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AI、メタバースと学校〜スイカに塩〜

1.大学の課題

1-1.少子化

18歳人口は減少の一途をたどり、大学のような高等教育機関や専門学校の数は微増傾向である。
その結果、一部の難関校を除いて、多くの大学や専門学校においては、学力的にも経済的、家庭環境的にも困難を抱えた学生が多くを占めるようになる傾向は、今以上に強まると予想される。
さらに、経済的、家庭環境的に困難を抱える学生に共通するのは、「経験の貧困」であるため、座学的な学習、抽象的な学習から思考や仮説構築へ結びつけることを苦手とする学生は増加傾向である、と感じる。
大学における教育の真髄は、知識や技術の獲得からそれらを抽象化し汎用的な知識や技術に拡張することだが、それが困難になると資格教育に終始してしまう可能性がある。
また、上記のような課題の「栄養剤」的な解決策として、留学生を増加させる傾向は、労働市場における外国人労働者の増加と同様である。
ただし、留学生の増加については「憂うべき問題」ではなく、今後の日本の産業を支えるためにも「対応すべき課題」と捉える必要がある。

1-2.多様化

学生一人ひとりに注目すると、それぞれが多様性を失い、一様になっているが、学生全体を見渡すと多様になっている。
例えるなら、一人ひとりが好きな色の絵の具を持っているが、全体を見渡すと同じ色の絵の具を持っている者が少ない状態。
つまり、一人ひとりが一様化した結果として、全体が多様化しているだけで、本当の意味での多様化ではない。
それに対して、本当の意味での多様化とは、一人ひとりが12色や24色の絵の具を持っていて、その中で気に入った色がそれぞれ違っているために、全体としてみたときも多様に見えるような状態のことをいう。

1-3.人件費

大学の経営に占める人件費の割合は高い。
働き方が変わり、仕事量を分母とした場合の実質的な人件費は更に高騰することが予想される。
これからは、少数精鋭によるより一層の効率化、生産性の向上が必要とされる。

2.社会の潮流

2-1.DXの推進

今後入学してくる学生は、今以上に「学校におけるICTの活用が当然」の世代になってくることを認識する必要がある。
具体的には、①紙資料の減少傾向 ②個別最適化された学習環境 ③時間や場所の制限から開放された学習 が所与である環境下で小中高を過ごしてきた世代である。
翻って、社会は大学職員には想像できない速度と深度でDXが推進されている。
教育委員会の影響を受けず、「取引先」からのDX圧力のない大学や専門学校は、コロナ禍以降の日本社会においてDX分野で最もガラパゴスな業界であるといえる。
学校という小さな社会に限った話ではなく、例えば小中学生がいる多くの過程において、「フォートナイト」や「マインクラフト」、「あつまれ!どうぶつの森」のようなメタバース的性格を帯びたウェブアプリを利用している子どもは少なくないだろう。
また、社会を見渡してみても、「Virtual Hokkaido」のように観光産業においてメタバースを取り入れた企業が現れたり、DOCOMOのように2024年に入ってからメタバース事業に注力している大企業は複数ある。
大学を挟んで、それより前の世界(小中高)でも、それより後の世界(就職後の世界)でも、大学職員がイメージしているよりも速く、そして激しくDX化は進んでいるといえる。

2-2.AI基盤社会

ChatGPTの登場以降、AIは「誰もが使える最先端技術になった」という表現は間違っている。正確には、「誰もが使っている最先端技術になった」といえる。
つまり、IT関連の技術や知識への造詣や距離感に関わらず、誰もが無意識的であっても日常的にAIの機能を利用せざるを得ない社会になっている、ということである。
そういう意味で、AIはすでに「言語」と同様のプリミティブな「インフラストラクチャー」となりつつある。
「AIの民主化」という言説もある。
そこには個々の人間が能動的にAIを利用できるようになった、と含意されるが、個々の人間の意識に関わらず利用せざるを得ない社会になったという意味では、「AI基盤社会になりつつある」と表現する方がより的を射ている。
AIについては、「なぜ利用するのか?」、「誰が利用するのか?」、「何のために利用するのか?」といった問は、不要である、といえる。

2-3.不適切にもほどがある!

現代は、どんな人間であっても、有名になることとスキャンダルになることの可能性が比例する時代である。
ドラマ『不適切にもほどがある!』の中に出てきた台詞の一つに、「炎上させるのは、見ていた人ではなくて、見ていなかった人だ」のような意味の台詞があったが、つまりスキャンダルや炎上のきっかけは、対象となる人の行為や事象そのものではなく、「属性」ということだ。
人の「属性」という「部分」と、見ていない人の「良心」や「正義感」が、世間の「潮目」を生み出し、その潮目が対象を殲滅するまで社会的制裁の手を緩めない。
どんな人であっても法人であっても、このような潮目の影響を完全に排除できない。
一方で、いくら有名になったとしても、イヌやネコにはスキャンダルや炎上は発生し得ない。それは、人が見ているイヌやネコは、人が作ったキャラクター、つまり「虚構」であるからだ。
虚構はスキャンダルや炎上の対象となりにくいといえる。

