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「新しい裏MMT入門」序論:MMTを貨幣論から攻略すると?

 思うところがありまして、「新しいMMT入門」と並行して「新しいMMT入門」というのをやってみようと思います!

 なぜなら「新しいMMT入門」は意図があって、「貨幣(マネー)」概念に頼らずにMMTを記述するっていう方針を打ち出していたのでした。

 一方で、「マネーストック」「マネタリーベース」などの貨幣論は関心が高いのだということを感じずにもいられませんし、知りたい人の圧を感じもします(笑

 また、敗戦から現在に至るマネー面から見た日本の歴史、すなわち、高度成長、オイルショック、プラザ合意、バブルの発生と崩壊、新自由主義の台頭からリーマンショック、黒田日銀のリフレ政策という大まかな流れを、それぞれの時代に人々がマネーをどのように見ていたかの分析しつつ把握し直すことは、やってみると結構面白そうで、ぼく自身じっくり考えていきたいのです。

 そこで「新しい裏MMT入門」ではむしろ真正面からマネー(貨幣)を語ろうではありませんか。

 まずとり上げるのは「経済学者がお気に入りのヤップ島の貨幣」。

「ヤップ島の貨幣」の「語られ方」

 実は有名なこの話にぼくが特に関心を持ったのは、昨日のことです。

 子供の頃に何かの本で、巨大な石の貨幣が使われる島があるという話を聞いたくらいでした。

 昨日から面白いと思っているのは実にいろいろな語られ方をしてきたのだなあ。。。ということです。

 まずこれを最初に西洋に紹介したのが米国の探検家ウィリアム・へンリー・ファーネスという人の1910年の ”The Island of Stone Money” という本だったようです。

 いまこんな感じで読めるみたい。

 ヤップ島は1899年から1919年の期間、ドイツの植民地にされていて、ファーネスはその間の1903年の数か月をここで過ごし調査をした人だそう。

 ケインズもこれを読んだ可能性があり、それどころか、1915年にオックスフォード大学の雑誌 The Economic Journal に掲載されたこの話に関する三ページの無署名の論考が、若きケインズによるものだったと信じる人もいるようです(下のマーティンがそう)。

 次に1970年代以降かな、例によって人類学者たちによる研究が進み、より詳しいことがわかっていきます。1990年代以降は仮想通貨とか未来の通貨を構想する人たちがそれに加わっていきます。

 近いところでは 2013年にはフェリックス・マーティンの ”Money: the Unauthorised Biography" がベストセラーとなり、翌2014には「21世紀の貨幣論」というタイトルで日本でも翻訳本が出版されています。
 これを読んだ人は多そうですね。

 とまあだいたいこんな感じでしょうか。

 それにしても一定の事実を元に、みんな好き勝手なことを書くものです\(^o^)/

 つまり、ヤップ島の事例から実にさまざまなことが語れてしまうということがわかる。

ヤップ島でつながるフリードマンとMMT

  "マネタリズムのカリスマ" だった大経済学者フリードマンも1991年に短いワーキングペーパーを書いています。
(実は昨日マネーサプライ論争を考える素材として『ポスト・マネタリズムの金融政策』(翁邦雄)を読んでいたところ、翁がこのペーパーを引用していて、そのことが一気にヤップ島貨幣に関心を奪われたきっかけに)

