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福音の手紙⑨「祈りは霊的な科学です」

※「福音の手紙」は私がキリストを信じた後、最初に分かち合ってもらったメッセージです。信仰の足あととして書くことにしました。バックナンバーはこちらです↓

"してみると、あなたがたも、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天の父が、求める人たちに、どうして聖霊を下さらないことがありましょう。」"
ルカの福音書 11章13節

前回の福音の手紙⑧で、結論として祈りが大事ですと書きました。今回は[祈り]についてです。

科学とは?という事になると難しくなりそうですが・・・

大事なことは、祈りには[原理]があって、私たちも聖書の人物と同じように味わうことができるということです。

1.未信者の祈りはなぜ答えられるのでしょうか。

"いや、彼らのささげる物は、神にではなくて悪霊にささげられている、と言っているのです。私は、あなたがたに悪霊と交わる者になってもらいたくありません。"
コリント人への手紙 第一 10章20節

キリストを信じた私たちの祈りはどう違うのか。イエス様を知らない人でも「神様!」と祈る時があります。

そして実際に良い事が起きたりします。神様を知らないのに、個人的な願望なのに、なぜ叶えられているのでしょうか。

聖書が言っているのは、キリストを知らず、また介さない祈りは、神様とは別のもの、悪魔に届いているということです。

"あなたがたは今まで、何もわたしの名によって求めたことはありません。求めなさい。そうすれば受けるのです。それはあなたがたの喜びが満ち満ちたものとなるためです。"
ヨハネの福音書 16章24節

私たちの父となった神様に、キリストの御名で祈りを捧げます。その答えは[OK, NO, 待て]であると言われます。

まず、即座に叶えられる事があります。一方で神様から見て、私たちにいま不要なものは与えません。
(OK、NO)

また、神様の時刻表で答えられる事があります。代わりのもっと良いものをくださる事もあります。
(待て)

2.神様に答えられる者の資格があります。

"しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。"
ヨハネの福音書 1章12節

神様は霊的な子どもとなった私たちに、父親のような御心を持って答えてくださいます。

神の子どもが、キリストの御名でする祈りが聞かれます。これ以外の祈りは、実際には悪魔からの答えが返ってきます。
(Iコリント10:20)

"そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。"
ピリピ人への手紙 4章7節

また、祈るときに大事な姿勢があります。罪、つまり神様に背く思いがあった時には改める事。
(詩編66:18)

それと、祈りが聞かれているという信仰を持つこと。答えられる事にとらわれず、神様の時を待ち望むことが大事です。
(ルカ18:1-8)

神様は祈りを必ず聞かれ、祈りそのものの味わいと、人のすべての考えに勝る神様の平安を与えてくださいます。

3.神様の子どもは祈るときに注意することがあります。

"彼は私に言った。「恐れるな。ダニエル。あなたが心を定めて悟ろうとし、あなたの神の前でへりくだろうと決めたその初めの日から、あなたのことばは聞かれているからだ。私が来たのは、あなたのことばのためだ。"
ダニエル書 10章12節

これまで見てきたように、神様は理由を持って私たちを選び、神様の計画の中で使命を備えられています。

これまでの私たちの祈りはすべて「私の想い、私の計画、私の環境」に関するものでした。

これからは「神の御旨、神の計画」を望む祈りを味わい、従うように召されています。

"何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。"
ピリピ人への手紙 4章6節

祈りの中に生きていても、実際には問題、つまり敵のように見える人や出来事は出てきます。

それでも私たちが神様との祈りの交わりの中にいる時、問題を通して一段と深い恵みが与えられます。

すべては神様が許された中で起こる事。感謝が生まれ、人や出来事を赦せる想いも与えられます。
(ローマ8:28)

4.祈りは霊的な科学です。

"しかし、わたしが神の御霊によって悪霊どもを追い出しているのなら、もう神の国はあなたがたのところに来ているのです。"
マタイの福音書 12章28節

私たちが祈る時、神の子どもに内住する聖霊が働きます。

この聖霊が働く時、必ず悪霊の力が縛られるようになります。

また、主に仕える天使(御使い)が遣わされ、主の働きを成し遂げます。
(ヘブル1:14)

"また、もうひとりの御使いが出て来て、金の香炉を持って祭壇のところに立った。彼にたくさんの香が与えられた。すべての聖徒の祈りとともに、御座の前にある金の祭壇の上にささげるためであった。"
ヨハネの黙示録 8章3節

この時から、周りの環境が神様の身旨に沿って、変わっていく事があります。

神様の計画の中で人と人との出会いが与えられたり、また御使いが直接働くことも実際にあります。
(使徒10:1-19)

祈りは聖書の中の不思議な出来事ではなく、同じ原理を持って今も救われた私たちに与えられているものです。

ともに信仰生活を通して、祈りのめぐみを味わっていけたらと思います✨

次回へつづきます

さて、9回続いてきた「福音の手紙」は次回で最後となります。

次回「祈るとなぜいやされるのか」聖書の中でたくさん記されている「いやし」について見ていきたいと思います。

ともに味わっていけるよう、お祈りしています✨


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