3.ロードマップ

3-1.現状把握

1-1から、本州からの進学者や海外からの留学者を増加させる広報戦略が必要。
1-2から、大学にも「サードプレイス」的な機能が求められている。
サードプレイスとは、「個人の属性から開放されて活動できる場所」という意味。
1-3から、トップダウンでDXを推進する方針を打ち出す必要がある。それと並行して、ボトムアップで、役職や部署にとらわれず、属性重視でDXを推進するチームを構築する必要がある。

3-2.未来進行形の目標設定

日本におけるAI研究のパイオニアである東京大学の松尾教授は、2023年6月頃のシンポジウムで「動画の生成は、AIにとってもまだ難しいだろう」とコメントしていたが、その約半年後にはOpenAIが驚愕のクオリティの動画を生成できる動画生成AI「Sora」を発表した。そのくらい、現在のテクノロジーの発展は予測不可能なほどの速さである。
そのような状況下で、5年後や10年後にこうありたい、こういう実績が残せるような学校でありたい、などと、「未来形」や「未来完了形」で目標を設定することに価値はない。なぜなら、設定した未来形の目標が達成されていたとしても、その価値は瞬時に陳腐化するからだ。
大切なのは、未来において進行形で何をしている状態であるか?を語ることだ。
例えば、DXの分野であれば、「1年後にはペーパーレスの会議を実現していること」を目標にするのではなく、「ペーパーレスを皮切りとして、業務の効率化と少数精鋭による適切なリソース配分を思考する組織で有り続けること」のように設定する必要がある。
そのような目標設定をするために重要なのが、「何のために?」という問である。
「ペーパーレスを実現すること」を目標としてしまうと、紙資料をPDF化して配布した時点で目標達成となってしまうが、「意思決定プロセスに係る時間を節約し、合意形成コストを下げるために」という意図を明確にすれば、ペーパーレス化はあくまでも通過点であり、それができたら次にできることはなにか?という思考に至ることができる。
AIの活用やDX化の推進も、それ自体を目標とするのではなく、「何のために?」を明確にし共有することが重要である。
大学においては、「社会の変化に対応し続けられる人材を輩出するために」が共有すべき目標の一つであると考えられる。
そのような目標を掲げた場合の具体的な施策としては、まず「社会の変化に関する情報をキャッチアップする感度の高い人間を重用する」ことと、組織が「動的」であることだ。「動的」とは、つまり、固定化せず人が入れ替わりつつも、その組織の基本理念が正確に受け継がれている状況である。
そして、もう一つ重要なのは、そのような動的な組織においても、一定の期間毎に組織の取り組みを整理して次の構成員に引き継いでいけるような「風呂敷をたたむ人間」である。「風呂敷をたたむ人間」に必要なスキルは、大風呂敷を広げる人間のアイディアを受けて、その実現可能性や発生する諸問題のリスクを冷静に判断し進言することである。

3-3.リソースの整理

とはいえ、そのような目標達成のために必要となる人材を随時外部から補給し続けることは、大学の外部に依存した状態となりサスティナブルではない。
取り組むべきは、まず大学内の人材から適任者を発掘することと、リスキリングを奨励、推進することである。
人材の発掘については、組織内の検定制度等を設けることで能動的に能力の発現に努める人材をあぶり出す方法もあるが、それよりも重視すべきは「対話」ではないか、と思われる。
特に組織の歴史が長くなれば、上長や諸先輩方が何かを言わずとも組織の「伝統」や「慣例」が元来能動的であった人間の行動力・言動力を封じる方向に作用する。
それを打破するのは、「そんなふうに動いていいんだ」、「そんなことを言ってもいいんだ」と思わせられるような言葉を経営者からかけられることである。そして、そのような人材が、組織の縦割りの人間関係ではなく、他の部署や他の職種の人間と横のつながりを持つことが重要である。
そのような意味でも、職場にリアルまたはバーチャルで「サードプレイス」を設けることは重要と考えられる。

4.まとめ

以上の考察から、大学においては以下の理由によりAIの活用とメタバースの利用促進を本格的に検討すべき時代に突入したと言える。

  1. 時間や場所にとらわれない学びの実現

  2. 言語にとらわれない学びの実現

  3. 人件費(労働時間を分母とした場合の)を抑えること

  4. 小中高校の最新の状況への感度が高い職員を確保すること

  5. 部署横断的に、AIやメタバース導入の意図を説明するような存在となり得ること

ところで、AIの活用もメタバースの導入も、それ自体が大学の本分ではないこと、大学の教育の本質ではないことを十分理解しておく必要があるので、注意が必要であると考えられる。
AIやメタバースは、スイカやトマトにとっての塩のようなものであることを忘れてはいけない。
つまり、AIやメタバースは大学のおける学びとっての塩になったとしても、スイカそのものにはなり得ないし、そうなってはいけない。
最新のテクノロジーを使う人間が、その最新のテクノロジーに「飲まれて」はいけない。逆に最新技術を清濁あわせて飲み込んで、身体と思考回路の拡張と捉えるべきだろう。

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