最近の記事

京都電気鉄道の面影を辿る京都旅

はじめに1895年2月1日、七条停車場(京都駅)と伏見京橋の間に日本初となる電車を走らせた京都電気鉄道。その後、京都市内に路線網を拡大していったが、京都市電との競合に敗れ、1918年に京都市に買収され、車両と路線をすべて引き渡し解散した。 京都市による買収後、狭軌だった京電由来の路線は、市電に合わせて改軌されたり、並行する路線の整備により廃止されたりと、次々とその姿を変えていったが、堀川線(京都駅~北野)は1961年の廃止まで改軌・車両更新されることなく、最後までその姿を留め

    • 憧れの姫路モノレール

      1966年から1974年の運転休止まで約8年間、姫路駅と手柄山駅の約1.5kmを結んだ姫路モノレール。 僅か8年(廃止は1979年)で役目を終えた姫路モノレールでしたが、軌道等の設備は長らくそのままの姿で放置されていました。 中学生の頃、そんな放置された軌道の姿を本で見て、一度訪れてみたいと思っていた姫路モノレール。 あれからn年、ようやく訪問が叶いました。 姫路駅~大将軍駅かつて起点となる姫路駅があった付近は再開発等で跡形もなく消えてしまっています。 姫路駅から少

      • ジェット7を引き当てろ!

        今年1月に「さんふらわあ あいぼり」、4月に「さんふらわあ こばると」、そして5月に「ロイヤルウイング」(元「くれない丸」)が立て続けに引退し、国内に残る元関西汽船の船は4隻となった。 そのうちの1隻が東海汽船の「セブンアイランド愛」。 関西汽船(※1)時代の名は「ジェット7」、1987年から2000年まで阪神-高松のジェットフォイル航路に就航していた。 ※1 所有権は共同運航先の加藤汽船と関西汽船で1/2だったらしい。 そんなわけで関西汽船(ジェット7)を求めて熱海

        • Wikipediaを添削してみた

          インターネット百科事典としてお馴染みのWikipedia。 もっともらしいことが書いてあるが、すべてが真実…ということもなく、間違った情報も少なくない。 というわけで、今回は「さんふらわあ こばると」の記事を添削してみた。 冒頭まずは冒頭の部分。 ここは特に直すところはなさそう。 しいて挙げるとすれば、もう引退しているので「就航した」ではなく「就航していた」の方が適当では?というぐらいか。 概要1.就航 続いて概要部分。 ここで、いきなり間違いを発見。 「1998

        京都電気鉄道の面影を辿る京都旅

          さんふらわあこばると乗船記(後)

          前編のつづき レトロな雰囲気漂う船内  明石海峡大橋というイベントも終わったところで、ちょっと船内を探検することにしよう。  就航からまもなく25年、低い天井や狭く急な階段等、さすがに古さを否めない部分も多いが、それが逆にレトロな雰囲気を醸し出しており、そこが「こばると」の魅力のひとつになっている。  船内を見て回っていると気になるものを見つけた。エントランスの一角に掲げられているこちらの海図だ。ただの海図のように見えるが、よく見ると「神戸」「坂手」「松山」と、今は寄

          さんふらわあこばると乗船記(後)

          さんふらわあ こばると乗船記(前)

           2023年2月3日、大阪南港コスモフェリーターミナル(以下「コスモFT」)にやって来た。この日の目的は「さんふらわあ こばると」(以下「こばると」)。フェリーさんふらわあの大阪-別府航路(以下「別府航路」)に就航しているフェリーだ。  1998年4月8日、関西汽船(当時)の別府航路に就航してから25年、4月13日別府発の便をもって、新造船に後を託し、引退することが決まっている(※1)。 ※1 乗船時点の時系列で記述していきます。 別府航路とさんふらわあ  時刻は17

          さんふらわあ こばると乗船記(前)

          別府航路歴史探訪 別府編

           2023年1月、新造船「さんふらわあくれない」の就航に合わせて供用を開始した「さんふらわあターミナル別府」。100年以上の歴史を誇る別府航路にとって、別府側のターミナルとしてはこれが4代目となる。 1.楠港 1912年5月、大阪商船は初代「紅丸」を阪神-別府航路に投入した。当時の別府港には大型客船の接岸できる桟橋がなく、艀を使って上陸していた。  1916年12月には大阪商船の専用桟橋が別府港(現・楠港)に設けられた。別府航路が戦時中に大阪商船から関西汽船の手に移った後

