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感情に振り回されないための、非情な戦略【サイコパスに学ぶ】

サイコパスって世の中からは忌み嫌われるみたいだけど、私はサイコパスに惹かれる。
というかサイコパスになりたい。
むかし友人に「サイコパスだよね」って言われたことがある。
その時はちょっと嬉しかったけれど、私なんて全然サイコパスには程遠い。

サイコパスは人間の中では高い能力を持っていると思う。
何事にも動じない精神力、どんな罵りの言葉を受けても意に介さない鋼のマインド、その攻撃性でどんな獲物も逃さず、目標に向かってどんどん邁進する行動力など。
凡人には真似できない能力を兼ね備えているからこそ、危険だけど気になってしまう、そんな存在。

私は『ハンニバル』シリーズがとても好き。
アンソニー・ホプキンスの映画版も、マッツ・ミケルセンのドラマ版も両方好き。
高い知能と優雅なエレガントさで人々を魅了しつつ、狙った獲物は確実に仕留めていく。
そこに倫理や感情などはなく、ただ淡々と己の欲望に従って、でも急ぐことなく蛇のように睨みを効かせながらタイミングを狙う狡猾さ。
はたから見ると犯罪者ではあるもの、実行力としては非常に優秀だろう。


そういうフィクションの部分が独り歩きしているせいで、サイコパスといえば危ない犯罪者で悪い人ばかり、というイメージがつくのも仕方がない。
でも彼らだって良いサイコパスと悪いサイコパスがいる。
サイコパスはすべて悪い人、犯罪者予備軍というわけではない。

良いサイコパスは社会に順応する。
ただし己の能力で仕事をし、のし上がり、実力を発揮する。
サイコパスは経営者や証券マンや軍人の中に多いらしい。
現実を冷静に分析し、高い集中力で状況を判断し、感情にとらわれることなく行動する。
世間のしがらみとか人の忖度とか、そういう無駄なノイズに邪魔されることなく、自分自身に集中する凄さがある。
そういう部分を見習いたいし、自分の中に生み出したい。

サイコパスは人への共感力がないのでは、と思われている。
しかし実際はそんなことはない。
たしかに共感力は低いかもしれないが、それはデフォルトが低いからであって、チャンネルのレベルを上げるように意識すれば、サイコパスであっても共感力は高まるらしい。
逆に言えば、共感力のレベルを意識的に下げれれば、サイコパスのように動じない精神力を獲得できるかもしれない。


感情というものは厄介なものだ。
人の目が気になって、正直な気持ちを言うことが難しい。
こんなことを言ったら仲間はずれにされるかもしれない、無視されるかもしれない、社内で居場所がなくなるかもしれない、などなど悩みは尽きない。
人間関係が 10割な人類にとって、行動に制限がかかるのは感情が邪魔するせいかもしれない。

自分の利益よりも他人のご機嫌を伺うことが大事な世の中。
自分よりも他人を優先して、勝手に悩んで勝手に腐っていく。
こんなことになったのは他人のせいだ! と被害者意識が高まっていく。
というような負のループに陥いるのも、人間関係にもとづく感情が気になって仕方がないから。
感情で不自由になると言っても過言ではないと思うのだ。

他人に振り回れることなく、感情に執着することなく、自分のやるべきことに集中し、必要に応じて心のレベルを切り替え、不要なものはバッサリ切り捨てる潔さを持つ。
事実と分析と計算を駆使して冷静に駒を進める。
そういうところがサイコパスの本質なんじゃなかろうか。

なんだかんだいってやっぱりサイコパスは魅力的な存在だ。
人になんと思われようと、良いサイコパスになれるなら目指していきたい。
ちなみにマキャベリの『君主論』も非常にサイコパスチックだと思う。
権謀術数の戦略的なところとか、とてもゾクゾクするではないか。

2016 / 7 / 22

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