うつだった時の話と今思うこと

風呂キャン界隈についての話題を目にして、うつ病の時のことを振り返ってみたくなった


まずわたしがなぜうつ病になったのか。
きっかけとして、わたしは中学の時吹奏楽部に所属していた。
中学では先輩の上下関係や受験のこと、思春期など、小学校と比べて人間関係も社会関係も大きく変わる(わたしはそう感じていた)。

わたしが中学生の時の吹奏楽部は典型的な「吹奏楽部」だった。全国規模ではないものの、運動部のようなストイックさ、厳しい上下関係、加えて周りの子達が成績優秀だったこともあり、新しいことが多く不安なことがたくさんだった。
特に、「周り」が気になりすぎることがトリガーとなった。


まず、教えてくれる「先輩、先生」には報いなければならない。中学の時の脆弱な人間関係には特有の、「友達」とは仲良くしなければならない。仲間はずれにされたら終わり。「後輩」にはいつも優しく時には厳しく、優秀な姿を見せる。「成績」も優秀でなければ、部活内で色々言われてしまう。そして「進路」のこともしっかり考えなければならない。そうしなければ「親」に叱られてしまう。


中学の時なんて今と比べたら視野が狭く、どれか一つでもだめになってしまえば終わりで、友達とも絶縁、将来が閉ざされると考えていた。


中学2年生の時のコンクールが、終わりの始まりだったと思う。
コンクールが終わった時、夏休みに入って「なんかもう、だめかもしれない」「だめにしてしまいたい」と思い、夏休み中もずっと部活のことを考えて、虚無感ばかり残って。

夏休みの始まり、わたしは部活にも行かず、宿題も出さなかった。怒られてしまうかもと思って身構えていたけど、先生は「何かあったの?」と心配していた。前までは吹奏楽部の優等生だったからね。


宿題も出さず、部活にも行かず、優等生ルートから外れたわたしは、何に対してもやる気を無くしていった。


まず、何も考えられない。
何をしても考えが浮かばない。逆に最悪な考えだけが頭を巡る。あの時の検索履歴が大体「部活 辞める 怒られる」「自分 迷惑」「苦しまずに_ぬ方法」とかばっかだった。今思えば「いや、助け求めようよ」となるけど、あの時は自分以外誰も助けにならないと思っていた。

次に、部屋の掃除ができない。
恥ずかしながら、わたしは数年前まで汚部屋の住人だった。飲みかけのジュースのコップや、食べかけの夕飯やカップラーメン、使ったティッシュの山、畳んでない服の山。
当然、「おかしい」となるはずだけど、確かにこの部屋は今じゃ考えられない。片付けないんじゃなくて、本当に「片付けられない」。逆に、うつから抜け出して、ある程度視野も広くなった時に掃除ができるようになった。


そして、食事が上手くとれない。
わたしの場合は過食がひどく、コロナ禍もあって、今より10kgくらい太った。


今考えるとどれもおかしい、と思ってしまうのだが、うつ病の時は当たり前のようにボーッとしていたし、ゴミ屋敷に住んでたし、ストレスを過食で発散していた。
風呂キャン界隈の人たちも、風呂に入りたくなくて入らないんじゃなくて、本当に入れないんだと思う。常人には考えられないだけで、本当にこれは経験しないと分からないと思う。


わたしのうつ病はその後、部活を辞め、違う友達と話し始めたり、図書室にこもったりして、好きなことをする時間を作ったおかげで少しだけ良くなった。進路についても何度も親と喧嘩したけど、最終的には進路を応援してくれた。そりゃあ、あんなに色々なことを考えてたらおかしくもなってしまうよ。そんな時、こんなわたしでもどうにかしようと頑張ってくれた周りの人達に対して、わたしは本当に感謝している。


摂食障害やうつ病、そうでなくても苦しい人たちは、常人から見て「何かがおかしい」んだと思う。でもそれは、「単に、努力したら治るもの」ではなく、他の原因であったり、自覚が必要なケースがある。
わたし達は表面上の行動だけを見てしまいがちだし、それを責めることもできない。
悩んでる人たちに対して、かつてわたしがそうであったように、「これは変えられる」「あなただけが原因じゃない」「きっと他に方法がある」とたくさんの解決方法があることを知らせてあげられたらいいな、と思う。

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