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プロセス

今日も、読書ついでに散歩した。
勢い余って5kmも歩いてしまった。

読書は、福岡伸一「動的平衡3 チャンスは準備された心にのみ降り立つ」だった。
福岡伸一の書籍はほとんど読んでいるけど、この本は第1章の最初に書かれている序文的な部分がとてもすばらしい。

インターネットの情報にないものは何か。それは、その答えに到達するまでの時間の経緯だ。そこには時間軸が決定的に欠けている。私は、きちんとプロセスをたどって答えに到達しないと、そこに至る喜びが味わえないのはもちろん、その答えを本当に理解したことにもならないと思う。
(中略)
そもそも、私が目指しているのも、役に立たないことなのだ。科学の最終目的は、「生命はこうなっている」とわかりやすい言葉で語ること。それが語られても役に立たないし、お金儲けにもつながらない。しかし人生に、ある種の解答を与えられるはず。だからこそ私は、何とかそれを語ろうと努力を続けている。

福岡伸一「動的平衡3 チャンスは準備された心にのみ降り立つ」

働き始める前までの若者にとって、「プロセス」とは見方によれば「経験」だと思う。何事も、経験というプロセスを経ているから、学校で学んだことが胸にすとんと落ちる。
逆に言うと、経験が少ない若者は、何を学ぼうとしても暗記で知識の吸収だけで終わってしまう。学ぶとは覚えることだ、と思ってしまう。

ぼくは自動車整備士を養成する教員だった頃、例えば「バレル・フェース型ピストン・リング」という部品があるわけだが、それの機能や特徴を説明する際には「昨日の晩ごはんはなんだった?」「休日の昼ごはんは、何食べる?」「テレビCM見ていたら、無性に食べたくなるもの、あるよね」などと学生との無駄話に花を咲かせて、話の内容をケンタッキー・フライドチキンの話題に意図的に移行させ、「バレル・フェース」の「バレル」とは、ケンタッキーの「バーレル」と同じ意味だよ、と着地させる。
ケンタッキーの「バーレル」と同様、バレル・フェース型リングはバーレル、つまり「樽」のような円弧状の構造を持つリングだからそのような名前がつけられている。

彼ら・彼女らが持っている経験と履修事項の接点を紡ぐことで、彼らの中に擬似的にプロセスを発生させる。
授業内での、そういう「プロセス生成作業」をないがしろにしないようにしていた。
そのことを、福岡先生に(勝手な妄想だけど)肯定してもらえたような気がして、ニヤけた。

対学生でも対顧客であっても、その人のことを今見える状態で理解しようとしたり語ったりするのではなく、プロセス込の物語として読み取ろうとすることは、先生業でなくとも重要なことだ、と改めて思わさった。

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