 そして軽く検索してみたら、レイが「ビギナーのためのMMT」でこのエピソードに触れているのが見つかりました。

 ここでは本質的なことが語られているとは思いますが、ぼくからすると、サラっと流しすぎているきらいがあります。

 そしてフリードマンのペーパーとレイの言っていることを合わせるとすごく面白い。
 というわけでその辺を書いてみたいと思います。

フリードマンによるファーネスの引用と論考

 まず1981年のフリードマンが、1910年のファーネスによる ”The Island of Stone Money”から引用している箇所をそのまま全訳します。

 彼らの島では金属は産出されず、彼らは石に頼る。 採取や製作に労働が費やされた石は、採掘され鋳造された文明のコインと同じように、まさに労働を表現している。

 彼らの交換媒体は「フェイ」と呼ばれ、直径1フィートから12フィートの、大きく、堅固で、厚い、石の車輪から成り、中心には石の直径によって大きさが異なる穴があり、重さに耐え、輸送を容易にするのに十分な大きさと強度を持つ棒を差し込むことができる。これらの石「硬貨」は、400マイルほど離れた島で発見された石灰岩から作られたもので、もともとはその島で採石され、成形されたものであった。 こうして出来上がったものが、勇敢な先住民の航海者たちによって、カヌーやいかだでヤップに運ばれたのだ。

この石貨の特筆すべき特徴は......所有者がそれを所有物にする必要がないことである。簡単に移動させるには大きすぎるフェイの価格を伴う取引が終わると、新しい所有者は、所有権が認められるだけで満足し、交換を示す印さえなければ、コインは前の所有者の敷地内にそのまま残るのだ。

私の忠実な友ファトゥマクは、この近くの村に、こんな一族がいると教えてくれた。その一族は誰もが認める富を持っている。しかし誰も、その一族の者でさえそれを見たことも触ったこともない! かつてこの一族の先祖がフェイを求めて遠征した際に、一つの非常に大きく、非常に貴重な石を手に入れ、いかだに載せて曳航して帰ろうとした。激しい嵐に見舞われ、一行は命を守るためにやむなく筏を切り離し、石は沈み、見えなくなった。家に戻った一行は、その全員がその石は見事な大きさで品質も並外れており、持ち主の過失で失われたのではないことを証言した。それが海中に沈んだという単なるアクシデントは、言及にも値しないほど些細なことであり、沖合の数百フィートという水深は、その石の市場価値に影響を与えるはずがないのだ。ゆえに、その石の購買力は、それが持ち主の家の側面に目に見える形で立てかけられている場合と同じように有効である......

 ここまでの紹介部分は「信用貨幣論者」が大好きなストーリーですよね。彼らはこの事例によって「商品貨幣論」を否定したいのです。

 それはともかく、フリードマンの引用に戻ると、この続きの部分に注目するのがフリードマンの偉さ。

ヤップ島には車輪の付いた乗り物がなく、したがってカートのための道路もない。 しかし各集落を結ぶ小道は昔から明確に存在していた。1898年にドイツ政府がカロリン諸島をスペインから購入し、その所有権を引き継いだとき、これらの小道や道路の状態はひどいものだから、それらを修理して整備しなければならない旨を各地区の首長たちに命じた。しかし、原住民の裸足にとってはその踏み固められたサンゴ礁で十分だったのだ。命令は何度も繰り返されたが、無視されるばかりだった。そしてついに、従わなかった地区の首長たちに罰金を科すことが決まった。しかしどのような形で罰金を科すのか?…そしてついに、不服従の地区中のすべてのフェイルーとパバイに一人の男を送り込み、最も価値のあるフェイの一定数に黒いペンキで✖印をつけさせるだけのことによって石が政府の所有物であることを示すことをもって罰金とすることだった。石が政府によって所有を主張されたことを示す黒い✖印。それはすぐに魔法のように機能した。悲惨なほど貧しくなった人々が、島の端から端までの幹線道路を整備し、公園の道路のようなものになったのだ。政府は職員を派遣し、✖印を消した。こんなに早く! 罰金は支払われ、幸福な「破産者」は資本の所有を取り戻し、富を取り戻したのだ。

