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きゅんとする 2024/05/01

「きゅんとすることはありますか?」

そう聞かれたとき、あなたは何と答えますか?良かったら少し感じて考えてみてね。そのあと、この続きを読んでもらえたら嬉しい。

💘

わたしは割と「きゅん」とすることの多いタイプなので(俗に言うミーハーw)、実は普段からそれなりに色んなことに「きゅん」としている。・・・と思っていた。が、実際にそう聞かれて思ったことと、今そのときから少し時間が経って、少しずつ包み隠さない本音みたいなものが出てきていて、そのことについて書き出してみようと思う。

まず、最初に書いておきたいことは、わたしの日常の中にあった「きゅん」は、実は「(やや)きゅん」くらいのものが多かったのだなということ。そんなにちゃんと「きゅん」としていないのに、「きゅん」とした気がしてきゃーきゃー言って自分を盛り上げたりその場を盛り上げたり、ピエロみたいな感じのことを率先して誰にも言われていないのにしてきたなぁということだった。

今のわたしは、過去に比べるとそういうことはできなくなっている・・・ 「いる。」と言い切りたかったが、長い時をかけて馴染んできた習慣、というかそもそもそういう質を持っているわたしとしては、無意識のままでいるとついついそういうことをしてしまうし言ってしまう。だから、無意識に意識的であることで、本当にしたいこと以外はしないように務めている・・・努めたいと思っている・・・日々努力している。どんどん気が小さくなっていっているのは、これがなかなかに難しいからだ。わたしの一生の課題のひとつといってもいいくらい。いつか、当たり前になるといいなぁと密かに憧れを抱いているようなところが今のわたしにはある(のだとわかった)。

つまり、かつて自分が「きゅん」だと思っていたものは違っていたということ。つまりのつまり、わたしはそもそも「そんなにきゅんとしない」人間だということ。今ここまで書いてきて、そうだ、とそのことを思い出した。

もちろん、小さな「きゅん」はたくさんある。それは「(やや)きゅん」であり、本質的でありながら(ミーハーw)、表面的なわたしの両側面であるといえる。本当の「(やや)きゅん」と、ここではそう言っておいた方がいいだろうという無意識の計算が言わせたり感じさせたりする嘘の・・「(やや)きゅん」が存在する。嘘の・・、と書いたが、それは本当に嘘なのかは場の調和の観点から観察したときに嘘ではないともいえると思っている。言う必要があるなら言わねばならないからだ。昔から、そういう役をよくしてきているし、それはわたしの本質でもある(何でもかんでも言っているというのとは違う)。

問題は、それを自分のモノだと思い込んでしまう同調する質・・・・・をわたしが持っているということ。だから、そこに自覚的である必要がある。そうでないといつまでも勝手にピエロを演じさせられてしまう。それは、自ら被害者をかってでていることと同意義であり、すすんで自己犠牲をしているとも言い替えられる。

なんだかまたものものしくなってしまった。軽やかに終わりたいので(というかそもそも軽やかに扱いたいテーマなの!)、最後にどーんとわたしの「きゅん」をお披露目して終わりにしたいと思う。これはわたしにとってはまあまあハードルが高い。まあまあどころか天と地がひっくり返りそうに高い。でも、天と地がひっくり返るなら当たり前になるのかもしれず(苦笑)、それなら平気になるのかもしれない。ちなみに前置きが長いのはちょっと書くのをびびっているから。でも書く。わたしのために。

💘

質問を思い出してみる。
「きゅんとすることはありますか?」

わたしの答えは、「最近のわたしは、割とわたしに『きゅん』としている」でした。自分のことをよくいいなぁと思っているのですけど、それって「きゅん」としてるってことなんだよ、と教えて気付かせてもらえたスペシャルな問いでした。本当にありがとう!

自分に「きゅん」とするっていいよね!
このnoteエッセイを読んでくださったみなさんが、自分に「きゅん」とする自分に気付いてその喜びを自覚してもらえたら、それはわたしにとっての「きゅん」(もちろん表面的じゃない方!)だなと思いました。あースッキリした。おしまい。



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