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ばけもの

我々は化け物だとか妖怪だとか、アニメ、漫画の中の「人間ではない謎の生命体」に日頃から慣れ親しんできたが、何をもって化け物だと思ってきたのだろうか?

なにをもって化け物とするのか?

化け物という定義をここでしておく。
ここでいう化け物とはお化けや妖怪などの怪しきものを指す。
この怪しきものである化け物にたいして我々が恐怖の念を抱き、はたまた親しみの念を抱いてきたのはなぜなのだろうか?

①非現実的 

人は誰しも刺激を求めている。日常に飽きてくると誰しも非日常的なことを考えたがるものだ。よって化け物の顔が非対称なものであり、体の一部の器官がなかったり、人間の部分が少しだけ混じっていたりするのは我々人間が秩序(人間)の中に無秩序を入れ込みたかったためである。
そうして全体としての非対称性を創ることによって退屈な日常に刺激を与えたかったのではないか。

②理解できないもの

古きに遡り、西洋の人間であれば人間が考えても理解できないことが生じた際はすべて神との接点をもたせ何とか解決したように見せかけたのと同じくして、日本でもよくわからない事象(地震とか)が起こった際は幽霊や化け物のせいにして考えることを一旦諦めた。「よくわからんけどとりあえずそういうことにしておく」というのは突き詰めると誰でもそうしているのだが、このような早い段階でこの判断をしてしまうことは過去では度々散見される。
日本ではこの世の謎を解き明かす科学が隆盛し始めたのは長い目で見ればつい最近の事であることからもこれは仕方ないことなのかもしれない。

これらのことから化け物とは非常に日本人にとっては慣れ親しんできた概念であり、科学の発達した現在ではその化け物を面白おかしく眺めることができる。
しかしながら、形而上的な信仰がなくなったわけでは決してない。当然、宗教はいまだに存在し、葬式やお盆などの文化・習慣として形式的には化け物の信仰が部分的にだが残っている。無論そこには化け物のような恐ろしさや、親しみはないのだが、既に科学をもって無いとされたものを忍ぶ気持ちは化け物を頭に浮かべることと類似していると私は考える。

自然は意思を持たない。時系列でみれば化け物はいつしか科学を多分に含んだ自然へと変化していった。
しかしながらどうしても科学で解明できないことがあった場合、人は化け物の時と同じような考え方をもう一度し始めるのかもしれないと思った今日この頃であった。


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