 フリードマンが論じたこと

 以上の引用からフリードマンは次のような興味深い議論を展開します。

 よほど変わった人でない限り、私のような反応をするだろう: 「なんて愚かなんだ。人はどうしてこんなに非論理的なのだろう?」しかし、ヤップの罪のない人々を厳しく批判する前に、彼らの方がわれわれのように反応するかもしれない米国のエピソードを熟考する価値がある。1932年から33年にかけて、フランス中央銀行は、米国が従来の1オンス20.67ドルの金価格で金本位制に固執しないのではないかと心配した。そこでニューヨーク連銀に対し、米国内に保有するドル資産を金に交換するよう要請した。金を海を越えて輸送する労を避けるため、フランス中央銀行の口座に金を保管するだけでよいと連邦準備銀行に要請した。 これに応じて、連邦準備銀行の役人たちは金の貯蔵室に行き、適切な量の金インゴットを別の引き出しに入れ、それらの引き出しにはそれらがフランスの所有物であることを示すラベルかマークを付与した。 このときドイツ人が石にしたのと同じように、石に「黒いペンキで✖印を付ける」ことによってそうすることもできたはずだ。

 この結果、経済新聞には「金の喪失」「アメリカの金融システムへの脅威」などの見出しが躍った。米国の金準備は減少し、フランスの金準備は増加した。市場は米ドル安、フランス・フラン高と見なした。いわゆるフランスによる米国からの金の「流出」は、最終的に1933年の銀行パニックを引き起こした要因の一つとなった。

 連邦準備銀行が、その地下の引き出しについたいくつかの印のせいで、自分たちの通貨ポジションが弱くなったと考えるのと、ヤップ島民が、自分たちの石のお金についたいくつかの印のせいで、自分たちが貧しくなったと考えるのと、いったい違いがあるのだろうか。あるいは、3,000マイル以上離れた地下室の引き出しのいくつかの印のせいで、フランス銀行がより強い通貨的立場にあると考えるのと、100マイルほど離れた海中の石のせいで、ヤップ島民が自分は金持ちだと考えるのと、どちらが正しいのだろうか?
あるいは、私たちが富を構成していると考えているほとんどの品々の存在を、文字どおり個人で直接確かめることができる人がどれほどいるだろうか。銀行口座の記帳、株式という紙切れで証明された財産、などなどの。

 ヤップ島民は、遠い島で切り出され、整形された石を自分たちの島に持ち帰ることを、富の具体的な現れとみなしていた。"文明化された "世界では、地中深くから掘り出され、多大な労力をかけて精錬された金属を富の具体的な現れとみなし、地下深くの精巧な保管庫に再び埋葬するための長距離輸送を100年以上実施してきた。一方のやり方は、他方よりも本当に合理的なのだろうか?

 この二つの例、そして他にも数多くの例を挙げることができるだろうが、それらが示しているのは、「神話」、つまり疑う余地のない信念が、貨幣の問題においていかに重要であるかということだ。自国の貨幣、私たちが育ってきた貨幣、それを管理するシステム、これらは私たちにとって「現実的」で「合理的」に映る。他国の貨幣は、個々の単位の購買力が高くても、私たちにはしばしば紙か無価値な金属のように見えるということがしばしばある。

 実に面白い。

レイの議論

 次に、上の動画の中でレイは、次のように言います。

 「経済学者はヤップ島の貨幣の話が好きだけれど、ドイツ人がしたことの話をしない」と。

 レイの語るストーリーは以下。

 ドイツ人は首長たちに「カネを払うから修理をしてくれないか」と頼む。しかし彼らは紙のカネなど知らない。「どうして紙切れのために働くのか?」
 ドイツ人は思う。「彼らはお金のために働かないほど怠惰なのだ。」
 ここである部族の長の一人が次のように進言する。
「そうしたいなら方法がある。ペンキを持って行って石に✖印をつけるのだ。」
「何が起こったのか?と聞かれたら、課税したのだと説明する。だから『これはわれわれのモノなのだ』と。彼らは『どうしたら取り戻せる?』と聞くから、『道路を整備すればいい』と言えばよい。」

 ものすごく示唆的ではあーりませんか。

 ここに、MMTの貨幣観の本質があります。
 モズラーの名刺の話を想起せよ。

 そしてこのマンガも\(^o^)/

 面白かったでしょう?
 しかもMMTの理解が深まるでしょう?