          別府航路歴史探訪 別府編

          呉までこばるとに会いに行った話

          4月14日の大阪南港到着をもって現役を退いた「さんふらわあ こばると」。 「これでもうお別れか…」と思ったのも束の間、なんと呉の神田造船に係船されてるというではないですか! これはもう行くしかないということで、気が付いたら広島にいました。 広島駅から列車に揺られること約1時間、安芸川尻駅に到着。 安芸川尻駅から歩くこと15分ほど、目の前に見慣れた美しいシルエットが姿を現しました。 おお!こばると…!こばるとだ…!! もう会えないかと思っていたぞ… 恐らくこの後は海

          呉までこばるとに会いに行った話

          ありがとう「さんふらわあ こばると

          2023年4月14日、別府国際観光港から大阪南港コスモフェリーターミナルへの航海を終え、現役を退いた「さんふらわあ こばると」(以下「こばると」)。 1998年4月8日に関西汽船(当時)の阪神別府航路に就航して以来、航路の再編、会社の合併…といった激動の時期も乗り越え、25年間、別府航路を守り抜き、次世代へバトンを繋いだ。 個人的に大好きな1隻だっただけに、寂しい気持ちでいっぱいだ。 そんな寂しさを紛らわすため、「こばると」の思い出を書き連ねていきたいと思う。 1.出会

          ありがとう「さんふらわあ こばると

          さんふらわあ こばると乗船記(後編)

          前編、中編の続きです。 明石海峡で迎える夜明け朝6時、おはよう放送と共に起床。 間もなく明石海峡大橋。 というわけで、身支度を整えてデッキに向かいましょう。 ちょうど日の出の時間と重なって、幻想的な風景の中、明石海峡大橋の下を通過しました。 朝の大阪湾を行く明石海峡大橋を見届けたところでレストランへ。 昨晩は大混雑だったので、ちょっと身構えていましたが、それほど混んでおらずスムーズに入場できました。 朝食も夕食と同じくバイキング。 620円とそれほど高くないのも嬉しい

          さんふらわあ こばると乗船記(後編)

          さんふらわあ こばると乗船記(中編)

          前編の続きです。 いざ船内へ!18時30分、乗船開始と共に船内へ。 受付で鍵を受け取ってお部屋へ向かいます。 今宵のお部屋はデラックスシングル。 こばるとの最上級船室、いわゆる特等船室というやつです。 窓はもちろん、お風呂・トイレも完備。 まるでビジネスホテルのような一室です。 日本に長距離フェリーは数あれど、1人用の個室でここまで設備が充実しているのはここぐらいではないでしょうか。 さすがは関西汽船…、といったところです。 出港さて、出港の時間が近付いてきたので、デ

          さんふらわあ こばると乗船記(中編)

          さんふらわあ こばると乗船記(前編)

          来月13日で引退する「さんふらわあ こばると」(以下「こばると」)に乗るため、別府へ行ってきました。 別府国際観光港を散策 別府到着後、高崎山へ行ったりなど適当に時間を潰した後、16時過ぎに別府国際観光港へ。 「こばると」とご対面。 いつ見ても整った綺麗な見た目してますね、大好き。 出港は19時35分。 まだ乗船手続きすら始まっていないので、ちょっと港の周りを散策することにしましょう。 まずはこちら、立派なターミナルビル。 こちらのターミナルビルは1983年竣工だそう

          さんふらわあ こばると乗船記(前編)

          水中翼船でランチした話

            近鉄志摩線加茂駅から歩いて10分程、国道167号沿いにある「伊勢志摩お土産センター王将 鳥羽本店」さん。観光地によくあるレストランが併設された土産物店ですが、レストランの屋根の上に何かが載っていますね…。 はい。どう見ても水中翼船ですね。 立派な水中翼がとってもチャーミングでインパクト大です。 こちらの水中翼船の正体は元名鉄海上観光船の「王将」です。 レプリカとかオブジェとかではなく、本物の水中翼船です。 1963年から82年まで、名古屋~鳥羽、蒲郡~伊良湖~鳥羽航

          水中翼船でランチした話

          野母商船「太古」乗船記

           こういう記事は今までブログの方で書いてましたが、今回は試しにこっちで書いてみます。相変わらずの乱文雑文ですがご容赦を。 1.乗船前 今回九州へやって来た目的の1つが九州国立博物館で開催中の加耶展を見学すること。というわけで、日中は九州国立博物館を見学し、その後は以前から行ってみたかった柳川の街を歩いたりしてました。 2.乗船 20時過ぎに博多港に到着。乗船手続きの前に、ターミナルのすぐ近くにある「みなと温泉 波葉の湯」でお風呂を済ませておきます。「太古」にも一応シャワー

          野母商船「太古」乗船記