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『星を編む』

『星を編む』を読んで…

あの不思議な北原先生の事が書かれている…
思わず…衝撃が走った。 

『汝、星のごとく』を読んで、北原先生に興味を持った事は事実…

個人を尊重できること…
それは、どしたら…?
一個人を尊重出来るのか?

何があったのか…❗

この本を読んで…

ああ、そうか…

北原先生は、自分でそう言う人生を選んで選んで、生きてきたのかもしれないね。

「他人に施す分をなぜ自分の子供の学費に当ててくれないのか」

ずっと善良な両親にこの疑問を投げかけていたと思う。

それもそのはず…

そう思わずはいれない、生活苦だったんだと思う。

でも、なぜ自分の子供でもないのに、嘘を言い張ったのか?

それは、両親の、「困った時の、北原頼み…」に繋がるのではないのか?と思う。

北原先生は、自分でも「人生のレールを外れた」と言っていた。

それには重要な意味があったのだ。

一番近い子である、 息子は後回しにされ続けた 北原先生の両親のわからない愛情…

血も繋がっていない結との生活…がこんなにもうまくいくものなのか❓

北原先生とはまた違う、

二階堂さんと植木さんの織りなすストリーには、とても綺麗な表現である。

今どきのデインクスと思ってた二階堂さん

「美しく 理想通り整った愛などない」のに…

それに当てはめようとする。
理想通りにあてはめる様にする事を私は基準にしていた…

ガッチガチの反論出来ない常識で固められての離婚要求だったが、相手の言い分に当てはめられたのかもしれないね。

人生には 、恋愛 恋人友人などが必須 だし必要だと思う。
頼り頼られ、愛し、愛されてのストーリーだと思う。

やはり一人では生きられないのではないかと思う。

暁海は青春時代に櫂を亡くし、ずっと引きずっていると思うし、美化もしてると思うが…

北原先生という また違った パートナーを得ることによって櫂の存在が一層煌めいてくるのではないだろうか?

血は濃くなくても良いのかもしれない。

「ああ、そうか 私たちも 幸せだったかもしれないね。」

それは今を真剣に生きる人にしかわからない言葉かもしれない。

ありがとうございました。

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