 しかし。

 レイは次のように続けます。

This is a typical thing that Europeans could not conceive of so they thought they must be money but they were turned into money only by attacks that colonial government put on them.
これはヨーロッパ人には考えられない典型的な事例だったのだ。彼らはそれがお金であるに違いないと考えたわけだが、植民地の支配者が彼らに攻撃を加えることによってのみそれはお金に変わったのだ。

 レイは、「ヨーロッパ人には考えられない貨幣観の典型」の話をしていますが、この「ヨーロッパ人」は直接的にはもちろん植民地時代のドイツ人を指しています。
 しかしヤップ島民の事例から「税」を引き出すことができない経済学者や人類学者も同じなんですよね。

 MMTウオッチャーとして、ぼくが「裏入門」を始めなければならない理由はここでもやはり「日本の理解が輪をかけてちょっとおかしい」からなんです。

翁邦雄の読解

 ぼくがこのストーリーに出会ったのは、昨日読んだ『ポスト・マネタリズムの金融政策』(翁邦雄)だったわけです。

 翁による、フリードマンを引用した上での記述をちょっと見てください。翁だけを責めるつもりはありません。日本の人たちはおそらくまったく同じテキストを見て、翁のような理解をするのですから。

 一見すると、石貨はいかにも不便そうであり、文化人類学的にはともかく、経済学的には議論する価値のないものと感じられるかもしれないが、必ずしもそうではない。上記のように石貨は、取引の決済に際して物理的に移動されることは稀で、所有権の身が移転する、とされる。つまり取引の際に使われるのは、物理的な媒体ではなく、権利という情報だけである。その意味では、むしろ銀行券のような伝統的な貨幣よりは電子マネーに近い。ヤップ島型の石貨経済は、タバコ経済よりも、その意味で、はるかに現代的である。

 ここまではまあ良いとしましょう。
(なお「タバコ経済」とは、やはりよく話題に出される経済学者ラドフォードが捕虜収容所で体験した、配給のタバコが通貨になったという話のことです。)

 翁は次のように続けるのです。

 ミルトン・フリードマンによる以下の挿話は、そのことを象徴的に示している。
 フリードマンによると、1898年にドイツ政府がヤップ島を含むカロリン諸島をスペインから買収し、領有権を引き継いだとき、道の多くは荒れ果てていた。そこで、修繕するよう通達が出された。だが、繰り返し通達が出されても、修繕は一向に進まない。そこで通達に従わない地域には、役人を送り、価値のありそうなフェイに黒いペンキで「✖」印を付けさせ、政府に所有権が移転したことを明示した。この方法は、まるで嘘のようにすぐ効き目を表したという。貧困に陥り、悲観した島民は心を入れ替え、早速修繕に取り掛かった。そこで政府が役人を村々に遣わし、フェイに書かれた印を消して回ると、島民たちは以前の豊かな生活が戻ってきた、と喜んだのだ、という。

 この人、「ヨーロッパ人」を超えてダメだなあ。。。
 (ぼくが呆れた個所が太字のところ)

MMTとヤップ島を絡めた話の日本における受容ぶりの悲惨さ

 さて、日本におけるMMTウオッチャー第一人者のワタクシ、「MMTとヤップ島貨幣を結び付けてついて語っている人が変なことしか言っていない」事例をたくさん見て来ました。

 MMTにとって肝心なことは「石が徴税手段として使われ、人々がそれを求めて労働した」というこのことです。

 学者もダメ。
 素人さんでもきちんとそれを書いている事例が一つでもあったら教えてくださいって感じです。

 Xで調べると、いくつかヒットしますが、レイの動画に辿り着いている人でもダメなんですよね!


  下は「新しいMMT入門」の第14回で説明した、「MMTの肝心なことが語られないさま」を説明した図です。

 同じことが起こっていますよね。

 というわけで、この「裏入門」も書きたいことはたくさんあるんです。

 お楽しみにー

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