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嫌いに素直になる① 2024/03/02

わたしはNOを言うのが苦手だ。というか、嫌いに近い。言わなくて済むなら言いたくない。YESだけ言っていられたらどんなにいいかと思う。でも、YESを言うことよりも、NOを言う方が大事なときというのが人生には往々にしてある。というか、日常の中にある。

NOを言うのが下手で困るのは、NOとか嫌だを言いたくないあまり、決断を先延ばししてしまうことだ。理由は簡単で、決めなければ言わなくて済む。決まってないことにしておけば時間を稼げる。こうやって、YES以外の事象で、NOとか嫌を言えないことは、それを言う自分が嫌だと言うだけでどんどん後ろに回されていき、いつかそれを決めないと行けない日が来るか、忘れ去られて無かったことになる。人生における生産性(?)でみてみると、実はめちゃくちゃコスパが悪い。

どう考えてもさっさとNOを言った方が楽なのに、いやむしろ、NOだと自分が過去の経験や思考による囚われの中で紐付けでしまっているだけで、「それはNOではないのではないか問題」も多分に含まれていたりする。では、NOではないのにNOということになっているのはどういうことかというと、「否定するというニュアンスを含む全て」というのがわたしの中ですでに出ている結論だ。対人の場合だと、その人が言われたくないであろうことをいうことがNOになる。

この場合、問題なのはわたしが言いたいことを言う言わないの話ではなく、相手が主体になっているということ。そしてこの文脈の中のNOはわたしにとってのYESということになる(だから、わたしは時々NOというYESを言うことの大切さを話している)。わたしの感覚にYESを言うことが、周りのヒト・コト・モノに対してはNOを言う事になる、というのはこれまで割と多く体験してきていて、なので相手が求めるYESを言うのも、相手が求めるNOを言わないことも、いつの間にか得意になってしまった(全然良くない)。し、その言葉NOを口にすること自体が嫌だという感覚なので、もう反射的に嫌という感じになってしまっているのもよくない。

さて、なんとか絞り出しただけでまとまらないままだが、実は自分の内面をここnoteに書いたこと自体が、わたしにとっては嫌なことだったりする。でも、これは「NOではなく逆にYES」案件なので、もうそのまま出してしまおうと思う。ここに書くのが・・・・NOなわけではない。わたしが嫌なのは、これを読んでくださった方にどう思われるのか(もっと正直に言うと悪く思われるのが嫌)なのだから。人からどう見られるかの方が、自分にとってのYES or NOよりも遥かに気になる自分がいるいたということ。それを私は今改めて受け取って言葉にして、淡々とここに書いている。'淡々と' は、心掛けているのであって、実際は抑揚が割とあるところが自分はまだまだ未熟だなぁと感じたりもする。

…続く(また明日)!



2024/03/02(66/366)

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