識は少なくなっていった。 ある意味、自分の考えをまとめると
ひたすら道を歩く。 少しずつだが雲が増えてきたおかげで、夏の日差しが和らいで歩きやすくなった。 しかし、いまだに街らしい景色は見えてこない。 視界に入ってきた建物といえば民家と思わしき建物のみ。 とはいえ久しぶりに建物を見た。 一本道とはいえあとどのぐらいで街につくかは予想ができない。 店や食堂なら腰を下ろせるかと思い、なんとなく視線を向けてみた。 残念ながら民家だった。 玄関先のベンチに腰を下ろしている母親の前で子どもたちが遊んでいる。 一息つくことはできなさそ
見渡す限り田んぼ・畑しかない一本道をただ歩いている。 空は晴れ渡りとてもいい天気。 青空に白い雲が映えている。 白い雲を見ながら風に吹かれているとあの曲が頭の中に流れていく... 『宿はあるのかな...』 バックパックを背負い、私はひたすら一本道を歩いていた。 ***** パークセーからワットプー遺跡に行くために、遺跡近くの街【チャムパーサック】へのツアーを申し込んでいた。 早朝、宿を出発し旅行会社へ向かう。 着いてみると私の他にヨーロッパ系の旅行者が数人すでに
自分で言うのも何だが、男はいつまでたっても子供である! 以前も何回か書いたことなのだが 男性は年齢も重ねても少年の心を忘れないものである! (個人の意見ですが…) 今回はそんな話… ***** Twitterには投稿したのだが およそ一年ぶりにカメラストラップを変えてみた。 カメラストラップといえば、以前はあまり興味がなくある時期にグリップタイプを勧められたら意外とハマり使っていた。 しかし、移動時に片手がふさがるので結局は付属のストラップへ… そんな時期に
パークセーでの一日はとても有意義なものであった。 朝食は街歩きも兼ねて外に出ると目に入ってきた食堂で済ます。 それなりに人がいたので入ってみたが、サワンナケートと同じように麺の店だった。 ラオスの朝食は麺が一般的なのかな? そんなことを考えながら注文を済ませ待っている時に周りの様子を見ていると、皆同じように出てきた丼に何かをかけている。 同じ小瓶がテーブルに置いてあるので見てみるが、なんと【味の素】 ローマ字で書かれた【AJI NO MOTO】の文字を眺めながら、
はじめに hideが好きです。※hideと言われても、、、という方は調べてください→Wikipedia 元々は父が聞いていたXにハマりドラムをやっていたものの、成長するにつれてXの中でもhideが好きになっていました。 そして、毎年5月が近づくと思い出す。 彼の生き方・考え方。 彼の年齢をとっくに越えた私ですが、どこまで自分はできているのだろうと考える。 学生時代を思い出せば、CDやMD(MDを知らない世代がいると聞いて驚きですが...)をどれだけ聞いたことか。
街歩き・散歩どの言い方がいいのかは分からないのだが、旅をする前はこういったことをすることはなかった。 それが今や一日の大半を費やしている。 行く当てもなくぶらついていると立派な建物が見えた。 ラオスに入ってからよく見るようになったお寺のようだ。 仏教国であるタイでも見ていたのだが、そこまでの大きさはなくとも街の至る所にある印象があり、ここにもあったかといった気持ちで眺めていた。 塀の向こうには数人の袈裟を着た人たちの姿が見える。 見た目からするにまだまだ少年のようだ
写真のことを学ぼうと思った時に、以前は〝写真の教科書〟といった感じの本を立ち読みしていたのだが、今ではネットで調べれば家にいながら様々なことを学べる。 とはいえ一番は〝撮る〟という実体験が最も勉強になるのだが、SNSを始めネットから学ぶことは多い。 色々と眺めていると写真に対する考え方も千差万別。 一人一人がそれぞれの考えで撮るのはその通り。 その数だけ考え方もあるのも当然。 その中でも私の興味のある写真を見ていて考えることがあった。 写真は記憶を記録する道具なんだ
荷物入れに収納されたバックパックが取りづらい位置に押し込まれたのを確認して、私はバスに乗り込んだ。 これまでの旅の中でも、最もと言っていいほどのいい経験をつむことのできたサワンナケートを離れ、私はパークセー行きのバスに乗っている。 昨日確認した通り、宿の時刻表よりも早い時間のバスに乗ることができた。 予定通り着けば昼過ぎにはパークセーに到着する。 『今度もいい宿を見つけられるといいな...』 そんなことを考えながら移り行くラオスの景色を眺めていた。 *****
バスターミナルから宿へは順調に戻ることができた。 行きのことがあるので昼食を取りながら地図を確認していたが、よく見てみると宿の主人が言っていた【真っ直ぐ】行く道が違っていた。 私が通っていたのは街の中で一番広い大通り。 宿の主人が伝えたかった真っ直ぐの道は、宿を出て大通りとは反対に向かった先の通りの方だった。 確かにその道を通り戻ってくると30分もかからず見慣れた街並みが見えてきた。 昨日着いたとはいえ宿が近いというだけで安心感がある。 さすがに歩き疲れたので宿に戻
自分自身もそうだったが娘たちを見ていて、幼稚園から小学生になって大きく変わったことといえば〝友達との関わり方〟 以前も書いたが、わが家は【小学生になったら遊ぶ時は自分たちで考えて行動する】ようにしている。 本当に大きなトラブルは別として、友達との喧嘩も含めどうすればいいかは自分たちで考えさせている。 そんなわが家だが、去年の4月には下の娘【蒼】も1年生になった。 入学当初はお姉ちゃんと一緒に登校していたが、同じ学年の子たちが目と鼻の先に何人もいることもあり、夏前には仲